※本記事は一部ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください
映画やドラマなどのエンタメを通して、ファッションやビューティ、社会問題などを読み解く連載企画「エンタメで読み解くトレンドナビ」。LA在住の映画ジャーナリストである猿渡由紀が、話題作にまつわる裏話や作品に込められたメッセージを独自の視点で深掘りしていく。
第6回は、伝説的ミュージシャン、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)の波乱万丈な人生を描いた映画「エルヴィス(Elvis)」にフォーカス。「マノロ ブラニク(MANOLO BLAHNIK)」がシューズを、ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)が衣装を手がけるなど、映画界のみならずファッション界からも熱い視線を集めている。多方面で注目されている同作では、社会の壁を打ち砕く若きスーパースターを通して、成功の裏に隠された苦悩や、昔と今のアメリカの変化などに迫る。
42歳の若さで亡くなってから、45年。バズ・ラーマン(Baz Luhrmann)監督の新作映画「エルヴィス」が、エルヴィス・プレスリーにあらためてスポットライトを当てる。日本より1週間早く公開されたアメリカでは、見事に首位デビュー。現在50歳の人はエルヴィスが亡くなった時まだ5歳だったし、この映画を観に来る層は限られるのではないかとの見方もあったが、そんな悲観的な予測を裏切り、3120万ドル(約42億4300万円)という大人向けの作品では立派すぎるオープニング成績を達成してみせた。
「ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge!)」や「華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)」を手掛けたラーマン監督は、独特の芸術センスで、冒頭からいきなり観客をエルヴィスの世界に引き込む。ミュージシャンの伝記映画というのは、たとえ優れた映画であったとしても、どこか似たものになることが多いが(何もないところから始まったが、成功すると酒やドラッグ、女性問題が出てきて離婚となる、など)この映画は、ストーリーにその要素が含まれるにもかかわらず、ほかのどんな作品にも似通っていない。そして今作は、エルヴィスという1人のスーパースターを通じて、当時の、そして今のアメリカ社会という大きなものを見つめてもいくのだ。
黒人コミュニティーで育った若きスーパースター
そんな中で語られることのひとつは、「偏見を持たないことでインスピレーションの幅は大きく広がるのだ」ということ。エルヴィスは、1935年にアメリカ南部に生まれ、黒人だらけの小さな街で唯一の白人の子どもとして育った。幼かった頃、教会でゴスペルを歌う黒人たちを見たことで、彼は音楽への情熱に目覚めたのである。エルヴィスは独特のダンスの仕方、体の動きでも有名だが、あれらも黒人のミュージシャンから受けた影響だ。市民権運動が起こるずっと前の時代、人種差別がとりわけ根強い土地に住みながら、1人だけ壁をもうけなかったことで、彼は多くのことを吸収し、ほかにないアーティストになっていったのだ。
この映画のためにリサーチをする中で一番驚いたのは、エルヴィスにとってゴスペルがいかに大事だったかを知ったことだったと、ラーマン監督は述べている。「ショーが終わった後の夜中にもかかわらず、彼は黒人女性のゴスペルグループであるザ・スウィート・インスピレーションズ(The Sweet Inspirations)と朝までゴスペルを歌っていたんです。心の中にあるたくさんの穴を埋めるために、彼にはゴスペルが必要だったんですよ」。
体の内部から湧き上がってくることを表現しているにすぎない彼のダンスは、保守的な当時のアメリカの大人たちの目に、セクシーすぎて下品だと映る。やめるように言われ、しばらくは従うが、本当の自分ではないものを演じ続けることに限界が来て、ある時、言いつけを破ってしまった。その結果、彼は刑務所入りか軍隊入りかを迫られ、米軍兵としてドイツに送られることになる。帰国後は、彼のマネージャーであるトム・パーカー(Tom Parker)大佐に言われる通りに、映画やテレビに出て金を稼いだ。だが、それは自分が本当にやりたいことではないと、彼自身も気づいていた。他人が考えるマーケティングのために、若いタレントが本来ふさわしくない箱の中に入れられ、せっかくの才能が押し殺されるというのは、日本の芸能界でも起きることではないだろうか。
エルヴィスと現代の若者に通ずる“承認不安”
ラーマン監督によれば、今作はまた、ソーシャルメディアで何人からフォローされるかに必死になる現代の若者に、警告のメッセージを送るものでもある。有名になるのは良いことばかりではない。そのせいで苦しめられることもあるのだ。「名声とは、嫌になったらすぐにはがせるものではないんです。人はエルヴィスを“キング”と呼びましたが、彼が自分でそう呼んだことはありません。彼はそれをとても嫌っていたのです。エルヴィス・プレスリーを演じるのに疲れたと言ったこともありました」。
今作でエルヴィスを名演するオースティン・バトラー(Austin Butler)は、前例がなかっただけに、エルヴィスにとってはなおさら大変なことだっただろうと想像する。「エルヴィスはすごいスピードで、とんでもない大スターになりました。舞台に上がれば何千人から叫ばれる。でもホテルの部屋に戻ったら、たった独り。それはどんな気持ちなのでしょうか?しかも、自分が本当にやりたいことをやっているのではないのだとしたら、なんのための人生なのだろうと考えてしまうかもしれません」。
これらの物語がパーカー大佐の視点から語られるのも、今作のユニークなところだ。好感度ナンバーワンのトム・ハンクス(Tom Hanks)を、普段のイメージとまるで違うこの役に起用したのも面白い。最初から悪役を匂わせるパーカー大佐だが、映画の後半で彼が本当はどんな人物だったのかが明かされると、エルヴィスに対して感じる悲しみはさらに募る。
世界中の人々に愛され、偉大な音楽を遺してくれたエルヴィス・プレスリー。あの時代の、あの環境の中で生まれた彼のようなアーティストはもう2度と生まれない。だが彼は幸せだったのだろうか。見終わった後も、「エルヴィス」はいろいろなことを考えさせてくれる。