ジェンダー平等を求める声の高まりを受けて、ファッション&ビューティ業界でも業界のあり方から作る製品や広告の影響、働く人の福祉など、さまざまな観点からジェンダーの構造や意味を問い直す議論が進んでいる。6月13日発売の「WWDJAPAN」ではファッション&ビューティ業界で、その人らしく活躍する女性たち25人にスポットライトを当てた。その中でこれまでの歩みをたたえる「女性活躍史」を作成。業界で活躍してきた女性に加えて、女性のライフスタイルや権利向上に影響を与えたファッションの出来事を振り返る。年表の製作に当たって、武庫川女子大学生活環境学部准教授の井上雅人に話を聞いた。
WWDJAPAN(以下、WWD):戦後、女性の生活に変化をもたらしたファッションの出来事は?
井上雅人・武庫川女子大学生活環境学部准教授(以下、井上):洋裁学校に行くことが大流行し、女性たちは“花嫁修業”を兼ねながら手に職をつけるようになっていた。当時女子大に行くという選択肢は少なく、中学校、高等学校を卒業して、専門学校に行く流れが主流。洋裁学校によって、社会進出とまではいえないかもしれないけれど、社会とのつながりを生む“ゲート”が開かれた。社会的な流行を取り入れて自分自身を飾るということも含めて、「消費者」という形で女性の社会参加を開いていったのではないか。
WWD:当時メディアや雑誌はどのようにライフスタイルに影響を与えたか。
井上:洋裁学校の流行に合わせて、学校が生徒相手に雑誌を販売するようになって「装苑」などが台頭した。このころは生産者向けの「ものを作る情報が載っている」雑誌がメイン。60年代の半ば過ぎごろから、今でいう大手出版社などが女性誌を、洋裁学校に通う学生だけでなく、一般の消費者に向けて発売している。生産者向けの雑誌から一転して、消費者に向けて「ものを買う情報」が載っている雑誌が創刊されるように。
WWD:“雑誌創刊ブーム”で活躍した女性アイコンは?
井上:連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモチーフとなった「暮しの手帖」を生んだ大橋鎭子、雑誌「スタイル」を手掛けた宇野千代、エッセイストのマダムマサコなどが挙げられる。戦後に「洋服」が導入されて着方に迷っていた一般向けに情報を発信して、社会的に活動していた。「婦人画報」といったファッション雑誌は戦前から存在していたが、上流階級向けのものだったので、時代が求める情報をキャッチし、広い読者に届けていたのが印象的だ。
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