空山基:1947年生まれ、愛媛出身。専門学校を卒業後、広告代理店を経て1971年からフリーランスのイラストレーターとして独立。1978年から代表作“セクシーロボット”シリーズをスタートし、83年に発表した画集「セクシーロボット」で世界的人気を確立。99年にはソニーのペットロボット“アイボ”のコンセプトデザインを担当した。誕生日が2月22日なので、好きな数字は“2”。着用しているニットは、「ステラ マッカートニー」とディズニー映画「ファンタジア」のコラボアイテム PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
空山基 、75歳。1970年代から女性が放つ官能的な美しさとロボットのような金属的な質感を併せ持つ“セクシーロボット”を描き続け、今なお日本や世界のアートシーンの最前線で活躍するリビングレジェンドだ。同氏はアートの枠を飛び越えた活躍を見せており、近年ファッションブランドからも引く手あまた。「ディオール(DIOR)」のキム・ジョーンズ(Kim Jones)やステラ・マッカートニー(Stella McCartney)からは直々にラブコールが届き、コラボを実現させている。
それでも同氏は、「自分のことをアーティストだと思ったことは一度もない」と語る。では、なぜ半世紀近くも筆を走ら続けてきたのか。創造の源泉を生い立ちから探り、作品に対するルールやコラボの魅力、そして表に出ることのなかった数々の秘話まで、何でも検索できる今の時代だからこそ、膝を突き合わせて語ってもらった。
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「いつだって現実はどうってことないんだよ」
――どのような幼少期を過ごし、絵を描いていたのでしょうか?
空山基(以下、空山): 生まれは四国の愛媛県今治市だね。当時の四国は文化が果つるところだったから、芸術系の人は一切いなくて、貧乏で産業もない閉鎖された城下町。若い頃は文化の話が誰にも通じないことが嫌で嫌で、なんとか脱出したかった。話し相手を見つけたかったけど、東京に出ても、外国に行っても、同じ空気が吸えて波長の合う人はそうそういなかったね。
小さい頃から絵を描いてはいたけど、大人っぽかったから評価されなかったし、学校には親が代わりに描いていると思われていたよ。例えば運動会がテーマだったとき、ほかの子たちは走ってる人を描くのに、私は人間の頭越しの運動場の絵を描いた。周りには不思議がられたけど、ほかの子たちが描いたのは運動会のイメージで、私は自分の目で捉えた現実を描いただけ。こうやってひねくれていたから、絵がうまくてもコンクールでは評価されなかった。そんな時、自分でも絵を描く小学校の担任の先生が初めて褒めてくれて、教室の壁に貼り出してくれたんだ。人生で初めての展示だけど、絵で食べていけると勘違いした元凶だね(笑)。
――今治で文化的情報をキャッチする手段とは?
空山: 映画と印刷媒体だけ。自分で求めないといけない飢餓状態で、常に渇望していたね。でも、20歳で上京してメディアに載っていた本物たちに会ったら自分のイマジネーションの方がはるかに上で、「こんなものを針小棒大に取り扱っていたのか」とビックリした。数年ぶりに再会した初恋の人にショックを受けたり、妄想のセックスが一番楽しかったりするのと一緒。いつだって現実はどうってことないんだよ。
――なぜ上京を?
空山: 学校でグラフィックデザインを学ぶため。ありとあらゆる勉強がダメだったけど、小さい頃に絵を褒められたことが何度かあったし、無試験で入学できたのが理由だね。
――当時、グラフィックデザイナーやイラストレーターといった職業は、今ほど世間に知られてはいなかったように思います。
空山: イラストレーターという言葉すらないような時代だったから、現実主義のお袋には「豚と絵描きは死んでから芽が出る」って反対されたよ。その前に別の学校にも通っていたし、「あんたにいくら使ったと思っているんだ」って学費換算の責め方もされたね。グラフィックデザインの学校は中退したかったけど、お袋が面倒くさいからちゃんと卒業した。
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「自分をアーティストだと思ったことはない」
――卒業後はなにを?
空山: すでにフリーランスとして食べていけるくらい稼いではいた。でも学生結婚したときの義父が広告業界のお偉いさんで、当時は今よりも“フリーランス=プータロー”のイメージが強かったから「娘婿がフリーランスなんて恥ずかしい」ってことでADKを紹介してもらった。義父の顔を潰せないから入社して、1週間で胃潰瘍になるほど辛い日々だったけど、社会のシステムや生きていくすべは勉強できたね。それでも会社という組織には慣れず、2年後に再びフリーランスに転身したんだ。
――フリーランスでは具体的にどのような仕事をされていましたか?
空山: いろいろなところにイラストを提供していて、その一つが「月刊プレイボーイ」だね。その頃は田名網敬一さんがアートディレクターで、“困った時の空山頼み”って言葉が生まれるくらい一緒に仕事をしていた。「月刊プレイボーイ」で小さなイラストを2つ描けば、それだけでADKの月収を超える恵まれた時代だったよ。
――その後、アーティストとして活躍するようになった転機は?
空山: 自分のことをアーティストだと思ったことは一度もないし、気恥ずかしくて名乗るなんて無理だよ。照れ隠しでエンターテイナーなんて言うこともあるけど、肩書きには何の意味もない。呼びたいように呼べばいいし、自分がしたいことがあったらそれになる。というか、私は自分のために好きな絵を描いているだけで、人のために描いているつもりはないんだ。生活習慣病みたいなもので、描き出したら止まらないのよ。嫌な仕事も楽しくなっちゃう、悲しい人間なのさ(笑)。
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サントリーとの仕事が“セクシーロボット”誕生のきっかけ
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――影響を受けてきたものはありますか?
空山: 常に森羅万象から吸収してるけど、特に人間だと思う。レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)とか葛飾北斎とか、ウォルト・ディズニー(Walt Disney)とか。その時代に違法とされていたものや非道徳的なことでも興味を推し進めた人たちだね。ダ・ヴィンチはバレたら死刑なのに死体を解剖していたけど、これって自分の興味を満たす内的報酬のためだけに動いていた。ダイビング器材のアクアラングを開発したジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau)は、開発途中に事故で息子を亡くしたのに、それでも開発を続けた。素直に自分の興味があることを満たすためだけに生きているような人は、本当に羨ましいね。お袋に「なんで女性の体を描くんだい?富士山とか花を描けば良いのに」って何度言われたことか(笑)。
あと、子どもの頃から金属や光り物、曲線美にエロチックを感じるフェチなんだ。親父が大工だったんだけど、自分自身は溶接もやすりがけもできないというコンプレックスが根底にあるのかもしれないね。小学生の頃は、帰り道にある鉄工所で、削られた金属のキラキラする面を見るのが好きだったよ。
――空山さんの作品には女性が欠かせませんが、描きたいものは一貫して女性の体ですか?
空山: そうだね。中学生の時、前に座っていた女の子の白いブラウス越しに初めてブラジャーを見て、1時間は観察していたよ。哺乳類だからおっぱいが好きなのは当たり前で、その後に大好きなおっぱいを包んでいるブラジャーとかにも目覚めたのかな。
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「勝利の女神は私を放って置けないらしい」
――どのような過程を経て作風が確立していったのでしょうか?
空山: 20代前半の頃にハイパーリアリズム(克明に写実する絵画動向)が世界的に流行し、無機的で非人格な作品が評価されるから、普通の人は右から左に何も考えずに描いていた。でも私は写真から質感を出すための方程式を、自分の中で生み出した。生み出したというより、自分にとって普通のことをやっただけなんだよね。全てのことに通ずるけど、他人に何を言われようが、自分の居心地のいいスタイルを続けて、寄り道せずに最短距離を通せば個性になるんだよ。そうすれは、評論家たちが後ろから勝手に付いてきて振り返った時にも筋が通る。時代と添い寝して世の中に合わせたり、媚びたり、流行を追っかけたりすると、筋が通らなくなる。アートだけじゃない、ファッションも、スニーカーも、音楽も、全部に言えることで、「10年後もこれを続けているかい?」って聞きたいね。
――僕と友人は、10年後も変わらず愛しているであろう音楽や洋服などに対して、“10年プレーヤー”と呼んでいます。
空山: でも10年は甘いかもしれない、1000年だ。私は、ガンジス川の畔にいた仙人に「3回生まれ変わったら悟りが開ける」って言われたから、300年は生きなきゃと思っている。ただ、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti、20世紀を代表するスイスの彫刻家)は「1000年生きれば、満足のいく作品が一つくらい作れる」って言っていたから、彼は最低でも私の3倍は才能があるんだ。だから10年はひよっこすぎる(笑)。本当に素晴らしい彫刻や絵画って、人に迷惑がかかろうが、違法であろうが、なりふり構わず手に入れたいって思われるじゃない?こんなの作家からしたら冥利で、それくらいのオーラを放たせたいよ。
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――ハイパーリアリズムの作品を描く際に、エアブラシを駆使していたことが名を広めるきっかけの一つになったかと思います。
空山: 誰にも教わっていないけど、ラジコンのヨットを作るために買ったエアブラシを使ってみたら、グラデーションもベタ塗りもできた。誰もやっていなかった技法だから、メディアでは十八番的な感じで紹介されたけど、実際はそんなことないし今となっちゃほとんど使ってないんだよ。グラデーションの中で透明感や反射を見せるのはエアブラシではできないから、一度も使っていない作品すらある。毎回マスキングしながらエアブラシするよりも、筆で描いた方が早いからね。
魅せ方のアクセントとして取り入れるのがうまくて、どこのポイントで使えば劇的によくなるかが分かるのよ。魅せ方とテクニックは全くの別物で、私は要所での使い方には誰にも負けないけど、テクニックに関しては上の人がいっぱいいる。30年くらい前にエアブラシのレクチャーでハワイに行った時、教えた次の日には生徒たちがめちゃくちゃうまい絵を描いているのを見て、帰国してすぐに練習した。まあ彼らはテクニックがあったけど、いかんせんセンスがゼロだったな(笑)。
――自分なりの作品に対するルールはありますか?
空山: “絵に文字の援軍はいらない”って考え。作品に名前を一切付けず、目や唇といった粘膜質を強調するために、ほかの肌を光らさないようにマットにすることは頭の中にあるね。あとは、視線を誘導する戦略的な描き方をしている。映画やドラマといった映像はカメラマンが見せたいところを切り撮るけど、私の作品は舞台と一緒で、主役を立てるためにほかの人が目立たないようにすることを絵の中でやっている。誰もが一番最初に目が向いてしまう、性欲が掻き立てられるところをスタートにして、その後に見ていくうちに付け焼き刃の知性がにじんでいくイメージ。今だと、作品を買ってくれるような人にだけウケるコアなネタとして、作品にラテン語を忍ばせているよ。
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――アイコニックな“セクシーロボット”は、どのようにして生まれたのでしょうか?
空山: サントリーとの広告の仕事がきっかけだね。最初は、映画「スター・ウォーズ(STAR WARS)」のキャラクターをそのまま借りて“サントリーウイスキーホワイト”の広告を作る予定だったらしいけど、費用と手間の問題からオリジナルを作ることになって、私に声が掛かった。それで「スター・ウォーズ」っぽく宇宙に浮いてる岩の上に、男性のロボットと犬のロボットが乗ってる絵を描いたら評判が良くて、駅に掲示されたポスターは盗まれたほどだったらしい。それからロボットの女性を描くようになり、犬のロボットは20年後くらいに“アイボ(aibo)”になったってわけ。その直後、たまたま最初の“セクシーロボット”を描いてる時に、玄光社が出してる雑誌「イラストレーション」の“How to draw”ってコーナーが取材に来た。どうやら勝利の女神は、私のことを放って置けないらしいの。
2Dから3D化される作品
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――近年、2Dの“セクシーロボット”が3Dの立体化されることも多いですが、意識して描かれることはありますか?
空山: 全く、嘘ばっかり描いてる(笑)。関節や骨を意識はしているけど、肌の柔らかさや脂肪を金属に置き換えているだけで、ユニバーサルジョイントにもなっていないから、立体化しようとすると現場の人は泣いちゃう。動かないものを動く風に描いているからこそクリエイティブで、デザインは性能の表現の一つ。機能だけを求めると機械っぽくなってしまうから、センスのある嘘で作れる人じゃないと立体化はできないね。2021年の「アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ(Art Basel Miami Beach)」に出したセクシーロボットは、完璧じゃないけどいい出来だったよ。文学を映画化する感覚に似ていると思ってくれればいい。
――空山さん自身は、3D化したい気持ちはないと。
空山: ないけど、オファーが来れば求めることを言い放題できるから受けるんだ(笑)。どの打ち合わせでも120%を要求して、120%が達成できたら、また120%を要求するエンドレス。1番最初に200%を要求すると「できない」って言われるけど、相手にも誇りがあるから頑張れるギリギリを求める。情熱を持っている人同士が集まると、“1+1=2”じゃなくてそれ以上になる。現場の人をフロー体験(自我を忘れて物事に集中すること)に持っていくんだよ。ソニー(SONY)と“アイボ”を作った時、完成後に彼らがボソッと「今まで電化製品のデザインばかりで、稼働する立体物は自信がなかった」って言うんだ。私からすれば、見たことがないものを作る挑戦が一番燃えると思ったけどね。
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キム・ジョーンズの突然の訪問から実現した「ディオール」コラボ
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――これまで数々のファッションブランドとコラボされてきましたが、1番最初にコラボしたのは?
空山: 30年くらい前で、ニューヨークかどっかのTシャツ屋だったと思う。今はないアメリカの男性向け雑誌「ペントハウス(Penthouse)」で10年くらい絵を描いていたから、それを見て声をかけてきたんじゃないかな。「ペントハウス」に初めて載った絵は、見開きで“セクシーロボット”風の女性がソファの上で用を足しているものだったの。当然、抗議の電話が編集部に殺到したんだけど、そのうち読者からいろんなシチュエーションで女性が用を足してる写真が送られてくるようになって、それを載せる定期コーナーができちゃった(笑)。それくらい私の絵には影響力があるんだ。でも「ペントハウス」に載る前に画集「セクシーロボット」を世界にばら撒いていたから、それも理由だと思う。ちなみに、“セクシーロボット”って俺が言い出したんじゃなくて、この画集の出版元の編集長が名付けたんだよ。
どうしようもないんだけどさ、私の絵って布の上にプリントすると再現度が低くなってしまう。でも、Tシャツブランド「グラニフ(GRANIPH)」のプリントは今までで一番上手かったね。話が来た時に「できるわけないでしょ」って話をしたら気持ちに火が付いたみたいで、何回刷り直したか分からないくらいサンプルを作って、仕上がった作品を見た時は思わず「すげーじゃん」って声が漏れた。相手も誇りを傷付けられるのが嫌だから闘争心が燃えて、結果としていいものができ上がる。これがコラボの醍醐味じゃない?
――コラボ相手はどう選ばれているのでしょうか?
空山: 私はファッションのセンスがないから、南塚真史(アートギャラリーNANZUKAのオーナー)が探してくれるか、長年のファンからの連絡だね。昔から画集を世界にバラ撒いていたおかげで、小さい頃に影響を受けた人たちが実力を持った大人になってラブコールをしてくるのさ。コラボしたステラ・マッカートニー(Stella McCartney)は、学生時代の教科書が私の画集だったらしい。
2018年12月に東京で開催された「ディオール」2019年プレ・フォール・メンズ・コレクションの様子。空山氏が手掛けた12mのスカルプチャーは会場中央に設置されたほか、コレクションにはコラボアイテムが多数登場した PHOTO BY RYAN CHAN
2018年12月に東京で開催された「ディオール」2019年プレ・フォール・メンズ・コレクションの様子。空山氏が手掛けた12mのスカルプチャーは会場中央に設置されたほか、コレクションにはコラボアイテムが多数登場した PHOTO BY RYAN CHAN
「ディオール」2019年プレ・フォール・メンズ・コレクション (c) Dior
――「ディオール」とのビッグコラボのきっかけを教えてください。
空山: ステラ同様、キム・ジョーンズ(Kim Jones)も私のファンだったみたいで、渋谷で開催していた個展に急に来たんだ。次の日、スタジオに来て一緒にうなぎを食べている時に、「パリからわざわざ来たってことは、腹に一物を抱えてんだろ?」って聞いたらコラボの話だった。ショーまで半年しかないのに、12mのスカルプチャーも作らなきゃいけないから時間はギリギリだったよ。キム本人も「まさか半年で完成するとは思わなかった」って言ってたくらいだ。「ディオール」の時に使われている絵は昔の作品で、ロゴだけ新しく描いた。巨大スカルプチャーはアルミ製で、もともとベースとなる立体作品があったおかげで読み込んで作ったから、間に合ったね。巨大な作品は純粋にオーラを帯びるから、見る分には気持ちよかったよ。お年寄りの方は、直接見たら拝んでしまうんじゃない?(笑)。
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――最近では、「ミズノ(MIZUNO)」とのコラボスニーカーを発表されていましたね。
空山: 「ディオール」のショーの時に、デヴィッド・ベッカム(David Beckham)がスーツにローカットのスニーカーを合わせているのが様になっていたんだよ。それで「ディオール」の人に「冠婚葬祭にスニーカーで参加するには10年くらいかかるかな?」って聞いたら、「昔はデニムでホテルに出入りするのが良く思われず、変化が受け入れられるまでに長い時間がかかりましたけど、今は1年で世の中がガラリと変わる時代です。スニーカーが冠婚葬祭で認められるのは早いと思います」って返された。そのタイミングで「ミズノ(MIZUNO)」からコラボの話が来ていたから、冠婚葬祭でも履けるような黒いスニーカーがあればと思って作ったんだ。でも、私には黒のイメージがないから最初はシルバーで、次にブラック、最後がゴールド。アスリートが求める色はゴールドだからね。良い素材がなくて苦労したけど、セクシーでまぶしいでしょ?ゴールドは今までのカラーと違ってアッパーに透ける布を使ってるから、靴下で印象が変わるんだ。
――アパレルのコラボイメージが強いので、「ミズノ」とのスニーカーには驚きました。
空山: 「ナイキ(NIKE)」のマーク・パーカー(Mark Parker、元会長)は、よくこのアトリエに来ていた。いつだったか、ディズニーとのトリプルコラボの話もあったけど大変でね。その話がそのまま「アディダス(ADIDAS)」に流れたこともあったけど、当時はまだ厳しくてスポーツアイテムしか作れないって言われちゃったんだ。
メンバーの直筆サインが書かれたエアロスミスの13thアルバム「ジャスト・プッシュ・プレイ」 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
――ファッションとのコラボは、どうしてもコマーシャルに寄りがちになります。
空山: 「ディオール」とのコラボもそうだけど、相手から依頼されて新作を描くことはほとんどなくて、既存の作品で相応しいものを提供する。だって、私の絵が好きでも新作が気に入るかどうかは別で、相手は私がバッターボックスに立ってホームランを打ったところしか見ていないのよ。描き下ろしだと、金銭が発生している以上は嫌でも引き取らなきゃいけない。これはお互いにとって良くないから、過去の作品を使用目的に合わせてレタッチしている。エアロスミス(Aerosmith)の13thアルバム「ジャスト・プッシュ・プレイ(JUST PUSH PLAY)」に使われている“セクシーロボット”も、数十年前の作品を使っているだけ。でも、アートディレクターが複写して左右反対のものを彼らにプレゼンしたらそのまま採用されちゃったから、間違えてるんだよね(笑)。
――1点モノの作品が大量生産の洋服にプリントされ、消費者が購入して着用する一連の行為に違和感は感じますか?
空山: それがたとえ“偽物”でも、よろこんで着てもらえるなら良いと思うよ。「サインが入ってるけど、これは本物ですか?」って頻繁に連絡が来るけど、「好きならいいんだよ」って返してる。自分の労働に対する対価として、“偽物”でも惚れ込んだなら買えば良い。
――これまで刺激を受けたり発見があったコラボレーターはいましたか?
空山: 広告をやっていた30~40年くらい前、絵を描いたことがないアートディレクターには影響を受けたね。少しでもクリエイター側の経験があれば、めちゃくちゃな注文をしないし優しいんだけど、「こんな発想があるんだ」って驚きばかりだった。昔はストライクゾーンから外れたボール球も振っていたけど、歳を取ると「もうおしまいだね」って言われちゃうから、せいぜいヒットが打てるような球ばかり狙うようになってしまったよ。
若い世代へのアドバイスとは?
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――日本は以前までと比べ、性に関して厳しい社会になっていますが障壁は感じますか?
空山: 好き勝手に出来るようになったら意外とつまらなくて、斬新なアイデアはタブーを犯すことで生まれるし、規制がある方がすごいことが出来る。確信犯でタブーを破る方が快感だよね。
――新型コロナウイルスのパンデミックで得た経験や気付きはありましたか?
空山: 文化的観点で言うと、不純な動機の人たちは離れて本気の人たちは食えなくても続ける、“ふるい”になったんじゃないかな。コロナ禍に発表されている作品は熟成していると思う。
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――若い世代へのアドバイスがあるとすれば?
空山: それぞれ人生があるから、自分が気持ちいい方法に進めばいい。内的報酬を突き詰めれば、結果も、お金も、地位も、名声も、後ろから付いてくる。ただ、中途半端な動悸や才能がない人が勘違いすると悲劇が起きる。例えば、個展を開催した時に友達が来て褒めるばかりで購入しないのなら、それは単なる馴れ合いだよ。私はコンペの審査員を引き受けないんだけど、それは買うつもりで見てしまうから。買わないものを褒められない性格なんだよ。1発や2発は当たるかもしれないけど、文化で食べていくのは本当に難しい。ギャラも数十年前の10分の1くらいになっているし、外的報酬を求める人は消えていく。生き残るのは大変な世界だから、今のうちにさっさと辞めなさい(笑)。