ファッション

元米「WWD」の名物記者が語る、故リチャード・バックリー氏と過ごした出版社での多忙な毎日

 9月19日に亡くなったファッションジャーナリストのリチャード・バックリー(Richard Buckley)氏は、米国版「WWD」とも深い関係を持ち、ファッションジャーナリストとして大きな影響力を持つ存在だった。

 同氏は1948年にニューヨーク州ビンガムトンで生まれた。アメリカ、フランス、ドイツで育ち、ミュンヘンのメリーランド大学卒業後、79年にニューヨーク・マガジン(New York Magazine)でジャーナリストとしてのキャリアを開始。82年から「WWD」の元親会社、フェアチャイルド(FAIRCHILD)のメンズウエアを広く扱うメディアにて、次世代のデザイナーを次々と発掘した。その後フェアチャイルドを離れ、「ヴォーグ(VOGUE)」などを擁する米コンデナスト(CONDENAST)の元で働く。パリやロンドンでの生活を経て、晩年はロサンゼルス、ニューヨーク、サンタフェで時間を過ごした。米国版「WWD」の元名物記者、ブリジット・フォーレイ(Bridget Foley)がともに働いた日々を回想しながら、思い出を振り返る。

 シャーロット(Charlotte)から連絡があった時、「ああ、リチャードが亡くなったんだ」とすぐに分かりました。シャーロットはリチャードと彼の夫、トム・フォード(Tom Ford)の親しい友人で、ブランドのマーケティングを管轄する人。メッセージには、「電話ください。とても大事なことだから」とだけありました。

 最後にリチャードに“会った”のは今年5月、画面上でのこと。その時もいつものように、まるで興味や関心を見せないように、ぶっきらぼうでした。「WWD」を去った後の人生や娘のライターへの興味について、彼らしいキツめのジョークを混ぜて話していた。低く囁くような声で話す様子に、彼が「WWD」にいたころにすでに発覚していた病気の影を感じながらも、楽しく話していました。

 リチャードは、本当にエレガントな人でした。洞察力に長け、落ち着きもあり、独特なユーモアの持ち主でシルバーのヘアーがよく似合っていた。彼とトムの出会いは有名なことに、「WWD」の親会社だったフェアチャイルドのオフィス屋上で行われた撮影だった。当時トムはデザイナーのキャシー・ハードウィック(Cathy Hardwick)のアシスタントで、リチャードは担当の編集者だった。

 私はその時現場にはいませんでしたが、私とリチャードの友情はそれよりも前に始まった。私たちは「シーン(SCENE)」という若者向けの雑誌の立ち上げの際に出会いました。そのころリチャードは、フェアチャイルドのパリ発信のメンズマガジン「DNR」誌のヨーロッパ管轄の編集長として業界で有名でした。リチャードが去った直後に編集長を引き継いだエド・ナルドザ(Ed Nardoza)によると、「リチャードは圧倒的な才能の持ち主だった。彼の特集や撮影は洗練されていて、唯一無二のものだった。DNRマガジンの品質を一気にあげた」と言います。

 リチャードはフェアチャイルドと強いつながりを持っていたし、同社は彼をニューヨークに呼び戻しました。彼は「シーン」の編集長になる予定でしたが、同誌は複数の理由でたたむことになりました。私も彼もこのプロジェクトが機能していなかったことは気づいてたんですが、どうしようもできず……。それから日常は一転して充実した忙しいものから、ストレスフルなものに変わりました。その中で私たちはお互いを励まし合いながら、特有の深い絆が生まれました。これまでのシンパシー(共感すること)が、エンパシー(他人と感情を共有すること)に変わったのかもしれません。同じ階で働いていた人はみんな私たちと同じように感情を共有しながら働いていました。

 ある時、ちょっとしたことで仕事を一日休んだ時がありました。翌日出社すると、リチャードは代わりにまだ経験の浅い若い編集者と仕事をしていました。その編集者が私の休みの理由を探り「ああ、精神的に疲れてしまったんですね」と言った時に、私は唐突すぎて思わず吹き出してしまいました。するとリチャードは眉を片方あげて、「今更私たちのどちらかがが、精神的に疲れて一杯一杯になっても誰も驚かないだろうよ」と言ったんです。

 常に仕事に詰まっていて、週末もオフィスにいることが多々ありました。ある時、私たちは撮影のために洋服を探すことになりました。土曜日だったので娘のグレイン(Grainne)を連れて行ったのですが、2歳の好奇心旺盛な娘は洋服や靴をめちゃくちゃにしてしまいました。リチャードの性格を考えると、娘に対してでなくとも、少なくとも私にはイライラするんじゃないかとヒヤヒヤ。ところが彼はオフィスの中で子どもが安全に遊べるスペースを探し始めたのです。編集者同士で写真を確認し合うために使われていたフォトプロジェクターに目をつけ、娘を遊ばせました。当時フォトプロジェクターは写真のカセットを挿入して、流れるように見られる仕組みでした。すでに翌日のためにカセットで埋まっていたプロジェクターで娘は何百ものカセットを出しては遊んですっかり夢中に。リチャードはその後一人残ってまたカセットを補充してくれたんです。

 バックリー・フォード家のことを思う時、このシーンをいつも思い出します。リチャードは息子のジャック(Jack)にとって素晴らしい父親だったに違いありません。彼は寛容でクリエイティブで、ありふれた日常を面白くて楽しいものにします。トムが言うには、ジャックが生まれた時からリチャードはバラやユリ、フリージアなど、花を嗅がせるようにしていたそうです。ジャックはフレグランスや香りへの興味が芽生えているとのこと。ほかにも、日常のなんてことない疑問や考えに楽しさを見つけるような教育をしていました。

 リチャードの鋭い審美眼は、彼の大きな強みでした。彼は注目されていなかった芸術品や、誰も知らない新鋭デザイナーのドレスなどに目をつけていました。「シーン」の担当から外れてマガジンも廃刊になった後、リチャードは「WWD」の中で業界のイベントやパーティを取り上げる「ザ・アイ(The EYE)」ページを担当することになりました。初めて担当した大きなイベントは、若かりしころのクリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)が衣装を手掛けたバレエシアターのガラでした。「ザ・アイ」の連載は「WWD」の一つの大きなコンテンツで、WWD創業者のジョン・フェアチャイルド(John Fairchild)も注目していました。

 彼の文化的洞察力や独特のユーモアは「ザ・アイ」連載にピッタリ合っていました。ニューヨークの社交界を切り開き、大御所らと付き合いながらカウンターカルチャーから生まれる新たな流れを掴み取っていきました。これまで培ってきたジャーナリズムのスキルを大切にしながら、エンタメの世界に飛び込んだのです。

 彼がトムとヨーロッパに戻り、「ヴォーグ オム インターナショナル(Vogue Hommes International)」の編集長に就任した後、ばったりショーで会いました。私のレビューを読んだと報告をしてくれましたが、キュロットとスカートを間違えていると指摘。「とても素晴らしいレビューだったけれど、完璧ではないね」と一言。5月に画面上で会った時、彼は相変わらずエレガントでありながらズバズバとモノを言うので、とても楽しかった。話をしていると2人きりでオフィスに篭っていた日々を思い出します。私たちは若くて、タフでした。タフすぎるくらいに。お互いを支え合って過ごしていました。その時から彼はすっかり私のハートを掴んでしまい、今も離してくれません。

 ご冥福をお祈りします。

 ブリジット・フォーレイ

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