ファッションという「今」にのみフォーカスする産業を歴史の文脈で捉え直す連載もついに大団円。最終回は基本的人権としてのファッションを考慮する。編集協力:MATHEUS KATAYAMA (W)
「もし、世の中に存在する全ての食べものが商品という着物を脱ぎ捨てたら、どうなるか?」。こんな大きな問いかけをする人物に先日会いに行った。京都大学の人文科学研究所の藤原辰史准教授は、農業史と環境史を専門とし、「分解の哲学」「縁食論」といった著作で話題の人物だ。藤原いわく「食べることは基本的人権の一部であるはず。それなら、誰もが無料で食べられる社会を構想すべきではないかと思うのです」。
藤原の大きな問いかけを抱いて帰京し、それを広げて考えてみた。「衣食住」は生活の基本三大要素と言われるが、もし衣食住の保証が基本的人権の一部であるとするなら、誰もが無料で衣装をまとうことを保証する社会というのも、十分考察すべきテーマではないかと。
「それは絶対に無理」という声があちこちから飛んできそうな提案だが、コロナ禍で社会が大きく変容している今、未来のことを、さらに「基本的人権としてのファッション」を考える良い機会なのではないか。だから、ここで大風呂敷を広げてみよう。「ファッションを装うことが基本的人権の一部なら、ファッションはタダにすべきでは?」と。
面食らう提案に思われるだろうが、実はファッションの提供は、どんどんタダに近づいている。米「フォーブス」誌の2月15日記事「Here’s Why The Future Of Fashion Doesn’t Involve Owning Any Clothes(未来のファッションは服を持たない理由)」は、「ファッションはかつてのようなものではない。5、6年前に時間を巻き戻すと、その時にファストファッションの爆発がピークを過ぎたのだ」という。記事はパンデミックがファッションの下方曲線に追い打ちをかけ、「ファッションを買う」という概念が変わりつつあるという。
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