松屋は4月に発表した中期経営計画では、2024年度に売上高を830億円に戻す数値目標を掲げた。コロナ前の19年度に898億円だった売上高は、21年度は650億円。銀座と浅草に店舗を構え、どこよりも訪日客減少の影響を受けた百貨店だけに道のりは険しい。それでも秋田正紀社長は「松屋に求められる価値が見えてきた」と話す。(この記事はWWDジャパン2022年7月18日号からの抜粋です)
PHOTO:KAZUO YOSHIDA
WWDJAPAN(以下、WWD):中期経営計画で何を実現したいのか?
秋田正紀社長(以下、秋田):ミッションは「全てのステークホルダーが幸せになれる場を創造する」ことだ。長いコロナ禍を経て、多くの人は本当の幸せとは何かを見つめ直した。松屋も百貨店が提供できる価値について社内で議論を繰り返した。例えばファッションは役に立つ、立たないではなく、着る人の気持ちを高揚させ、心を豊かにすることが本質的な価値だ。巣ごもり生活する分には不要不急かもしれない。でも人間は必ず心の豊かさを求める。百貨店のファッションはその期待に応えなければならない。
1回目の緊急事態宣言(20年4月)で休業した際、デパ地下だけでも再開してほしいという声が多く寄せられた。スーパーは営業しているけれど、デパ地下の心が躍るようなスイーツや惣菜がほしい。制限された巣ごもり生活でも豊かにしたい。人間の根本的な願いだと思う。
WWD:具体的にはどんな施策をとる?
秋田:百貨店は大衆に奉仕するのはもちろん、もっと個のお客さまにアプローチする必要がある。今までは毎日たくさん来店するお客さまを待っていればよかった。集客力に頼りすぎて、個のお客さまに対しては受け身だったかもしれない。漠然と一方的にボールを投げるのではなく、まずは顔の見えるお客さまに対してキャッチボールしていくことが重要だ。お客さまとの関係性を濃くする。
紳士服、食品、美術のエースを 外商部門に送り込んだ狙い
WWD:中計でも自社カード会員や外商などID顧客の売り上げシェアを19年度の47%から24年度は60%に増やす目標を掲げた。
秋田:例えば外商ではLINEワークスを使って、お客さまと密接なキャッチボールができるようになった。売り場から発信することも大事だが、お客さま起点のコミュニケーションで細かい要望も拾う。外商のお客さまは時に私たちをしのぐような知識をお持ちだ。スタッフの個人プレーだけでなく、チームプレーの態勢に改める。社内からエースバイヤーを外商部に移籍させたり、他の百貨店の経験者をキャリア採用したり、あるいは異業種でオーダーメードのような富裕層ビジネスに携わった人材を招いている。
WWD:外商の売り上げシェアは17%(19年度)で、24年度の目標は22%。他の百貨店に比べれば、まだ伸び代があると?
秋田:そうだ。外商のお客さまも世代交代しており、伝統的な手法だけでは満足してもらえない。新しい外商ビジネスを構築するため、内外の知見を最大限に使えばチャンスは広がる。社内からはメンズファッションの宮崎俊一、食品の始閣理子、美術の藤原浩二といったエースバイヤーを外商部にコンバートした。宮崎であれば、紳士服を知り尽くしているのはもちろん、アンティーク時計など店舗では手薄な分野にも知見があり、エグゼクティブのお客さまの心に響く提案ができる。店舗で取り扱っていない商品も探し出す。
もちろん伝統的な手法も大切にする。納品の際「◯◯さんなら家に上がってもいいよ」というほど外商スタッフは信頼されている。これは非常に重要なことだ。居住空間を充実させたい方は多く、インテリアや食器などはよく売れた。今は関心が壁に飾るアートに移っている。
WWD:アート市場のポテンシャルをどう考える?
秋田:アートの世界市場規模は約5兆4000億円。日本はその1%に過ぎず、伸び代は大きい。私は経済同友会で「スポーツとアートの産業化委員会」の仕事をしており、関係者に会う機会も多い。例えば三井住友銀行は(大手町の本社の)1階ロビーを開放して現代アート展を開いた。資産ポートフォリオの一環でアートを組み込むことが常識になりつつある。百貨店が築いてきたアートの知見はもっと生きるはずだ。アートの仕事を通じて、(著作家の)山口周さんと話す機会が多いが、彼の「役に立つ・立たない」「意味がある・ない」の座標軸は百貨店ビジネスを考える上で示唆に富む。ファッションであれ、アートであれ、たとえ役に立たなくても意味がある分野を百貨店は推進していくべきだ。
WWD:顧客の悩みを解決するような「役に立つ」役割も大きいのでは?
秋田:その取り組みの一つがファッションコンサルティングサービスだ。お客さまの要望に沿って服装を提案する。特にビジネスで活躍する女性は、役職が上にいくほど、仕事で着る服に悩む傾向にある。プロからの助言で、新しい自分のスタイルを発見したり、自信を持ってプレゼンに臨めるなど、お客さまからの評価は高い。コンサルまでいかなくても、コロナ下では「これがほしい」といった目的を持って来店されるお客さまが増えている。1対1のていねいな接客にはこれまで以上に力を入れる。
地方文化発信のハブになる
WWD:リアル店舗の価値をどう考える?
秋田:私たちの最大の財産は銀座に立地する百貨店だということ。どこの百貨店やショッピングセンターにもある商品を銀座で売っていてよいのか?と昔から考えてきた。わざわざ当店までお越しいただくためには、銀座にふさわしい商品とサービスといったフィルターを通さなければいけない。たとえ他店にあるブランドであっても銀座のお客さまにふさわしい商品を厳選するなり、独自企画をするなりする。
銀座からの積極的な発信を行う。昨年8月、当社が開発した人工ダイヤモンドの宝飾ブランド「エネイ」を発表した。新規事業を模索する中、時代が求めるサステナブルなジュエリーとして社内から持ち上がった。これも銀座に来ないと出会えない独自性である。あるいは地方の皆さんと協業を強める。地方の伝統工芸や食のポテンシャルはものすごい。にもかかわらず発信の手段がないため、伸び悩んでいる。銀座に拠点を持つ私たちが発信のお手伝いをできないか。そうして実現したのが、青森のねぶた、福島の藍染めなどとのコラボだった。昨年12月には、大きなサンタクロースをねぶたで作ってもらい、吹き抜けの空間やショーウインドーに展示したところ、大きな反響があった。コロナでねぶた祭りは中止を余儀なくされたが、その素晴らしさを関東の人が触れる機会になった。地方の文化を広く発信するハブとしても機能できると思う。