ファッション業界の御意見番であるコンサルタントの小島健輔氏が、日々のニュースの裏側を解説する。社会構造の変化や世代交代などによって消費者の価値観は動いているのに、成功した時代の感覚のままビジネスをしているファッション企業が少なくない。改めて世代とファッションの関係を詳しく考えてみよう。
「レオン(LEON)」の新聞広告の一昔前のキャッチコピーに時間が止まっているかのような幻覚を覚えたが、古典的なテーラリングをうたう紳士服業界や欧米モードを信奉する婦人服業界も大差ない時代錯誤を演じているように見える。往時の価値観がその世代とともに遠く過ぎ去ったことに気が付かないのか、あえて目をつむっているのかはともかく、浦島太郎を演じて時代に取り残されつつあることには変わりない。
各世代はそれぞれの時代体験から固有の価値観を形成しており、ライフスタイルや消費はもちろん、社会観や政治意識まで及ぶ。顧客が歳を重ねて上へ抜け、次の世代に入れ替われば価値観は引き継がれず、次の世代の価値観が消費行動を左右する。なのに引き継がれるかのように錯覚してしまうと、顧客とすれ違って浦島太郎を演じることになる。実際、過去の世代顧客の幻影を追って新たな世代に対応できず、業績を悪化させるアパレル事業者は珍しくない。
米国の世代区分と世代概念
米国では第二次世界大戦後の社会と政治、消費をけん引してきたベビーブーマーからX世代、Y世代と移り、スマホ・ネイティブでSNSでつながり社会意識も高いZ世代が注目されているが、わが国では未だ「団塊世代」や「バブル世代」の幻影を抜け出せない事業者は少数派にしても、「団塊ジュニア世代」の幻影を引きずる事業者は決して珍しくない。どちらにしても、これからの消費を担う「キリギリス世代」や「落日世代」(私が命名)が見えていないのか、あえて見ぬフリをしているのだろう。
世代マーケティングが盛んな米国とわが国の世代区分は社会・経済背景や政治状況が異なるため微妙に異なるが、時間差と性格差はあっても時流の大勢は近似している。まずは米国の各世代概念を確認しておこう。
(1)ベビーブーマー(前期1947〜50生、後期1951〜64生)
日本の団塊世代とほぼ共通する第二次世界大戦後ベビーブーム世代だが、豊かさの実現には大きな時差があり、80年代までは日米の時間差マーケティングが成り立っていた(IT革命以降、再び時差が開いてデジタル分野では時間差マーケティングが成立している)。
芝生の庭がある郊外の電化一戸建てに核家族で暮らし、派手な大型乗用車で通勤したりモールでショッピングする大衆消費文明を謳歌するアメリカンドリームは同時代に勃興したTVドラマに盛んに描かれ、わが国でも人気を呼んでアメリカンライフスタイルやアメカジが定着する契機となったが、そんなアメリカンドリームは白人社会だけのサニーサイドに限られていた。
絵に描いたようなサバービア文明の陰で米国はベトナム戦争の泥沼にはまり、国内では女性や黒人への露骨な差別がまかり通っていた。前期ベビーブーマーは大衆消費文明を手放しで享受したが、後期ベビーブーマーは青春期に反戦運動や公民権運動に目覚め、ヒッピーカルチャーとジーンズを愛し、消費者運動にも参加するようになる。
日本の団塊世代より年代に幅があって人口も大きく、2000年代まで消費のみならず政治も左右して来た最大世代だが、15年にはミレニアム世代(YとZの合計人口9000万人)に逆転され、社会の第一線からは引退しつつある。
(2)ジェネレーションX(1965〜79生)
ベトナム戦争終結後に青春期を迎えた「しらけ世代」と言われ、社会に出ては就職難とリストラという荒波に揉まれ、「Meゼネレーション」と揶揄される個人主義に流れていった。PCネイティブだがインターネット以前のケーブルTV世代で、MTVとTVゲームで育った。
日本で「しらけ世代」とされるのは団塊世代の後に生まれて学生運動も体験せず社会意識が希薄で三無(無気力・無関心・無責任)世代と揶揄された1950〜64生世代だが、インターネット以前のPCネイティブでTVゲーム世代とされるのは1971〜82生の「団塊ジュニア世代」で、米国とはズレている。
(3)ジェネレーションY(1980〜94生)
ベビーブーマーの子供世代でリベラルな社会観と理想主義が通底し、物欲・金欲より理念やストーリーに価値を見出す「ミレニアム世代」(00年前後に青春期)。10代にIT革命を体験した最初のインターネットネイティブで、MTVじゃなくネット・ストリーミング派だが、青春期にはまだスマホがなくフィーチャーフォンだった。
日本では「団塊ジュニア世代」にあたるが、出生期間が1971〜82とジェネレーションYより十年早く、PCネイティブでTVゲーム世代という点はジェネレーションXに相当する。
(4)ジェネレーションZ(1995〜2009生)
生まれたときからデジタルネイティブで、10代以降はスマホとSNS、ZOOMでつながる人生を歩んでいる。物心つくとともに社会の格差と分断に直面し、旧習にこだわらず社会正義や環境保護を志向するポスト・アポカリプス(資本主義文明崩壊後)の革命世代。
日本では1993以降生の「落日世代」に相当し、スマホとSNSでつながるデジタルネイティブ、格差と分断に直面して社会正義や環境保護の意識が高いという点は共通しているが、00年以降、日米の経済力格差は加速度的に開いており、没落する「貧しい日本」を体感して「買わない世代」と化している点は米国と異なる。
日本の世代概念とファッション体験
日本の世代区分は米国との比較で触れたので重複を避けて解説するが、米国の世代が政治体験に色濃く影響されるのに対し、わが国の世代は経済体験の影響が濃く政治体験の影響は薄いという違いが指摘される。世代によるファッション感覚に大差がある事も、カジュアル化とスポーツウエアの浸透、経済格差によるビジネスウエアの階級分化に留まる米国とは大きく異なることも留意すべきだろう。世代区分には諸説があって異論もあると思うが、米国の世代区分と対比する形で整理してみた。
(1)団塊世代(1947〜49生)
戦後ベビーブーマーで最大人口世代であり、日教組下の戦後民主教育の洗礼を受けて政治意識が高く学生運動も体験したが、社会に出てからは一転して高度経済成長下の大衆消費文明を謳歌し、年金保障・介護保障も手厚い恵まれた世代。青春期のファッション体験はIVY〜アメカジ派が大勢だが、次の「しらけ世代」に続くトレンドブティック派(今日のファストファッションに近く「EC」と言われたが、格段に高速サイクルで上質な日本製だった)も台頭し、DCブランドの黎明期につながる。
(2)しらけ世代(1950〜64生)
「新人類世代」とも言われ、民主教育も学生運動も体験せず、団塊世代が押し広げて通過したスリップストリームの中で無理せず無気力・無関心・無責任に生きた「しらけ世代」と定義されることが多いが、「ファッション化社会」(73年頃)を開いたパワー世代でもある。50年代生はミニスカートブームやヒッピーファッションを盛り上げた「アンノン世代」であり、後半の60年代生は爆発的なDCブランドブームを引き起こし、バブル期にはインポートブランドも体験し、今日に至るまでブランド消費を支えてきた「ファッション化世代」と特筆される。
(3)バブル世代(1965〜70生)
昭和末のバブル期に社会に出て狂乱のブランド消費を謳歌した世代で、欧米ブランドの影響が強くコンプレックスを引きずり、「アッシー」「メッシー」と言われた当時の男女差感覚も残るとされるが、バブル崩壊後はリストラにも直面し、後の「キリギリス世代」にも共通する喪失感を抱いている。ファッション体験も「インポートブランド」「ワンレン・ボディコン」とバブリーだった。
(4)団塊ジュニア世代(1971〜74生、ポスト世代も含め〜82生)
団塊世代の子供世代で、TVゲームで育ちPCネイティブとなった最初の世代だが、ブロードバンド革命(2001年)でインターネットが普及するのは30代になってからで、インターネットネイティブは次の「キリギリス世代」から。
青春期には校内暴力や受験戦争、社会に出ては就職氷河期を体験してパラサイトシングルと非正規雇用が増える一方、質実なニューファミリー文明を形成してデフレ消費を決定的にした。ファッション体験は「渋カジ」「フレンチカジュアル」「ファミリーカジュアル」といずれも低価格で、98年にはフリースブームで「ユニクロ」が台頭したが、「クラシコイタリヤ」と「裏原カジュアル」だけは値が張った。
(5)キリギリス世代(1983〜92生)
バブル期に生まれ90年代末期のITバブルも体験したが、「失われた20年」とリーマンショックも体験した「斜陽世代」。最初のインターネットネイティブ世代だが青春期はまだガラケーの時代で、スマホが普及するのは大人になってから。
ファッション体験は、女性は「ポスト団塊ジュニア世代」からの「コギャル」「アムラー」に加えて「モテ」「セレブジーンズ」など、男性は同「ギャル男」に加えて「サロン系」「お兄系」などだが、大人になるにつれ生計が逼迫してデフレも深まり「ユニクロ」「しまむら」「無印良品」が一大勢力となった。
(6)落日世代(1993〜2009生)
02〜10年のゆとり教育を受けた「ゆとり世代」とも「さとり世代」言われるが、衰退と格差の「貧しい日本」ネイティブでもあり、物欲より社会正義や環境保護の意識が高い「買わない世代」でもある。思春期からSNSでつながるスマホネイティブであり、店舗よりECに馴染むOMO世代でもある。
ファッション体験は、女性は「プチプラ・ファスト」「韓流(オルチャン)」「華流(SHEIN)」、男性(ユニセックス含む)は「サロンスクール」「ボーダー」「ゆるワーク」などだが、いずれも低価格で、「古着」が男女に共通する最大体験と言って良いだろう。
各世代の現在のファッション志向
原体験はともかく現時点の世代別のファッション志向をつかめるのが、楽天グループが2016年から毎年、実施している楽天「ラクマ」ユーザーに対する「ファッションの参考にする国」を問うインターネットアンケートで、21年も7月の1日〜2日、5124人を対象に調査した。
その結果によると、女性では50代を除く全世代で韓国が1位を占め、50代でも21.4%と1位のフランス(23.5%)との差は僅差だった。昨年は10代〜30代は韓国が1位でも40代以上はフランスが1位で60代以上では34.1%も占めていたが、今年は40代と60代以上でも韓国が1位となり、高年齢層でも韓国が伸びてフランスやイタリアを凌駕した。
韓国は10代では77.3%と圧倒的で6年連続して首位を占め、20代でも56.7%とフランス(7.5%)やイギリス(6.7%)、スペイン(3.2%)、イタリア(2.6%)を大きく引き離している。フランスは50代(23.5%)、イタリアは60代以上(17.1%)で最も高く、若い世代になるほど、急激に低下していく。アメリカは10代から40代までは2位だが30代(17.7%)をピークに若年層でも高齢層でも下がり、50代では3位、60代以上では4位に落ちる。
男性ではアメリカが全世代で40%以上の支持を得て1位を独占したが、女性と同様に30代(51.8%)がピークで20代(47.7%)、10代(40.2%)と低下し、20代では13.8%、10代では28.7%を占める韓国が続く。イタリアは高齢層ほど高く60代以上(26.0%)、50代(21.5%)、40代(16.3%)、30代(11.9%)では2位に位置するが、20代(6.9%)、10代(0.8%)では5位に落ちる。フランスは世代で大差がなく、10代(10.7%)、20代(11.5%)で3位に位置する一方、40代(10.0%)、60代以上(9.1%)でも3位を占めている。同様に支持世代の幅が広いのがイギリスで、50代(13.2%)でも20代(11.5%)でも3位に位置している。
近年の韓国の急激な台頭を除けば前述した各世代のファッション体験を裏付ける傾向が見て取れるが、「SHEIN」など中国ファストファッションECサイトの急激な台頭を直視すれば、女性では「ファッションの参考にする国」の韓国、アメリカに続く3位に中国が登場するのも時間の問題だろう。品質や配送、返品手続きには改善の要が大きいが、ファッション感度は最早、日本や韓国のブランドと大差なく、圧倒的な価格メリットに手を出す若者も増えている。
ウエアリングの世代ギャップ
トレンドソースやテイストがどこの国風かはともかく、現実の顧客支持に直結するのは着こなし・着崩しのウエアリングで、素材感やパターン、サイジングまで異なるから、すれ違ってしまえば何れ顧客が離れていく。1年や2年ならともかく、何年にも渡ってズレ続ければ多くの顧客が離れて売り上げも落ち、ブランドの将来を閉ざすことになりかねない。毎シーズン、顧客に接していれば変化はわずかで見過ごしてしまうが、一つの顧客世代が上に抜けて新たな顧客世代に入れ替わっていく10年というレンジで見れば、取り返しのつかないギャップが生じることがある。
ウエアリングの世代間ギャップが目立つのは、インポートブランド(ユーロモード)を体験した「しらけ世代」後期以降と以前、ノームコアとローカル回帰でユーロモードの呪縛から離れた「キリギリス世代」末期以降と以前で、個人差が大きいものの前者は60歳前後、後者は30歳前後に分かれ目があるように見える。
「しらけ世代」後期以降の女性は多少なりとも張り腰感のあるスタイリッシュなフィットを好むのに対し、それ以前の世代は落ち感のあるエレガントなフィットを好む傾向があり、とりわけ腰回りのフィットに好みの差が出る。それは有職女性と専業主婦の違いでもあり、世代に捉われない一面もある。「キリギリス世代」末期以降は着流し感覚のゆる抜けたシルエットを好みTPOの意識も希薄だが、それ以前の世代はきちんと感やTPOにこだわって着崩しに躊躇する。これも非正規と正規の就業環境の違いという見方もあるかもしれない。これが「落日世代」になると、オーバーサイズなボーイズアイテムとコンパクトなガールズアイテムのコントラストを効かせるリミックスが目立つ。
世代だけでなくさまざまな要素が絡むから杓子定規に受け取るべきではないが、オーバー60とアラ50、アラ40とアンダー30を見比べてみると、なるほどという違いが感じられるのではないか。
ブランドと共に歩んできた顧客世代も10年というレンジでは大きく入れ替わっていくが、顧客世代とともに歳をとるのか、その年代層に留まるのか、悩ましい選択だ。どちらが正しいと決めつけるものではないが、思わぬすれ違いだけは避けたいものだ。