「ミカゲシン(MIKAGE SHIN)」は、“性別、年齢、ボーダーを越えて個人の知性と強さを引き出す”を掲げるファッションブランドだ。テーラリングを軸に、哲学者のノートや中世ヨーロッパの医学書といったユニークなグラフィックとカッティングのレイヤードスタイルを得意とする。現在の卸先は15アカウント。自社ECやポップアップでもファンを集め、3月には乃木坂46の楽曲「Actually…」のミュージックビデオで着用する衣装デザインを担当するなど、コレクション以外でも活動の幅を広げている。
ブランドを手掛ける進美影デザイナーは1991年生まれ。大学卒業後、広告会社に入るが、デザイナーを目指して退社し、17年に米ニューヨークのパーソンズ美術大学(Parsons School of Design)に進学した。19年にニューヨークでブランドを設立し、20年から日本に拠点を移してコレクションを発表している。ダイバーシティやサステナビリティなど、時代の潮流に合ったクリエイションでも注目される彼女に、「不安ばかりだった」と語る衣装デザインの裏側から、一般企業からデザイナーへと転身した経緯までを聞いた。
WWD:乃木坂46(以下、乃木坂)の衣装デザインを担当したきっかけは?
進美影デザイナー(以下、進):ファッションディレクターの軍地彩弓さんが推薦してくれた。もともと乃木坂の衣装クオリティーに注目していたこともあり、二つ返事で引き受けた。過去にりゅうちぇるさんのワンピースを作ったことはあったが、ここまで大掛かりな衣装デザインは初めて。運営側、生産チームと密にコミュニケーションをとり、コレクション制作と並行して準備を進めた。
WWD:具体的な制作の流れは?
進:まずは楽曲を聴き、洋服の大まかな方向性を考えた。力強くて疾走感があり、新たな一面を垣間見る音楽だったため、可憐で優雅な既存のグループイメージとともに、“強さ”と“覚悟”も感じさせるデザインに決めた。大きく5つのパターンを用意し、それぞれに20ルックほどのイラストを載せて視覚化し、運営側と協議を重ねた。
WWD:これまでの乃木坂の衣装は、ロングスカートなどフェミニンなイメージが強く、クールなクリエイションが得意な進デザイナーの起用は新鮮だった。
進:最初は自分も不安だった。既存のテイストが好きなファンが大多数だから、その期待を裏切ったらどうしよう、楽曲の表現を衣装が邪魔したらどうしようと思っていた。しかし、彼女たちが出演するテレビ番組やインタビュー記事から、アイドル活動に対する覚悟を感じて、「新しい一面を引き出す方向に挑戦しよう」と意思が固まった。その後、背が高い人はパンツでスタイルの良さを際立たせたり、優雅なディテールが似合う人にはキルトを付けたり、首元をスッキリさせた方が表情の生きる人はVネックにしたりと、衣装の詳細が自然と決まっていった。彼女たちの持つ世界観や表現を120%まで拡張するのが私の使命。いつもの服作りとは違う刺激があり、楽しかった。
WWD:衣装作りといったクライアントワークは今後も挑戦したい?
進:通常は一人でクリエイションに勤しむことが多いけど、今回は制作チームとともにみんなで作り上げていった。そのチーム感も楽しかったし、第3者に向けて作ったからこそ、いつもと違うクリエイションも引き出せた。チャンスがあるならどんどんチャレンジしたい。
広告会社を辞めファッションの道へ
きっかけは母親の助言
WWD:大学卒業後、一度は広告会社に入った。その後デザイナーに転向するまでには、どんな経緯があった?
進:小さな頃からファッションが好きだった。服のコーディネートはもちろん、デザインにも興味があった。しかし、中学・高校と進学校に通っていたこともあり、安定した仕事に就きたいという意識が強く、新卒で広告会社に入った。コンサルを軸にさまざまな業界・業種の課題を解決する仕事にやりがいを感じながらも、自分よりも広告に向いている人たちがいっぱいいて、「私以上の適任がいるのに、この案件をやっていていいのか」「人生をかけて、広告業界で何が残せるのか」と疑問を持つようになった。一方で、諦めていたファッションについての熱は冷めなかった。「女性の内面に沿ったデザインが少ない」「社会課題やアートに興味がある人のアイデンティティを反映したクリエイションが見たい」と、自分にしかできない服作りがあるかもと思い始めていた。そんなとき、母親から「今の会社に残って続けるか、キャリアチェンジしてゼロからファッション始めるか。どっちが正解なんて分からないんだから、自分で動いて正しい道にしなさい」と言われた。「ファッションを正解にしたい」と、一念発起してデザイナーになることを決めた。
WWD:退社後、NYの名門パーソンズ美術大学に入学する。同校を選んだ理由は?
進:英語を学びながら、グローバルな環境で切磋琢磨できる学校が第一条件だったから。中でもパーソンズを選んだのは、ダイバーシティファッションを学ぶためだ。同校には“オープンスタイルラボ”というダイバーシティファッションのクラスがあり、障がいを持つ人とチームを組み、対等な立場でファッション性の高いクリエイションを実践していた。それに加えて、ニューヨークは世界で指折りの国際都市で、さまざまな人種が当たり前に存在している。ジェンダー云々という話ではなく、個人個人がその人生を生きる、というムードが強く、その環境で学びたいと思った。
アメリカで感じた“心地いい不干渉”
服以外でも発信する意義
WWD:アメリカと日本で、人々のファッションへの向き合い方に違いはある?
進:日本はファッションと内面を同一視する傾向があるが、アメリカでは服は服、内面は内面と区別する考えが強い。だから「あそこはイケてる」「あそこはダサい」といったファッションによるヒエラルキーもないし、同じコミュニティーにさまざまな服装の人がいる。他人の服装にとやかく言うのはナンセンスだ、という共通認識があり、いい意味で不干渉だった。そのあり方が心地よかった。
WWD:17〜20年のアメリカでは、#MeToo運動やBLM(ブラック・ライブズ・マター)といった人権のムーブメントも起こった。
進:ちょうどアメリカにいたタイミングで、さまざまな人権問題が表面化し、大きなムーブメントが生まれていた。運動自体も大きな出来事だったが、それらに対するメゾンブランドの動きにも衝撃を受けた。多くのブランドが一斉にステートメントを出し、クリエイティブ・ディレクターも個人で意見を表明する姿を見て、人権意識の違いを痛感した。“Fashion Is Not an Island”という言葉があるように、ファッションは陸の孤島じゃなく、社会に生きるもの。だから、デザイナーは服を作るだけでなく、意見を発信することも大事だと思う。SNSで発信し続けているのもこれが理由だ。
WWD:20年にアメリカから東京に拠点を移したのはコロナの影響?
進:そうだ。コロナによってNYの工場が終業してしまったり、稼働しなくなったりして、現地でのブランド継続が難しくなったため、日本に拠点を移した。しかし、ベースメントが変わっただけで、ブランドテーマは変えていない。日本にはユニークな生地や加工工場がたくさんある。一度海外に行ったからこそ、その価値が分かった。その価値はブランドとして生かさなきゃいけないし、残さなきゃいけないと思っている。
WWD:ここ数シーズンは東京を舞台にコレクションを発表し、国内での知名度がぐっと高まった印象だ。
進:演出家や音楽チームとコンセプト設計からディスカッションし、クオリティーの高いショーを実現することができた結果、国内のバイヤーやメディアからの注目度が高まった。これはブランド成長にとって欠かせない大きなステップだと思う。一方で、世界から見つけてもらうのは難しく、現在のアカウントは全て国内だ。デザイナーズブランドをやる以上、やはり海外で勝負したい。6月にはパリ・メンズに合わせて現地での展示会を控えており、世界市場の開拓を本格化させていく。
WWD:リサイクルウールなどを採用したコートなどを提案しており、“サステナブルなデザイナーズ”と紹介されることもある。
進:環境問題は、アクションを起こさないと何も始まらない。異常気象をはじめ、地球が明らかに変化していることみんな気づいているはずだから、無関係では済まされない。今できることを継続していくことが大事だ。ただ、ファッションが好きな人こそ、上質な素材にこだわりがあり、洗練された自分を見せたいと思っている。だから、どれだけ環境に配慮しても、服のクオリティーが低いと手に取ってもらえない。技術と一緒に進化することが必要だ。
WWD:ブランドを初めて3年が経った。服作りで変わらない姿勢は?
進:自信を持って提案できるプロダクトを作ること。「売れるから」「安いから」という理由では絶対に作らない。それと、“人生を変える瞬間に携わりたい”という思いも変わらない。ファッションには、人を変える力がある。それを信じて、自分にしかできないクリエイションを追い求めていく。