ファッション

「ビームス」設楽社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.5

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第4回は、「ビームス(BEAMS)」の社長で、ファッションやカルチャーを通じて世界にハッピーを届ける設楽洋社長に話を聞いた。

WWD:設楽社長のキャリアのスタートは?

設楽洋ビームス社長(以下、設楽):僕はもともと、アーティストやミュージシャンといった、一芸に秀でたクリエーションに関わる人々に強い憧れがあった。自分もそうなりたいと思っていたし、実際に絵や音楽、スポーツなど割と器用に何でもできるタイプだったけど、やっぱりトップの人にはかなわない。そこで、プロの人を集めて何かを生み出すプロデューサーも一種のクリエイターだと考え、まず広告の世界に入った。学校を卒業した1975年に電通に入社して、その1年後には「ビームス」の創業に参画した。最初は「ビームス」だけで食える状況ではなかったので、足掛け7年両方の仕事をするような生活だった。当時は「24時間働けますか」という時代で、早く仕事を覚えたい一心で、下っ端のイベントプロデューサーとしてがむしゃらに働いた。

WWD:当時、周りの同僚に比べて自分はこれは負けないと思っていたことはあった?

設楽:早く一人前になりたいという気持ちは人一倍強かったと思う。業界では、どれだけ面白いアイデアがあっても、「あなたいくつですか?」と経験値が問われる。それがすごく嫌で、早く30歳を越えたかった。だから一生懸命、経験がありそうな格好をして、メッキを張って自分を大きく見せていた。例えば、会話の中で知らない言葉が出てもその場では分かったフリをして、その後に必死に調べた。メッキが剥がれる前に、知識を自分のものにする努力をした。当時はモノと情報がなかった時代。何かを調べるためには、訳知りの人や優れた人に直接会って情報を集めるしかなかった。仕事もしたけど、よく遊んで、いろんな業界の人に会い、たくさんのことを教えてもらった。

WWD:その経験がゆくゆく武器になった。

設楽:電通のプロデューサー時代も、ビームスを始めた時もさまざまな分野をかじっていたことが武器になった。僕は、店作りは総合芸術だと思う。商品のほか、インテリアや音楽を考えたり、販売スタッフをどう役者として立てるかも考えたりする。商品関係の人、インテリアデザイナーの人、スタッフを教育する人、さまざまな立場の人と話ができなければ、プロデューサーはできない。広く浅くいろんなプロたちと話ができる技術が大切だ。

今も昔も時代が変わる現場に立ち会うことが好き

WWD:好奇心と行動力は持って生まれたもの?それとも誰かに鍛えられた?

設楽:小さいころから、何でも興味津々だった。僕は新宿生まれだったから小・中学校のころは、夜に家を抜け出して歌舞伎町の街を見に行ったりするような子どもで、混とんとした文化の現場を見たいという興味が強かった。昔から何が時代を動かしているのかを観察し、時代が変わる現場に立ち会うことが好きだった。仕事でもそういうことが起こりそうな場所には、担当関係なしに先輩に頼み込んで、お荷物のように顔を出した。今でもそうだが、無名のころから行きたい場所に行く、会いたい人に会うことに関しては貪欲だった。まだドルが360円の時代にアメリカに憧れて、どうにかアメリカの雰囲気を味わうために、米軍キャンプに忍び込む方法を考えたり、どんなに有名人でも、高校時代の友人とはご飯を食べに行くだろうと考えて、まずはその友人と友達になれば会えるかもしれないとか考えたりしていた。結局会いたくても会えなかったのは、ジョン・レノンとアインシュタインくらい(笑)。

WWD:たくさんの人と会う中で、気を付けていることは?

設楽:誰に対しても同じ態度で接すること。決していばらないけど、ヘコヘコもしないことをポリシーにしている。今は「ビームス」の社長だから、構える人は多いと思うけど、極力オープンマインドで隙を作って、「タラちゃん」と呼ばせる。会社でも僕のことを社長と呼ぶ人はいない。「ボス」か「タラちゃん」か。社長室もあえてフロアの一番手前に作って、来客の顔がすぐに見え、社員が入りやすいようにドアはいつも開けている。年上の人には、生意気だなと怒られた経験もあるけど、長く付き合う人には、自分らしい態度を続けることで分かってもらえる。そっちの方がかわいがられるし、得だと思う。

WWD:駆け出しのころの苦労した思い出は?

設楽:「ビームス」を始めて少しして、ロゴトレーナーのブームが起こり、売り上げの半分くらいがロゴトレーナーだった。このまま行くと、自分が目指すカルチャーを売る店ではなくて、単なるキャラクターショップになってしまうと思った。なかなかやめられなかったが、ある時やめる決断をした。もちろん売り上げは落ちたが、今となってはその後の「ビームス」を作ってくれた成功例になっている。その時に大事なことは引き際だと学んだ。それでも、次の渋カジブームのときには、紺ブレがとても売れてどんどん追加生産しろという指示を出した。そのうちほかの多くの店も安い紺ブレを出すようになって、ある時突然ブームが終息した。ロゴトレーナーのときに学んだはずなのに、ものすごい在庫を抱え、経営が圧迫された。以降、センスとは引き際だと思っている。旬を過ぎて、POSのデータが跳ね上がるときは、一般の人々に行き渡って、早いお客さまはすでに次に進んでいる。長い目で見ると、いつまでも同じことをしていては、ブランドの陳腐化につながる。

WWD:20代、30代のころに持っていた目標は?

設楽:僕はソフト型の経営者なので、何年後に何十億狙うぞ、ということは考えていなかった。ただ、6.5坪(約21.5平方メートル)の1号店をオープンしたときに、「日本の若者の風俗・文化を変えるぞ」という夢はあった。今も日本一もうかる会社になるよりも、日本一周りを笑顔にする会社になりたいと思っている。きっと社員も同じ思いのはず。上場しないんですか?と聞かれることも多いけど、少なくとも僕がいるうちはしない。やめなければいけないことがいっぱいあるから。僕は社員たちに「努力は夢中に勝てない」と伝えている。自分が夢中になって楽しんでいることは人にも伝わる。どうせ、仕事をするならそういうものの方がいい。右に行った方が儲かるが、左に行った方が楽しいと言われたら、僕は左を選ぶ。それがビームスだ。

WWD:夢中になれることを見つけられない人も多い。

設楽:いろんな人と会ったり、いろんな景色を見たりすることで確実に見つかる。僕が仕事で欲しい人は2種類いる。一つは、自分が憧れてなれなかった一芸に秀でた人。もう1つは、僕みたいないろんなことを広く浅く、理解できる人。いろんな経験を重ね、刺激を受けることで、こういう人になりたいというビジョンが見えてくると思う。僕自身も、若い人たちにパワーを与えたいと思っている。ただ方法論を伝えるのではなく、情熱のタネを植えて、モチベーションをデザインすることがすごく大事な時代だと思う。

自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ

WWD:今の20~30代に伝えたいメッセージは?

設楽:自分の目で見ろ、会いに行け、世界を体験しろ、とすごく伝えたい。僕が20代のころは、モノと情報がないために飢えていた。今の若者は、モノと情報があふれているために飢えている。情報へのアクセスが簡単な現在は、その情報を分かった気になってしまう。でも、実はそれを取り巻く環境にものすごくヒントがある。胸がキュンとする瞬間も自分が調べている情報の周りにあることが多い。人に話を聞き、いろんな場所を駆けずり回って、そこで得た情報を自分でつなげる作業の中で、一つの答え以外の知らなかった周辺の事柄を知ることができる。データだけではなく、生身の自分が感じた体温があり、手触りがある情報を取りに行くことがすごく大事。

WWD:今の若い人たちに物足りないなと感じることはある?

設楽:もちろん今の世の中、将来への漠然とした不安があるのは分かるけど、能天気でもいいからプラス思考でいてほしい。僕が新卒採用の面接に参加する時は最後に必ず、「今までの人生で自分は強運だと思いますか」と聞く。本当に強運なら、是非一緒に働きたいし(笑)、周りから見てそうでもないけど本人がそう思うようなプラス思考な人の方がきっといろんなことを切り開いていくと思うから。僕は、家に寝っ転がって友達と一緒にテレビを見ながら、「俺この人に会いたい」って言っているような能天気だったから(笑)。

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