ファッション

30周年を迎えた芦田多恵デザイナーに、学生から30の質問

 芦田多恵デザイナーがコレクションデビュー30周年を迎えた。1991年に「ミスアシダ(MISS ASHIDA)」で初のコレクションを披露し、2012年に「タエ アシダ(TAE ASHIDA)」をスタート。18年には故・芦田淳デザイナーから「ジュン アシダ(JUN ASHIDA)」を受け継いだ。いずれのブランドも、上質な素材と手仕事を生かした加工、時代の空気を反映したクリエイションを続けている。

 そんな芦田デザイナーのパーソナリティーに迫るべく、都内の大学でファッションサークルに所属する学生4人が、インタビューを敢行した。好きな食べ物から尊敬するクリエイター、父親との関係、今後のアドバイスまで、等身大な30の質問をぶつけた。

―「タエ アシダ」は来年で30周年を迎えます。当初から長く続けるつもりでしたか?

芦田多恵デザイナー(以下、芦田):そんなつもりはなかったです。私、目の前のハードルを飛び越えることに必死で、10年後の自分とかブランドとかを一切考えられないので(笑)。

―10月には、「タエ アシダ」2022年春夏コレクションをリアルショーで披露しました。どんな思いでリアルショーに挑んだのでしょう?

芦田:世の中にファッションのパワーを再確認してほしい。その使命感で突き進みました。

―当日の感想は?

芦田:本当に楽しかった。私だけじゃなく、ヘアメイクやモデルたちもテンション上がりっ放し。いつもはクールな販売責任者もボロ泣きでした。ここまでの感動はデジタルではまだ生み出せません。

―ショーでのこだわりは?

芦田:一番はモデル。本当に体がきれいで、ちゃんと歩ける人は実はかなり少ない。オーディションは業界でもかなり厳しい方だと思います。

―デジタルコレクションのフル3D映像や複製のアイデアなどはどこから生まれるのでしょうか?

芦田:「こんな感じで撮りたい」と漠然と話していたら、それに適したスタッフやアーティストとご縁があって、広がっていく感じです。

―新しい技術に抵抗はありませんか?

芦田:全くないです。自分でコントロールすると想定内のものしかできないから、むしろ知らない技術やクリエイターとやる方が面白いでしょう?

自分で説明できないなら
その作品の価値は半分になる

―デザインのインスピレーション源は?

芦田:日常の全て。「このデザインはここから採用しました」と明確に言えるものはあまりないです。それもできるけど、つまらないし。今、皆さんとお話していることも、何かと重なって、クリエイションにつながります。

―お仕事で行き詰まったとき、どうやってリフレッシュしていますか?

芦田:違うデザインをしたり、思い切って気分転換したり。そのまま続けても、間違った選択を続けてしまうだけです。

―1シーズンに試作も含めてどれくらいデザインしていますか?

芦田:最終的に発表するコレクションの3倍はデザインしています。最近はiPadで描いていて、違うと思ったらすぐに削除しちゃうから、正確には分かりませんけど。

―iPadなのですね。

芦田:年上のアーティストがiPadで絵を描き始めたと聞いて、すごく衝撃を受けて。コロナでステイホームしているうちにマスターしました。

―「ジュン アシダ」と「タエ アシダ」はデザインの手法にどんな違いがありますか?

芦田:全然違います。「タエ アシダ」はでき上がったデザインに対して、「これはなんだろう」と問いかけながら、ゴールを模索します。一方で「ジュン アシダ」は、デザインチームから上がって来たものを第三者的に判断するから、「これはもっとドレッシーな素材でやるべき」「これはこの色がいい」と自分でも驚くほどクリアに進んでいきます。

―近年はメンズウエアにも挑戦しています。ウィメンズと違う面白さはありますか?

芦田:メンズを手掛けて6シーズン目にして、一つ大きな発見がありました。女性は「きれい」「かわいい」があれば、理屈はいらない。でも男性はそれだけじゃダメで、なぜそうなったのかという理屈や、背景の説明が必要なんです。突き詰めれば生態の違い。こういった気づきが楽しいです。

―男女の違いで言えば、私たちのサークルには男性部員も多く、パンフレットの進行などでレイアウトの説明を求められることもあります。理屈なしで作った場合、どう回答すればよいでしょうか?

芦田:「自分で作ったものを自分の言葉で説明できないなら、その作品の価値は半分だと思いなさい」――私がアメリカの大学(ロードアイランド造形大学)でよく言われた言葉です。アーティストは自分の感覚で作品を作るし、アーティスト同士なら分かりあえるかもしれない。でも、世の中はそうじゃない。クリエイティブマインドでない人に、自分の言葉で説明して伝えるというプロセスがとても重要です。細部まで理由をつける必要はないけど、コンセプトだけは自分の言葉で伝える。これを意識して、説明する癖をつければ、自然と身につきますよ。

意外にも
「オートクチュールは
あんまりやっていません」

―「タエ アシダ」のメンバーは何人いますか?

芦田:アシスタントが2人で、その下に数人のスタッフ、ほかに製図と縫製の担当者がそれぞれ20〜30人です。「ジュン アシダ」は私がクリエイティブディレクターで、 4〜5人くらいのデザインチームを統括しています。

―パターンは自分で引くのでしょうか?

芦田:引きません。でも、パターンを踏まえてデザインしています。大学のカリキュラムが、デザインだけでなくスカートからオーバーコートまでパターンも習得する内容だったから、頭に入っています。

―芦田デザイナーにとって黒はどんな色?どんなときに使いたくなりますか?

芦田:その人がむき出しになり、デザインが際立つ色。クリエイティブなものを作りたいときに使います。

―「タエ アシダ」はどんな人に着てほしいですか?

芦田:洋服のみならず、ライフスタイルに軸を持っている人に着てもらいたいです。あとは、社会で活躍する都会的な女性にも支持されたらうれしいですね。

―オートクチュールの面白さはなんですか?

芦田:実はあんまりオートクチュールはやっていません。父も、“高級服といえばオートクチュール”の時代に、「理想的な体型をイメージした洋服に、その人の体を入れた方が美しいのでは」という発想で高級な既製服を作りました。私も同じです。クチュールの技術者もいますし、たまに作りますが、基本はプレタです。

―アパレルで働く中で大切にしていることは?

芦田:ものづくりかな。産業だから、利益を上げるとか、大量に作って安価にするとか、いろいろな戦略もありますが、私たちはやりません。

―サステナビリティな取り組みはしていますか?

芦田:いいものを無駄なく作り、できるだけ値段を抑える。この基本姿勢を続けていくことが一番だと思っています。ほかに、具体的な数値目標の掲出や、洋服を回収する仕組み作りも進めています。

―Z世代に向けてやりたい企画は?

芦田:Z世代の人って、日本をすごい国だと思っていないと思う。でも私たちバブル世代は、 “ジャパンイズナンバーワン”の気持ちで育ってきた。順位はどうでもから、日本は今もいい国で、ものづくりも素晴らしいというメッセージを届けたいです。

―好きな食べ物はなんですか?

芦田:基本何でも食べます。和洋中全部好き。でも、「今後それしか食べられない」と言われたらパンとチーズを選ぶかな。

―毎日欠かさないルーティンは?

芦田:メディテーション。コロナになってから、毎朝20分くらいやっています。正直、“無になる”とかよく分かんないし、雑念だらけ(笑)。ただ、頭の中の状態がよく分かるのがいい。

―尊敬するデザイナーやクリエイターは?

芦田:父はもちろん、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)とイブ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)もすごく好きです。ラクロワはまず、絵が天才的にうまい。彼とわが家は深い関係があって、彼が20代で無名のころ、トレンドを日本に持ってくる仕事をお願いしていました。次はこういう色が来る、シルエットはこんな感じ、とか。そのムードを伝えるため、自分で絵を描いてくれていて、それが本当に素晴らしかった。私はデビュー前に2回彼の元で研修もさせてもらって、今でもいい関係です。

 サンローランは、もはや説明不要。世の中には、時代を一歩先、半歩先に進める使命を持った人がいる。彼はその使命を持っていました。

―憧れの女性像は?

芦田:自分のキャリアと社会貢献のバランスが取れていることかな。あとは、どんなライフステージでも、自分に対する美意識を持ち続ける人がやっぱり素敵だと思う。

―80年代や90年代はSNSやネットがなく、能動的な情報収集が普通でした。個人的に、今よりもおしゃれな人が多かったと思うのですが、芦田デザイナーはどう考えますか?

芦田:私はむしろ今の方がおしゃれだと思います。80年代、90年代は「これがトレンド」というアイテムをこぞって身につけて、みんな同じ格好をしていた。今は選択肢が広がって、自分の好きなものを、自分のセンスでコーディネートしています。ただ、薄味にはなったかも。でもそれが悪いことではなく、そういう時代なのでしょうね。

―幼い頃からファッションデザイナーを夢見ていたのでしょうか?

芦田:夢見るというか、“なるもの”だと思っていました。私は姉と二人姉妹で、姉はものづくりが大嫌い。私は絵を描くのが大好き。だから私がデザイナーになるんだなって。同級生からも「タエちゃんはデザイナーになるもんね」って言われていました(笑)。

―他の道に興味がわいたことはありませんでしたか?

芦田:写真に興味を持ったことがあります。アメリカの大学でフォトグラフィーの授業を受けて、すごく楽しかった。しかも父の友人で写真界の巨匠に自分の作品を見せたら、絶賛してくれて。「デザインよりも写真に進むべきかも」とさえ思いましたが、次の作品を見せると「前の方が良かった」とあっさり言われて、踏ん切りがつきました。

―日本と海外のファッション業界の違いは?

芦田:日本は新しい人を見出すことに特化している。ファッションはビジネスだから、インキュベーションはとっても重要。でも、長くファッションに携わっている人にも目を向けないと、上っ面な産業になっちゃう。そのバランス感覚が必要かもしれません。

―故・芦田淳デザイナーはどんな父親でしたか?

芦田:すごく子煩悩な人だった。私が中学でバスケ部に入りたいと言ったら、「土日に試合があるでしょ?土日しか一緒にいられないのに、そんな部活はダメだ!」と言われたくらい(笑)。

―デザイナーとしては?

芦田:本当に不思議な人でした。30代前半で皇室の専属デザイナーになり、80歳までものづくりがほとんど変わらなかった。動物的な勘が働いて、いろんなことが最初から分かっていたのかな。

「昔がよかった」はない
毎回“楽しい”を更新し続ける

―30年間で最も印象に残っているコレクションはなんですか?

芦田:「ミスアシダ(MISS ASHIDA)」の1996年春夏コレクションです。“お見合い服”として知られるスイートなブランドで、91年に父からデザインを受け継ぎました。ずっと同じイメージでデザインしていましたが、ある日、「父の真似事で洋服を作るのはもういいや」と、アニマル柄を多用したワイルドなコレクションにしちゃいました。賛否両論があり、離れるお客さまもいたけれど、ブランドを新しく知ってくれたり、「いいじゃん、こういうの」と支持する人も多かった。それ以降、“作りたいものを作る”というマインドで、今もデザインを続けています。

―30年間で辞めようと思った時期はありましたか?

芦田:ありません。そもそも、辞めるタイミングがない(笑)。コレクションが終わった次の日には来季の生地を探し始めますから。ものづくりはもちろん辛いけど、最近はその苦しみも楽しめるようになってきた。父は最後の10年くらい、「生みの苦しみがなくなった。楽しくてしかたない」と言っていました。今はそれを目指しています。

―最も楽しかったコレクションは?

芦田:最新の22年春夏コレクションですね。「昔がよかった」と思うことは一度もなく、毎回“楽しい”を更新し続けています。

―チャレンジングな姿勢を保つ秘訣は?

芦田:「これが必要」と確信したときらすぐにやること。昨年は、ラウンジウエアやホームウエアなどに特化した新ブランドを3つ立ち上げたし、メンズウエアも「今シーズンからやります」って宣言して、勉強しながら仕上げました。いつかやろうじゃ絶対にやらないし、火事場の馬鹿力が必要なんです。

―今後チャレンジしたいことは?

芦田:まだ降りて来てません。降りて来てたら、すでにやってます(笑)。

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