ファッション業界の御意見番であるコンサルタントの小島健輔氏が、日々のニュースの裏側を解説する。コロナの感染拡大が落ち着きを見せても、記録的な原料高騰や円安によってアパレルを取り巻く環境はますます厳しい。事業モデルの根本的な見直しが必要だ。
戦乱やコロナ禍による物流の混乱や資材コストの上昇、円安の急進などによるコストインフレを売価に転嫁しきれず、収益を圧迫される事業者が大半である一方、コスト上昇を主な理由に一方的な値上げを繰り返して高収益を謳歌するラグジュアリーブランドもある。同じ状況でも事業の構造やマーケティングスタンスにより全く逆の結果が出るわけだ。
賃金低迷下の急激なインフレという最悪の状況に直面しては、テクニカル対応に四苦八苦するばかりでは報われるはずもなく、この機会に事業構造とりわけCCC(Cash Conversion Cycle)とマーケティングスタンスを革命的に変えてしまうという選択もありだ。資金にゆとりがありさえすれば一見、狂気に見える革命も実現してしまうが、資金にゆとりがなくても、金余り不況下の今日ではいくらでも手はある。
値上げできるブランドとできないブランド
値上げできるのはSNSなどのマーケティングの積み上げが創造する「仮需」に商品・サービスの供給が追いつかないブランドであり、OEMやODMはもちろん工場外注さえ否定して、ゼロから設備投資して(あるいは買収して)職人を養成した自社工場生産に限る(実際には一部アイテムは合理的必要性に応じて外部専業工場に長期契約で生産委託している)。完成度の高い商品を安定して生産するには高額な設備投資と熟練の職人が必要で、マーケティングの作り出す「仮需」には慢性的に追いつけない。
【生産の壁】
縫製工場の実務を知るものには常識だが、縫製部位や使用する素材、デザインディテールによって必要とされる工業用ミシンは極めて多岐にわたるし、その多くは百万円前後から数百万円もする。加えて、実際に縫製するには縫製部位や素材の厚み毎に針先へ素材を誘導する「冶具」(その形状からラッパなどといわれる)が必要で、新しいデザインディテールが登場するたびに新たに開発するしかなく(数万円を要する受注生産品)、そのディテールが忘れられても縫製工場には何百という「冶具」が溜まっていく。針先への誘導冶具が必要なら運針をガイドする「押さえ」も同様に必要で、これまた極めて多岐にわたる。「押さえ」や「冶具」は縫製産業が衰退しても国内専門業者が中国需要に支えられて分厚いカタログから供給してくれるが(例外品は受注生産)、いつまで続けられるのだろうか。
3DCADとCAM裁断機を導入すればDX(デジタルトランスフォーメーション)が進むと単細胞的に考える川下のアパレル関係者は多いが、多種多機能な工業用ミシンはもちろん、ひとつひとつ「押さえ」と「冶具」をそろえ、生産設備と人員配置(熟練度ミックス)、生産ロットに即してTSS※1.などをベースに日々の生産工程をきめ細かく運用するマネジメントが問われる。それに高額な設備投資を計画償却する「稼働率」という手強い目標が付きまとうから、工場経営は容易ではない。川下のアパレルチェーンなどが「直貿」だ「自社生産」だと騒ぐ内容は生産現場からは掛け離れた、商社やサプライヤーにおんぶに抱っこの断片的なものに過ぎない。
※1.TSS(トヨタ・ソーイング・システム)…一枚流しの複数工程分担リレー生産方式で、立ちミシン方式ともいう
【時間とファイナンスの壁】
生産設備に大規模な先行投資を行い、時間をかけて手の込んだ商品を仕込むとなると、投資負担と在庫負担に耐えられる財務の余裕がまず問われる。LVMHのワイン&スピリッツ部門など、仕込みから販売まで4年近くを要しているが、コレクション制のファッション&レザー部門とて年に2回転しない。
しかも、時間をかけて計画生産した商品は必ずしもマーケットで受け入れられるとは限らず、SNSなどで注目されれば逆に極端に不足することもある。予約品の納品を半年も1年も待ってもらえる製品への期待感(高額アウトドアSUVなどでは数年待ちも珍しくもない)、需要とすれ違った製品を値引き処分せず、需要と一致する未来のシーズンまでひたすら持ち越す時間感覚(アーカイブMD)はラグジュアリービジネスに共通する。
そんな時間感覚を支えるのは不動産投資などとも共通する長期投資の利回り回収感覚とファイナンスのスキルで、短期の損益管理感覚とは次元を画する。J.フロント リテイリングや丸井グループが実行中の構造革新もこれに近似した小売業から不動産業やファイナンス業への大回頭で、ここ数年で急進したクリーニング業からコインランドリー業への転換(人海戦術から金回り戦略へ)と共通している。
ワールドはファイナンスのスキルはあるのに人海戦術のシーズン損益小売業から金回り戦略のアーカイブブランドへの時間感覚の転換など考えてもいないし、ユナイテッドアローズはブランド神話の維持に固執しながらファイナンスの根本問題を解決しようとしていない(コロナ禍の巨額借入を返済時期未定の永久劣後ローンにすれば一発で解決できたのに!)。
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