ファッション
連載 UA重松理×石川次郎対談

全ては「メイド・イン・USAカタログ」から始まった!?【UA重松理×石川次郎対談 VOL.2】

 ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。全5回の2回目の対談をお届けする。

――今の時代、ファッションやトレンドが大きく変わらないとか、ファッションはメインストリームではなく、サブカルチャーになってしまったと言われることも増えていますが、当時はファッションがカルチャーのど真ん中にあったのですね。

重松:生活文化の、そして、衣食住の中でも、自分を表現するというのは衣・ファッションしかない。好みは住まい方などにも反映されますが、個人を表現するにはファッションしかない。今もそう思っています。

石川:僕は編集者だから、外国にイラストレーターと一緒に行って、面白い人間を昆虫採集のように採取して、絵にしてもらって誌面に出せば仕事は終わり。でも、僕たちのレポートの中には、ビジネスのヒントやチャンスがたくさんあったとずいぶん言われました。たとえば、それまで日本人は誰も行っていなかったけれど、僕たちが取材して雑誌に載せると、次に行くと「とんでもなく日本人がたくさん来たよ」と。有名なワークブーツの店では名刺の束を渡されて、「ビジネスをやりたいという人がこれだけ来たけど、どこがいいかわからないから教えて」といわれて、アドバイスしてあげたり。

 その典型が「ハンティングワールド(HUNTING WORLD)」でした。カメラマンの繰上(和美)さんが日本でいち早くそのバッグを持っていて。どこで買ったのか聞くと、「ニューヨークに新しく面白い店が53丁目にできたよ。『ハンティングワールド』っていうから行ってごらん」と教えてもらって。次の機会に訪れてみるといいものを作っていて。それまでバッグは「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」が有名だったけれど、同じ工場で作っているらしく、作りもしっかりしている。オーナーのボブ・リーは嫌味な親父だったけどモノは面白いなと思って、徹底的に取材した。「メイド・イン・USAカタログ」の1号目に出したら大反響で。本も売れたけど想像していなかった反応があった。その記事を見て貿易会社や商社、百貨店などがこぞって訪れたらしく、翌年ボブ・リーに会ったら手紙の束を見せられて、「これだけオファーが来たんだけど、どこを選んだらいいのかわからない」と。見たら伊藤忠とか西武百貨店とかどこも知っているところばかりでしたね。

――ある意味、ファッション業界のフィクサーだったんですね!雑誌から流行が生まれていたと。

石川:そんなことが知らないところで発生していたんですよ。ニューヨークには各社とも支社があってバイヤーや特派員もいるだろうに、つかめないニュースというのがあるんですね。商売のネタを探しにいっていたらそんなに簡単にいかなかったと思うけど、商売っ気なしに行っていたから面白いことができたんですね。「LLビーン(LL BEAN)」も当時は日本に入っていなくて。神田の古本屋で買った古いカタログを見て「LLビーンってところに行ってみたいね」「欲しいね」と話していた。次のNY取材時に、カタログに24時間営業と書いてあったので、わざわざ夜中の12時に行ったら本当に店が開いていた。大騒ぎで夜中に取材して大特集をしたら、やっぱり人気になりました。重松さんもビームス時代から、いつも面白いものを探さないといけないという気持ちがあったんでしょ?

重松:もちろん。75年に初めて海外に買い付けに行ったときには、当然、「メイド・イン・USAカタログ」を持っていきましたから。アメリカの「ナイキ(NIKE)」もロンドンの「ヴィヴィアン・ウエストウッド(VIVIEN WESTWOOD)」も、それを見て買ってきました。そこから始まっているんです。買い付けのバイブルみたいなものでしたね。本に出ているから、圧倒的な説得力があるじゃないですか。しかも、説明も書いているから、店頭に出したらすぐ売れましたからね。ずっとそれの繰り返しでしたね。雑誌が早いか、洋服屋が早いかといえば、雑誌のほうが圧倒的に早いんです。洋服屋が後追いして、雑誌に合わせて品ぞろえしていくという時代でしたね。それで流行がまた出来上っていくという。

石川:僕たちは誌面に出したい、紹介したいだけで、連携プレーをしていたわけではないけれど、重松さんたちが活用してくれて、しかも、それが読者サービスにもなる。嬉しかったですね。

――「日本現代服飾文化史」の構想を聞いたときの最初の印象は?

石川:光栄だけど、果たして自分にできるかなと。自分はファッションを専門にやってきた人間ではないので。ただ、世界中を取材してきた中で、どうしてもファッションは同時に扱わなければならない要素だったんです。若者雑誌なので。ファッションは常に意識はしてきましたが、クロニクルという年代記でファッションをまとめることが僕にできるのか考えましたよ。背中を押してくれたのは、重松さんの「サブカルチャーとしてのファッション、あるいは、権威の外にあるファッションでまとめて欲しい」という言葉でしたね。対象になるのが1941年生まれの僕が物心がつき始めたころの45年からということで、僕の人生と重なるということもあって、これも一つのご縁だなと。自分の経験としてまとめることはできるかなと思ったんです。でも、60年代、70年代はわかるけれども、最近のことは若い人々にはかなわないし、現場で取材しているわけではないので、若い世代、違う世代の協力が絶対に必要だなと。少ない人数の良いチームが作れれば、面白いものができるのではと考えました。

――戦後75年のファッション史をまとめるとなると膨大な内容になりますが、どんな手順や切り口で企画・製作を進めたのですか?

重松:ファッションビジネスにかかわってきた者として、社会で起きた出来事やファッションの流れに基づく年表をメモにして、トピックスを書き出しました。それを財団のメンバーに渡して、年表を完成させていきました。

石川:その年表には、45年から現代までの、世の中で起こったこと、ファッション業界で起こったこと、風俗的なものなどが大変詳細に書かれて、よく整理されたものでした。これをベースに本を作ってほしいと言われて。大変だな、と思いつつ、年表があったからこそ本を作り上げることができました。とくに70年代ぐらいまでは、まさに僕の仕事、現場でバンバンやっていたことがたっぷり入っています。

――テーマを設定し、歴史とともに、その時代の象徴的な事象がコンパクトにまとめられていますね。

石川:限られたページの中になるべくたくさんのことを入れたくて。最初は100のテーマにしたかったけれど、それだと細切れになってしまうし、4ページ、6ページ、中には8ページで紹介するものもあったほうがリズムができるので。65のテーマが精一杯でした。それぞれ一冊の本になるぐらいのものをどう切るか。難しかったけれども、すごく面白かったですね。入りきれないぐらい、まだネタは余っています。それにしてもあの年表はかなり完璧で。ほとんど漏れているものはないでしょ?

重松:そう思っていたのですが、よく考えたら漏れているものがたくさんあって、追加したい項目が出てきてしまいました。なぜかというと、生活文化の中で、ファッションは衣なのですが、食住があってこそ文化なんです。この本には食住がないんですよね。それと、衣といえば、遊び場じゃないですか。遊び場があって、ファッションの流れというものができた。それに全然触れていないし、遊ばせてくれた人にも触れていないんです。どういうお店に、どういう人がいて、そこにどんな人々が集まっていたのか。そういうこともちゃんと残しておいたほうがいいなと。そういうことも含めて、追記したいなという思いが湧いてきました。

石川:実はあの年表は、重松さんのディスコ遍歴から書かれたものなんだとか(笑)!?

重松:そうなんです。もともと、そこから始まったんです(笑)。そこを残さなければならない。

――早速、改訂版や第2弾などの発行がありそうですね(笑)。それにしても、ファッションを社会潮流とリンクして考えることの重要性に改めて気付かされます。UAでも社会潮流からディレクションを行い、シーズンテーマやMDを組み立てることを長く行ってきましたよね。

重松:そこが、この本で残さないといけないなと思った理由でもあります。ファッション史というとランウェイやコレクションを軸に語られることが多いのですが、デザイナーのブランドは、いい時と悪い時があったら、悪い時は歴史から消してしまいがち。自分が納得できなかった作品なども隠してしまうというか。でも、そうじゃないだろ、と自分は思うんです。社会潮流の中で起きたファッションの事象を、全部同じトーンで残すことをルールにして、足跡を正しく残すべきだと考えました。UAの視点にもそういう部分があるので、(半歩先をいく、次代にトレンドとなる可能性のある)先駆性商品と、(そのシーズンのトレンドを反映した)時代性商品、そして、(トレンドに左右されずに安定的に売れ続ける)独自性商品、オーセンティックスを追求しているんです。ファッションは流れているから、今残っているものは本当はない、という定義だけれども、そんなことはなくて、文化の潮流を下支えする重要なものであり、それが今に至っているのだというところに帰結したいと思ったんです。

(vol.3に続く)


「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」

【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く

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