10月31日の衆院選挙を前に、経済政策についての議論が活発だ。日本の平均賃金が約30年も変わらず、先進国の中で相対的に貧しい国になった。あるいは、コロナを機に所得格差が一段と広がった。そんな状況が報じられ、選挙の争点になっている。
個人消費にかかわる小売業は、国の経済政策の影響を強く受ける。中でも長い歴史を持つ百貨店は時代を映す鏡だ。高度経済成長を経て一億総中流と呼ばれた時代に絶頂を迎えた百貨店は、バブル崩壊後のデフレ、そして新型コロナウイルスによる危機を経て、富裕層シフトを鮮明にする。
商品構成でラグジュアリーブランドを拡充
「『戻るもの』と『戻らないもの』、そして『さらに成長するもの』ははっきりしてきている」――。
今月半ば、J.フロント リテイリンング(JFR)は決算説明会で2024年2月期を最終年度にした「中期経営計画の進捗」を発表し、コロナ後の百貨店事業の見通しをそんな表現で説明した。中核企業である大丸松坂屋百貨店の基幹9店舗で、顧客別売上高の外商シェアを2020年2月期の23.7%から24年2月期には30.0%に高める。並行して商品別売上高の割合もラグジュアリーブランドを23.5%(20年2月期は17.3%)に、美術・宝飾・呉服を13.0%(同9.2%)に底上げする。一方、ボリュームゾーンの婦人服・婦人雑貨は14.9%(同18.6%)、紳士服・子供服は8.2%(同9.2%)に集約する。
売上構成からは「富裕層シフト」が見てとれる。JFRの好本達也社長は「成長戦略として間違いない」と言い切った。
百貨店の富裕層シフトは今に始まったことではない。コロナ前から外商を中心にした富裕層の消費は拡大を続けて、それ以外の一般客の消費は低迷していた。コロナによってコントラストがより鮮明になった。
富裕層は客数としては少ないが、一般客に比べて客単価がはるかに大きい。百貨店各社のカード会員の分析では、年間購入額10万円以下の会員の消費は減り続けているのに対し、100万円以上の会員の消費は伸び続けている。都心旗艦店の売上高に占める外商シェアは20〜40%。外商は昔から百貨店の強みであったが、中間層の百貨店離れによって重要性が増しているのだ。ある百貨店の幹部は、消費の2極化について「本来なら10年かけて起こる変化が、コロナで早送りになった。われわれも迅速に動かなければ生き残れない」と話す。
従来のマスマーケティングの限界
今年4月に就任した三越伊勢丹ホールディングス(HD)の細谷敏幸社長も、事業戦略の目玉として外商の強化を打ち出す。細谷社長は「マスから個へ」と表現する。「百貨店はずっとマス狙いだった。広く網をかけるのが常識だった。今後は個のお客さまに照準を合わせる。個々のお客さまとの付き合いを深める商売に変わる」
百貨店は駅前の一等地に巨大な店舗を構えて、とにかく幅広く集客することが常識だった。大勢の人を集めて店舗内を回遊させれば、売り場にお金が落ちるからだ。だが、中間層の百貨店離れが進んだことで、不特定多数のマス(大衆)に網を広げるビジネスモデルは限界を迎え、ロイヤリティの高い顧客と密接につながることが高収益に結びつくようになった。
細谷社長には21年3月まで社長を務めた岩田屋三越での実績がある。福岡で細谷社長は外商スタッフと商品バイヤーが専用アプリで連携を強めたり、年間300万円以上を購入する顧客のための貴賓室を設けたりするなど、富裕層の満足度を高める施策を矢継ぎ早に打った。岩田屋三越は、コロナ前の19年3月期に過去最高の営業利益(10年に旧岩田屋と旧福岡三越が統合して以降)を達成。今ではそのノウハウを三越伊勢丹HD全体に広げようとしている。
失われたアッパーミドル市場
百貨店の全国売上高は1991年の9.7兆円をピークにずっと右肩下りで、コロナ前の2019年には5.7兆円まで縮小していた。「ユニクロ」「ニトリ」に代表されるカテゴリーキラー、全国に急増した大型ショッピングセンター、そしてEC(ネット通販)に顧客を奪われたことが敗因だ。
この間、百貨店を下支えしたのは、富裕層とインバウンド(訪日客)だった。これは政府の経済政策の結果といえる。特に2012年12月に発足した安倍内閣によるアベノミクスに起因するところが大きかった。
アベノミクスの柱は、大規模な金融緩和と財政出動による円安の誘導である。
日経平均は継続的に2万円台を回復し、富裕層の資産を底上げした。コロナ禍でも株価の上昇は続き、今年9月には3万円を突破するに至った。野村総合研究所によると、純金融資産を1億円以上保有する富裕層は05年に約87万世帯だったの対し、現在は約133万世帯に増えた。
円安はインバウンド(訪日客)増加に拍車をかける役割を果たした。訪日客の増加は、観光地として日本が魅力的だったからとか、日本流のおもてなしへの共感などと言われたりもしたが、大前提として日本の物価が安くなったからだ。デフレスパイラルで物価と賃金が低く抑えられたため、外国人にとって日本は買い物もサービスもお得な国になっていった。
対照的に、日本の中間層の購買力は落ちた。最近報道が増えているように、日本人の平均年収は30年横ばい。朝日新聞によると、20年度の日本の平均年収は424万円で、30年前に比べて18万円しか伸びていない。欧米や韓国が高い成長率を達成する中、先進国で最も賃金が安い国になった。しかも社会保険料の負担が増えているので、可処分所得は減っている。かつてのように百貨店で少し背伸びをした消費を楽しめる人は少なくなった。
富裕層の金城湯池を守り抜く
コロナによって訪日客はめっきり減った。百貨店の都心の旗艦店では免税売上高が30%に達していたところもあったので大打撃である。高島屋新宿店は、空港型市中免税店「高島屋免税店SHILLA&ANA」を昨年秋に閉めた。
逆に国内の富裕層は、海外旅行を自粛したお金を百貨店での消費に回した。ラグジュアリーブランドのバッグや服、時計、ジュエリーなどが緊急事態宣言下でも活発に売れた。中間層を対象にしたボリュームゾーンの婦人服や紳士服が、在宅勤務の増加もあって苦戦するのと対照的だった。
決算の数字にもはっきり出ている。大丸松坂屋の21年3〜8月期の店舗別売上高を一昨年と比べると、鉄道旅客輸送への依存が高い大丸東京店が49.6%減、大丸梅田店が44.1%減なのに対し、外商など固定客に強みを持つ大丸神戸店が17.3%減、松坂屋名古屋店が16.1%減まで持ち直した。
コロナ前から所得の2極化による中間層の先細りは進行していて、コロナはその状況を加速させたに過ぎない。かつてのように分厚い中間層によって百貨店が再び成長することは難しい。百貨店は最も得意とするところ、外商などの富裕層消費に経営資源を配分しようと足並みをそろえている。
百貨店は富裕層市場で優位性がある。日本の百貨店独自の外商ビジネスは、多くの富裕層と長年の関係を築き、場合によっては何代にわたって信頼関係を保ってきた。ラグジュアリーブランドや呉服・宝飾・美術などの高級商材だけでなく、日常の衣食住に至るまで富裕層の生活をサポートする。欧米のラグジュアリーブランドの間でも、日本の百貨店の「GAISHO」の名前がとどろいているくらいだ。
今後はニューリッチと呼ばれる30〜50代の新しい富裕層に向けて、デジタルなどを駆使した新しい外商ビジネスを築こうと、各社は知恵を絞っている。百貨店のネットワークと総合力を用いて、衣食住から遊び、教養までワンストップでさまざまなコンテンツを提供する。現時点でこの分野は百貨店の独壇場である。
10月に発足した岸田内閣は「成長と分配」を政策テーマに掲げて、中間層の所得の上昇を訴えている。それが実現できるかは未知数だが、いずれにしても数年で成し得る課題ではない。生き残りをかけた百貨店は、まず富裕層市場という金城湯池に経営資源を集める。