とあるレポートによると、現在360億ドル(約4兆1400億円)というアメリカの古着市場は今後5年で倍増し、770億ドル(約8兆8500億円)相当に達するという。8兆円とは、世界のデニム市場よりも大きな規模。さらに2030年までには、ファストファッション市場の2倍以上になるとも言われている。日本はどうだろうか?
私自身は、幼い頃から古着に抵抗がなく、中学生のころに訪れたメルボルンのビンテージマーケットを皮切りに、原宿の「ハンジロー(HANJIRO)」や「シカゴ(CHICAGO)」「ピンク フラミンゴ(PINK FLAMINGO)」、高円寺や下北沢を巡り、宝物探しに没頭した。今はデザイナーとして、サンプルのような感覚で掘り出し物を購入してヒントを得ることも少なくない。昔と少し変わったことといえば、まず「メルカリ(MERCARI)」を見るようになったくらいだ。
15~17歳くらいまでは、米ウィスコンシン州の田舎町で暮らしていた。友人に誘われて初めて行ったのは、「スウィフトショップ(不用品を受け取り、補修・販売して収益を寄付する店舗)」と呼ばれるところ。そこには汚いTシャツから掘り出し物、コップやお皿、子どものおもちゃまでなんでもあって、そのほとんどが数ドル。地域に根ざした、ある種のコミュニティのような場所の商品は、ほとんど全てが高くても10ドル(約1150円)くらいだった。
その後23歳でニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザイン(PERSONS SCHOOL OF DESIGN)に入学。校舎の隣には、オシャレなスウィフトショップがあった。ファッション・スクールのすぐ隣にオープンするのは、ニューヨークらしいところ(日本でも、某ファッション大学などの横に作ったら、きっと盛り上がりそうだ)。オシャレな子が私物をお金に換えるから、そのスウィフトショップはどこよりもオシャレだった。欲しいものに出合ってしまうため、手にしたお金は、またお店に支払われるという“完全循環型”のショップだった。連日の大賑わいを見て、アメリカではこんな循環が「古着好き」の間だけで成立しているのではなく、習慣として、広くに根付いていることに気づいた。
数十年前に起こった日本の古着ブームで、アメリカに眠る古着は日本人バイヤーに買い占められたという。今なおカッコいいロックTをゲットしたいなら、来日するのが確実らしい。
ただ、日本にも古着ラバーは多いが総数はアメリカほどではないし、売れる商品もまだまだ限られている気がする。「オシャレするときは、古着を一着」なんて人は、今も多いのではないだろうか?ハイブランドのバッグでさえ、「中古=新品を買えない人が買うもの」という風潮はいまだに存在する。ヨーロッパでは、親族の形見なんかは新品より大切に、誇りを持って扱われるのに。もともと持っていた日本人のモノを大切にする心は、戦争と高度成長期によって失われた。
だが、Z世代の古着への興味と参入は止まらない。親に「そんな汚いもの、買ってきて!」と怒られても止まらない。なぜなら彼らは、新しい価値観でモノを選ぶようになっているから。今後、リメイクはどうなるのだろう?中高年の高額ビンテージデニムへの興味は、他の商品にも波及していくのだろうか?古着にまつわる価値観の考察については、次週も続けたいと思う。