「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材をたたえてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第2回は、「ジャーナル スタンダード(JOURNAL STANDARD)」や「イエナ(IENA)」、「スピック&スパン(SPICK & SPAN)」などのアパレル業態のほか、家具や飲食、フィットネス事業も手掛ける杉村茂ベイクルーズCEOに話を聞いた。
WWD:自身がネクストリーダー世代だったころ、どんなふうに仕事をしていた?
杉村茂ベイクルーズCEO(以下、杉村CEO):その頃の僕は、ネクストリーダーというよりも、下働きだった。高校卒業後、どうしても服屋になりたくてジュンに入社した。最初は希望したブランドとは別のブランドに配属されたが、突っ張って自分が着たい服ばかり着ていた。すると、異例にも半年後には当初希望したブランドに再配属された。しかし、そのブランドも2年ほど続けると飽きて、「もっとこういうものを作った方がいい」とビビりながらも本社の会議に出席させてもらったこともあった。生意気な若手だったと思う。
WWD:その後、22歳でベイクルーズへ転職した。どんなことを学んだ?
杉村CEO:当時のベイクルーズは、8人ぐらいの小規模なメーカーで卸売事業をしていた。私は営業で、お得意さんと話して単価の高い別注をどれだけもらえるか、どうやったら売り上げを出せるかを四六時中考えていた。インラインの商品をいかに売るかも当然大事なことだが、そればかりでは大きな売り上げを作ることはできない。ゼロからモノを作り出し、売り上げを取る方法を学んだことは、大きな財産だ。ウィメンズ商品が売れた時の爆発力を学び、ウィメンズでビシネスする感覚もその当時に身についた。小さな会社だったので、生地屋に行って自分で生地を探したり、工場とやりとりしたりすることも多かった。今は、モノ作りから販売まで全ての工程に関わることはなかなかできない。大変だったが、恵まれた環境だったと思う。徐々に会社が直営店経営へシフトし、「イエナ」のディレクターを任された時も、その経験があったからどこで何が滞っているかがよく分かった。今の新卒社員にもジョブローテーションのような制度を設けて、経験させてあげなければとも思っている。
WWD:当時から自分が望んでいない業務にも夢中になれた?
杉村CEO:夢中になるというよりも、とにかく売り上げを取らなければ怒られるからと苦し紛れだった。業務が多すぎて家にも帰れず、土曜日の夜中まで仕事して、日曜日は寝るだけのような生活。それでいて「何かネタはないのか」と突然聞かれることもあるので、それに備えるなど常に緊張感のある毎日だった。
WWD:そんな過酷な環境でも続けられた理由は?
杉村CEO:お金がなかったから(笑)。少ない給料で、4万、5万円するパンツを買って遊びに行っていては常にお金がない。でも、昔はそれが当たり前で先輩たちもみんなそんな生活だった。もちろんつらいだけでなく、ゼロからモノを生み出したり、売り上げを取れたりした時の達成感は随所にあった。
壁は越えてナンボ。どれだけ踏ん張れるかが大事。
WWD:当時どんなキャリアパスを描いていた?
杉村CEO:20〜30代の頃は給料をもらったら、好きな服を買って、焼肉を腹いっぱい食べに行こうくらいしか考えていなかったと思う(笑)。ただ、時代が右肩上がりだったから、入社以来給料が下がったこともなかった。自分の成長とともに会社も大きくなっていく時代だったから、そういう意味では、今の若い人たちと比べると幸せだったと思う。
WWD:特に苦労した思い出は?
杉村CEO:当時の営業は、取引先から代金を回収しなければならず、まるで取り立て屋だった(笑)。つぶれてしまって払えないとか、地方まで行って回収できないこともあった。それから、人見知りで、人と話すことが苦手だった。よく営業職ができていたなと思う。窪田(祐前社長)も私が社長就任した際に、「杉村はお世辞の一つも言えない」と言っていた。昔2人で車に乗っていた時も何を話していいか分からず、気まずい思いをしていた。「イエナ」のディレクターに就任して4、5年たったころ、チームと意思疎通がうまくできず、それがこじれて人間関係が悪くなった時もある。あの時は一番つらかった。
WWD:どのように克服した?
杉村CEO:その時は長く時間をかけて少しずつ修復した。今でも話す内容があれば話すが、あまりべらべら話せる方ではない。
WWD:今の20〜30代に対し、仕事への向き合い方として伝えたいことは?
杉村CEO:当時は何かしくじれば「ばかやろう」とぶたれる時代だったから、今よりも失敗に対するあたりは強かったはず。私は何か失敗したら逃げようと思っていたくらいだ(笑)。失敗することへのハードルが下がっているにもかかわらず、挑戦しないのは本当にもったいない。壁は越えてナンボ。壁を越えていかないと、到達するところはろくなところではない。どれだけ踏ん張れるかがとても大事だ。
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