6月13日発売の「WWDJAPAN」では、ファッション&ビューティ業界の女性活躍を特集した。女性活躍ジャーナリストとして講演活動を行う白河桃子=相模女性大学大学院特任教授に、男女雇用機会均等法が施行された1980年代以降に女性を取り巻く環境がどのように変わっていったか話を聞いた。
WWD:1970〜80年代にかけて女性活躍や文化に影響を与えたファッション&ビューティ業界の出来事は。
白河桃子・女性活躍ジャーナリスト(以下、白河):70年代に女性誌「アンアン(anan)」(平凡出版社、現マガジンハウス)や「ノンノ(non-no)」(集英社)が創刊され“アン・ノン時代”と呼ばれた。ファッショントレンドが雑誌と一緒に進化して女性の文化を作っていくようになった。80年代の女子大生ブームを形づくった「JJ」(光文社)や、OLブームを作ったライフスタイル誌「ハナコ(Hanako)」(マガジンハウス)の創刊も大きかった。86年に男女雇用機会均等法が施行されたが、90年代にかけてのバブル期は“結婚・出産前の働く自分を謳歌する”のが風潮だった。
WWD:女性誌は当時、どのような価値観や文化をつくったか。
白河:「ハナコ」はランチ特集やクリスマス特集、海外旅行特集を頻繁に組んだ。都会で働いて高いランチを食べ、自分で働いて稼いだお金でファッションを謳歌し自分にご褒美を買う。そして年に一度は海外にバケーションに行くというライフスタイルを「ハナコ」が形作った。女性の経済的な自立には至らないが、精神的な自立が進み消費の主役としての女性たちが台頭した。それをクローズアップしたのが「ハナコ」だった。大学に行く女性たちにフォーカスした「JJ」の影響は後に効いてきて、2007年に「JJ」を読んでいた女性たちに向けて「ヴェリィ」が創刊された。「ヴェリィ」は街行くママたちをおしゃれにしたという点で印象的だった。
WWD:女性の経済的な自立はいつ果たされたか。
白河:86年の男女雇用機会均等法は「女性が男性と同じように働くなら仲間に入れてあげる」というもの。90年代に絶頂を迎えたバブル期は、女性が消費の主役であり時代の象徴としてもてはやされたが、経済的な自立ができていたわけではない。キャリアウーマンは憧れの存在でもデフォルトは主婦だった。普通の女性たちにとっては働く期間は家庭に移行する前の一瞬の輝きと捉えられ、総合職として入社したとしても仕事と家庭の両立はできなかった。“腰掛け総合職”という言葉もあったほどで、総合職として輝いても30歳前後で結婚したらキャリアは終わりというのが主流だった。この状況が2000年代中期ぐらいまでかなり長く続いた。
WWD:2000年代中期ごろ、女性たちの人生観はどう変わったか。
白河:バブル崩壊後の94年〜2004年は就職氷河期といわれ仕事を得るだけでも大変だった。バブル期は企業に余裕があり女性活躍がもてはやされたが、バブル崩壊後に梯子を外されたような状態になった。高卒・短大卒で企業に入社してOLになり、社内結婚して退職する。または夫の転勤や出産で辞めるのが当たり前だった。 “失われた10年”といわれる期間だが、90年代後半から起きたITバブルで一瞬世の中のムードが盛り上がった。ITで起業して大儲けするIT長者といわれる男性たちが登場した。そこに女性社長として参戦する人はまだ少なく、こうした男性と渋谷でパーティするのがもてはやされた時期があった。経済力のある男性と結婚するのが“上がり”という価値観が出てきた。
WWD:女性のトレンドをつくっていたファッション誌では、このころどんな特集が組まれていたか。
白河:2000年代中期の女性誌では「愛され服」「愛されメイク」などのキーワードが誌面を席巻し、蛯原友里や押切もえといったモデルが人気を集めた。不況も相まって女性たちが保守的になっていった時期で、80年代から90年代初期のバブル世代の女性の方が元気だった。03年に酒井順子の「負け犬の遠吠え」というエッセイ集が出版されて話題になったが、著者はバブル期の強気なキャリアウーマン世代。この後の世代はバブルの恩恵にあずかれず、 “負け犬”が流行った時に30歳以下だった女性たちは口々に「30歳までに結婚したい」「負け犬になりたくない」と話した。このころの結婚特集は「自分を変えない結婚」がキーワードだった。
WWD:00年代後期以降、女性を取り巻く環境はどうなったか。
白河:10年は女性にとってターニングポイントだった。それまでは男性と同じように働くことを求められ、育休を取って復帰する人は少数で、出産後は働き続けられない状況だった。10年の育休法(育児・介護休業法)改正で育児時短勤務が企業の措置義務となった。これにより、育休後に時短復帰して働き続けるスタイルが定着した。女性がフルタイムで働き正規雇用で企業に定着するようになったのは実は10年以降のごく最近の話だ。それ以前に育休復帰した人たちはスーパーウーマンか実家の助けがある人。それまでは女性の6割が辞めていたが、10年以降は正社員の7割が離職せず就業を継続している。
WWD:15年制定の女性活躍推進法は女性のライフスタイルに影響を与えたか。
白河:15年の女性活躍推進法で管理職を目指すことが求められるようになった。ところがこれは“無理ゲー”と呼ばれた。家事・育児をこなしさらに管理職と言われても、当時の管理職は長時間労働が必須で時短勤務では管理職になれなかった。多くの女性たちにとって、活躍せよと言われても答えは「NO」だった。ところが19年に働き方改革で残業上限が法制化され、脱長時間労働が叫ばれるようになった。ここで初めて社会全体の生産性の観点から男女ともに働き方を変えた方がいいと認知された。その後、コロナ下でリモートワークやフレックスタイムなど柔軟な働き方が加速。今年の4月、男性育休を推進するように育休法が改正された。
WWD:社会全体の仕組みを変えることで女性も働きやすくなるという考え方に変わった。
白河:そうした風潮に舵を切ったのが19年ごろの話だ。ライフイベントと仕事の両立は不可能という考えの“バリキャリ期”、両立支援が始まり就業継続できるけれどワンオペで苦しい“ゆるキャリ期”、その後女性活躍推進法でもっと頑張れと言われるけど無理という時期を経て、働き方改革が起きる。コロナで働き方の柔軟化が急に進んで男女ともに働き方の多様性が出てきた。ようやくベースが整って、仕事と子育ての両立を望む男性はそれがかない、女性も管理職になれる社会を本気で目指していこうというのが現在地だ。
WWD:ファッションやメイクの変遷は。
白河:90年代まではナチュラルメイクが全盛、2000年代以降は盛りメイクからえびちゃんを象徴とする“デートの時は白いワンピース”という保守的なスタイルまで多様化した。このころからテクノロジーの発達によりブログなど個人が発信しやすい土壌が整い、トレンドが生まれる場所が雑誌だけではなくなっていった。10年代に入るとスマホ所持率が高くなりSNS上で個人情報を開示することをためらわない世代が出てきて、個人にファンがつくインフルエンサー現象が起こり始めた。その中でインフルエンサーやファッションリーダーが個性化、多様化し、多様な消費の時代に進んでいった。
WWD:女性をエンパワメントした海外の動きは。
白河:世界的な流れであるジェンダー平等の影響は大きい。14年にUNウィメン(国連女性機関)の大使に就任した女優のエマ・ワトソン(Emma Watson)は女性たちをかなり勇気づけた。また17年に米国から広がった「Me Too」運動の影響も大きい。これをきっかけに女性たちが連帯する動きがあった。近年はLGBTQへのサポートプログラムも盛んで、国内ではソフトバンクはが家族割を同性パートナーでも使える制度や、福利厚生を男女のカップルに限らない制度を導入している。また広告の力でジェンダーに関するステレオタイプを打ち破ろうという動きも活発で、ユニチャームの生理プロジェクト“no bag for me”キャンペーンや、P&Gの「パンテーン」が行った「令和の就活ヘアを自由に」というキャンペーンなど、社会のジェンダー表現に対する意識が高くなっている。ここ数年は一種のジェンダーブームとも言える状況にある。