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「ヴィーナスフォート」誕生から閉館までの波乱万丈 仕掛け人たちが見た夢

 東京・お台場エリアの森ビルの商業施設「ヴィーナスフォート」は、3月27日の完全閉館に向けてカウントダウンが進んでいる。1999年8月25日に「女性のための美のテーマパーク」としてオープンし、非日常の劇場型ショッピングモールとして話題を創出。のちに、23区初のアウトレットゾーンを開設したり、インバウンドブームに沸くなどして、開業以来、延べ約2億人の来館者を迎えた。この館を総合プロデュースしたのは、「ファイナルファンタジー」の生みの親であるスクウェアの創業者の宮本雅史氏だ。当初は10年間の期間限定事業だったものの、時代に翻弄されて22年にわたって営業することになった。この間、さまざまなドラマも生まれた。あらためて「ヴィーナスフォートの誕生」を振り返り、記憶を記録にとどめたい。

 ヴィーナスフォートは、「女性のためのビューティ・テーマパーク」をコンセプトに、“全天候型のテーマパーク型ショッピングモール”として、1999年に開業した東京・青海のパレットタウン内にオープンした。

 開発を手掛けたのは森ビルと、大ヒットゲームで映画にもなっている「ファイナルファンタジー」の生みの親である宮本雅史氏、そしてコンサルタントとして携わったのが大前研一氏だ。

「ファイナルファンタジー」の宮本氏がプロデュース

 33歳でスクウェアの社長を辞めた後、顧客の声を企画に生かしたSPA型のウィメンズブランド「ファイナルステージ」を、エスシステム社を通じて1995年春にデビューさせていた。同じころから、都心でターゲットを若い女性に絞ったテーマパーク型ショッピングモールを開発する構想を抱いていた。

 相談を受けた大前氏は、96年から1年にわたり可能性やあるべきビジネスモデルを調査・研究し、勝機はあると結論を出した。しかし、時はバブル崩壊後の失われた10年の真っただ中。実際に開発・運営ができるパートナー企業が見つからず、お蔵入りしてしまった経緯があった。

 そこに、森ビルの森稔社長(当時)と、臨海副都心の土地との縁が生まれたのだ。

 もともと臨海副都心は、鈴木俊一都知事時代に、第二の大手町を創ろうと計画されたもの。けれども、91年にバブルが崩壊。95年都知事選で青島幸男が東京都知事に当選。公約の一つだった翌年開催予定の「世界都市博覧会」の中止を決定したこともあり、臨海副都心の開発は頓挫していた。

 青海S街区と呼ばれた東京都所有の土地を森ビルと三井物産に貸与し、10年間暫定利用することが決定した。大観覧車や、トヨタ自動車の体験型エンタメパーク「メガウェブ」、ライブ会場のZEPP TOKYOなどを集積した大規模複合施設パレットタウンの開発が計画された。森ビルはそのウエストモールに、大型ショッピングモールを構えることになった。

幻に終わった「ナイキタウン」誘致

 最初の計画では、幅広いターゲットに向けた商業施設とし、その核テナントに「ナイキタウン」を誘致するプランが進んでいた。森社長はナイキの社外取締役を務めていた大前氏に橋渡し役を依頼。米ポートランドのナイキ本社でフィル・ナイト会長と交渉し、前向きな答えを得たが、担当者らの反対や、集客力や売上高への不安などから、幻に終わってしまった。

 その失敗が、宮本氏が森社長に温めてきた構想を提案する機会につながり、ヴィーナスフォートの誕生に寄与することになった。宮本氏は構想をプレゼンするだけでなく、50%ずつの合弁事業とすることまで提案した。森ビルと宮本氏のエスシステム社が100億円ずつ出資しあい、ヴィーナスフォート社を設立。宮本氏の構想をもとに、ハードやテナント開拓の領域をアークヒルズやラフォーレ原宿などを手がけてきた森ビル、ソフトの領域を宮本氏の企画会社のバネットが担った。総合プロデューサーは初期の「ファイナルファンタジー」と同様、宮本氏が務めた。ヴィーナスフォート開業当時、まだ43歳の若さで、マスメディアにも姿を現さないことで有名だった宮本氏の存在が、ヴィーナスフォートへの期待度や神秘性を高めることに大きく寄与した。

お台場にイタリアの街並みを再現

 ヴィーナスフォートはパレットタウン・ウエストウォークの2、3階の約4万4100平方メートル、長さ295メートルの縦長の建物内に、5つの広場を中心に、全長約400メートルのメイン導線(メインプロムナードと呼んでいた)を走らせ、そこにわざと複雑に脇道のようなサブ導線を配した。これで総導線は1.5キロメートルになり、ラビリンス(迷路)のような作りで没入感を高め、時間消費を楽しめたり、いつ来ても何度来ても新鮮さや、偶然の出会いが生まれるような仕掛けとした。

 内装の参考にしたのは、ラスベガスの巨大ホテル・カジノの「シーザーズ・パレス」内にあるショッピングモール「フォーラム・ショップス」だ。1平方メートル当たりの売上高が米国ナンバーワンといわれるクローズドモールで、ローマの古い街並みの内装や、天空の色が変わる空間演出などもお手本にしている。

 単に手本にしているだけでなく、本物志向に徹した。内装デザインには、フォーラム・ショップスを手がけた、テリー・ドゴール氏率いるドゴール・デザイン・アソシエートを起用した。天空演出では、米国のテーマパークなどで実績があるマーキャド・デザイン社と提携。天井を青空から夕焼け、夜空、朝焼け、そしてまた青空へと1時間間隔で変化するようにコンピュータ制御で「スカイフィーチャー・プログラム」を開発した。

 街を意識した構成で、いくつかの「広場」を象徴的に配置したことがユニークだった。「噴水広場」はトレビの泉のような雰囲気で、館内のほぼ中央にあることもあり、待ち合わせ場所ナンバーワンとして知られた。のちに導入した、雪が舞い降りる「スノーウィッシュ」も目玉の一つになった。また、館内の最奥に配した「教会広場」では、イベントはもちろんのこと、本物のウェディングパーティも開催した。館内随所でウェディング写真を撮るカップルも多く見受けられた。
 
 さらに、多くのイベントや、館内を案内するアテンダントクルーを独自に採用・育成するなど、ホスピタリティーを加味した美しい異空間を作ることで街の魅力を創造。高い集客力と、劇場効果による購買意欲の刺激、時間消費に伴う消費促進力の発揮を目指した。

ラスベガスの視察ツアーで評価が急上昇

 しかし、当初、テナント開拓には苦戦した。バブル崩壊後の不況が続く時期に、「ぺんぺん草が生えた場所」と揶揄(やゆ)されるほどの陸の孤島だった臨海副都心の青海地区で、無から有を生み出し、創客する(集客を新たに創り出す)。そのコンセプトに共感はすれども、集客や売り上げは不透明だとして、および腰になる企業がほとんどだった。

 起死回生策として打ち出したのが、ラスベガスツアーの実施だ。小売業者やマスコミ関係者など約200人を2班に分けて、大視察団としてフォーラム・ショップスに送り込んだ。私もこの視察ツアーに取材メディアとして帯同した。森ビルグループの佐藤勝久ラフォーレ原宿館長や、サンエー・インターナショナルの三宅正彦社長、ジャヴァグループの細川数夫社長、後に「スープ・ストック・トウキョウ」1号店をヴィーナスフォートに出店することになるスマイルズの遠山正道社長(肩書はすべて当時)らと同班で、大前氏や一橋大学教授だった竹内弘高氏(弟が森ビル広報に勤めていた縁も)による、小売業の現状と将来をテーマにしたセミナーなどとともに、ヴィーナスフォートの構想を聞いた。フォーラム・ショップスの空間デザインを担当し、ヴィーナスフォートも手がけたテリー・ドゴール氏による完成予想図も披露された。この体験と、未来へのビジョンを融合した見事なストーリーテリングは、参加者を魅了した。その情報を見聞きした企業の出店意欲も急増し、大きな転機になった。

 結果、総事業費200億円(1階のサンウォーク部分を含む)、初年度売上高目標300億円、年間来場客数2000万人を掲げて、1999年8月にオープンした。開業時にはアパレル、コスメ、雑貨、飲食の137店舗と、1坪ショップのKIOSK(キオスク)の計160店舗を集積していた。実験室のような雰囲気を醸し出す「シュウウエムラ」のアトリエファクトリーや、フランドルの複合業態「フランドルシティ」1号店、そして、宮本氏が手がける「ファイナルステージ」、歯のトータルビューティサロン「TEETHART」など、画期的な店も多くそろった。

 アクセサリーやパワーストーン、似顔絵描きなど、通路にワゴンを並べた1坪ショップのKIOSKも開業時には23店舗が軒を並べ、館に多様性を与えた。ここでヒットして他所に店を構えたり、事業を大きくするチャンスをつかむ「チャレンジショップ」としても注目を集めた。

10年間の期間限定営業のはずが…

 10年後の事業終了に向け、2008年には東京都からトヨタと森ビルが土地を購入し、13年をめどに大規模商業ビルを建設するという計画も進んでいた。しかし、08年のリーマン・ショックなどがあり、景気が低迷。施設の営業が続けられることが決まった。営業期限は17年9月末とされ、更地で東京都に返還する予定だったが、それだと後継事業が20年開催の東京五輪に向けた商機に間に合わないと判断された。東京五輪の延期なども経て、22年3月27日の閉館が決まったのだった。「メガウェブ」は先行してクローズし、大観覧車は22年8月末まで営業が続けられる。なお、ヴィーナスフォートは最初の延長時に、宮本氏との資本関係は解消され、森ビル100%の運営体制に移行している。

 気になるパレットタウン跡地は、トヨタグループ子会社の東和不動産と森ビル、東京都が協議して複合商業施設の開発を進めている。すでに東和不動産が、プロバスケットボール「Bリーグ」のアルバルク東京のホームとして使用する多目的アリーナ(1万席)を25年に開業することを発表している。

 森稔社長(当時)は生前、臨海副都心での統合型リゾート(IR)開発に意欲を見せていた。3月に入り、一般客だけでなく、関係者も含めて、ヴィーナスフォートやその仲間たちに別れを告げる人々が多く参集している。森ビルの次の一手も気になるが、残すところ、あと5日。記録よりも記憶に残るショッピングモールに最後に駆け込み、あの非日常空間を味わいたいものだ。

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