ウィンタースポーツの花形競技の一つであるフィギュアスケート。北京冬季五輪でも、団体戦での日本チーム銅メダル獲得に心を踊らせ、これから始まる個人戦も固唾を飲んで見守るというファンは多いだろう。選手の演技を引き立てる存在として、フィギュアに欠かせないのがきらびやかな衣装だ。フィギュア衣装の分野で、現在ぐんぐん存在感を高めているのがデザイナーの伊藤聡美さん。今回の北京大会でも、3連覇の期待がかかる羽生結弦選手を始め、鍵山優真選手、樋口新葉選手、アイスダンスの小松原美里選手・尊選手という注目選手陣の衣装を手掛けている。伊藤さんに、衣装デザイナーを目指した経緯やその醍醐味について聞いた。
WWD:いつからフィギュアスケートの衣装デザイナーを目指すようになったのか。
伊藤聡美デザイナー(以下、伊藤):もともと衣装デザインを専門でやりたいと考えていたわけではありません。服飾科のある高校に進学して、パリやミラノコレクションを特集した雑誌を見るようになって感じたのが、「服でこんな表現もできるのか!」ということ。「私もこういう服を作る側に回りたい」と思ったのがデザイナーを目指した原点です。高校卒業後はファッション専門学校のエスモードジャポンに進学しました。他にも候補の学校はありましたが、エスモードの学生が作っているものが一番“尖っている”印象を受けたんです。当時はモード、特にクチュール(オートクチュール。顧客一人一人に合わせて仕立てる高級注文服のこと)の表現に興味がありました。憧れていたデザイナーは、故アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)です。
WWD:エスモード3年時には、英国のノッティンガム芸術大学に留学している。
伊藤:神戸ファッションコンテスト2008に入賞し、副賞として留学することになりました。そのままヨーロッパのメゾンで仕事をしたいと思っていましたが、滞在ビザの問題もあって残念ながらその夢は叶わず帰国することに。日本での就職を考えたけれど、日本の一般アパレルブランドや会社では自分が入りたいと思うようなところが見つからない。そのとき頭に浮かんだのが、フィギュアスケートの衣装デザイナーです。元々フィギュア自体はすごく好きで、エスモード時代から試合を見るために仙台などへ“遠征”していたので、当時の先生や友達は「あの子のフィギュア熱はヤバい」と感じていたと思います(笑)。そんなに好きだったのに、それまでは衣装デザインという視点で考えたことがなかったんです。それで(バレエやフィギュアの衣装を手がけるダンス衣料大手の)チャコットの採用試験を受けました。面接の最初の段階から「フィギュアの衣装がやりたい」とアピールしていましたね。
WWD:チャコットでは念願のフィギュア衣装を担当し、4年後に独立している。大きな会社を離れることに不安はなかったのか。
伊藤:独立したら仕事の依頼が来ないんじゃないかという不安はもちろんありました。ただ、会社員のままだと、自分が手掛けた衣装も自分のデザインではなく、会社のデザインになってしまう。チャコットでは非常に多くのことを学ばせていただきましたが、どうしてもそこに葛藤があったんです。独立してからは仕事につなげるために積極的に営業をかけるようにしており、それは今も続けています。選手が拠点としているスケートリンクに電話をして、まずはコーチにアプローチする。そうすると「とりあえず見たいから、何着か持ってきて」と言ってくださる方も多いんです。一番最初に衣装を持って行ったのが今井遥選手(18年に現役引退)のところでした。偶然持って行った衣装を今井選手やコーチがとても気に入ってくださり、採用していただけた。そこから口コミで他の選手にも広がっていきました。フィギュアは狭い世界なので、口コミが大事。選手のお母さんが自分の子どものために衣装を作っていて、それが評判を呼んで他の選手からも制作依頼が入るといったケースも多い中で、服飾を専門的に学んで、企業デザイナーをしていたという私のような経歴は非常に珍しがられます。
五輪シーズンは60〜70着を制作
納品後も修正が続く
WWD:1シーズンに何人の選手に合計で何着ほどの衣装を制作しているのか。
伊藤:制作を手掛けている選手は、ジュニアの方なども含めて30〜40人ほど。1シーズンに少なくとも40〜50着は作ります。今年は五輪シーズンなのでもっと多く、60〜70着は作りました。五輪シーズンは試合会場となるスケートリンクの座席や広告の色、ライバル選手の衣装の色などに合わせて臨機応変に対応すべく、1つのプログラムで複数の衣装を作る選手が多いためです。
WWD:実際にどのようなスケジュールでデザインを決定し、制作していくのか。
伊藤:選手から制作の依頼が届くのが毎年4〜5月ごろ。依頼の時点でコレクション画像の切り抜きなどを添えて「こんなデザインがいい」とおっしゃる方もいますし、音楽データや振り付けの動画だけを渡されて「あとは伊藤さんのイメージで」とおっしゃる方もいます。デザイン画を2〜3枚提出してデザインを決定、1カ月後に仮縫いをします。納品は仮縫いから1〜2カ月後。早い選手は8〜9月から試合が始まるので、それに間に合わせなければいけません。動きやすさなどを追求し、仮縫いを3回、4回と繰り返す選手もいます。また、納品したらそこで終わりというわけではなく、自身の試合の動画を見た選手から「装飾を足したい」などの依頼が入り、試合ごとに修正を重ねるケースもあります。シーズン最盛期に向けて選手の体はどんどん絞られてくるので、サイズを詰めることも必要になります。
WWD:衣装をデザインする上で気をつけているのはどのような点か。
伊藤:例えば女子選手にはスピンが得意な方が多いので、回ったときにスカートが花びらのようにきれいに広がることを意識しています。また、スタイルがよりよく見えるように、スカートのサイド部分を短くするといったこともあります。あまり知られていませんが、フィギュアスケートは女子選手もパンツスタイルでの演技が規定として認められています。脚のラインが逆に強調されるので日本の選手にはあまり選ばれませんが、衣装のデザインやスタイルのバリエーションはもっと増やしていければとデザイナーとして思っています。パターンと縫製は個人でやっている方に外注していて、エアブラシなどでの染色やビーズ刺しゅう、ラインストーン装飾などは私がアトリエで1つずつ行っています。1着あたりの価格は、ジュニアの選手なども含めた平均で20〜30万円ほどです。
選手にコーチ、振付師、親
皆の意見を合わせるのが大変
WWD:通常の服とは違う、フィギュア衣装デザインの醍醐味や、苦労するポイントはどんなところか。
伊藤:全て1点もので、それを選手が着て活躍している姿を試合会場やテレビで見ると、やはり何ものにも代え難い感動があります。引退する選手から「もっと伊藤さんに衣装を作ってもらいたかった」というメッセージをいただいたこともあり、胸がいっぱいになりました。一方で、制作は私と選手の間だけでのやり取りで進むものではなく、実際には選手の周りにはコーチがいて、振付師の方がいて、親御さんがいて、というように関わる人がとても多い。皆の意見をすり合わせていくことがなかなか大変です。先ほど言ったように納品したらそれで終わりではないし、出来上がった衣装が「やっぱり着てみたら違った」となって、一から作り直すケースも特に五輪シーズンは少なくありません。それだけ五輪は選手にとって特別な大会です。
WWD:北京五輪に出場する選手に限っても、羽生選手は7年、樋口選手は5年、小松原組は2年間衣装制作を手掛けており、選手からの信頼は厚い。鍵山選手を手掛けるのは今年からだが、五輪シーズンから任されるということも信頼の表れだろう。
伊藤:選手やそのチームの皆さんに、そんなふうに感じていただけているならありがたいです。長い期間ご一緒するようになると意思疎通もしやすくなり、安心感があるんだと思います。フィギュアが大好きなので、これからもフィギュアの衣装デザインは核として続けていきたいと思っています。同時に、バレエや新体操の衣装デザインの仕事ももう少し増やしていきたい。いつか、バレエ団の衣装を丸々デザインするのが夢です。
WWD:伊藤さんのようなフィギュア選手の衣装デザイナーに憧れる、デザイナーの卵たちにメッセージを。
伊藤:「どうやったらフィギュアの衣装デザイナーになれますか?」という質問や「インターンをさせてください」といった依頼を、実はインスタグラム経由などでよくいただきます。服飾専門学校生の場合もありますが、高校生や一般の会社員の方からのケースも多いです。「衣装デザイナーになるには絶対この道」というものはありませんが、個人的な考えとして、私は服飾の基礎はやはり学んだ方がいいと思う。私自身、基礎を学んできた背景があるので、何かあったときはパターンも縫製も自分で対応できますから。服飾専門学校の側も(衣装デザインのコースなどを設けているところは多くはないが)、世の中にこういったニーズがあることは知っておいてもいいんじゃないかなと感じます。