小田急百貨店新宿店が10月2日、本館の営業を終了する。ラグジュアリーファッションや化粧品、食品など一部のカテゴリーは別館にあたる「新宿西口ハルク(以下、ハルク)」に移設し、4日に改装オープンする。
運営する小田急百貨店は、新宿店本館の営業終了を21年7月に発表した。だが、新宿店自体が閉店するといった誤解が一部で広まった。誤った情報の火消しのため、新宿駅などでは「小田急百貨店新宿店は、閉店しません」と大体的に掲げた広告で“引っ越し”をアピールし、本館終了後のハルクへの移転の周知に努めた。
それでも本館の営業終了に、なじみの利用客は喪失感を覚える。本館では今年5月から「売り尽くしセール」を実施し、営業終了を直前に控えた9月下旬の店内は多くのシニア客でにぎわった。杉並区在住の河島成美さん(63)はこの日、婦人洋品売り場で折りたたみ傘、催事売り場で下着を購入。かつては新宿に勤務し、退勤後はその足で小田急で買い物をすることも多かったという河島さん。「小田急といえばこっち(本館)。なくなるのは、なんだか実感がない」と寂しがった。夫とレストランに食事に訪れた女性(70、豊島区在住)は、「新宿のオアシスだった。なじみの販売員さんと会えなくなるのは悲しい」と肩を落とす。
婦人服の終了は「苦渋の決断」
時代に合った新しい“リテール”へ
本館の3層を占めていた婦人服などは本館閉鎖とともに姿を消す。小田急百貨店の林幸一店長は「(婦人服の取り扱い終了は)苦渋の決断だった」と明かす。21年に店長に就任する以前は、新宿店の婦人服部門でもキャリアを重ねた。新宿店について、「昔も今も変わらないのは、『店員さんが優しい』『親切だ』とお客さまから温かいお言葉をいただくこと」だと語る。「都心の真ん中にありながら、気取ったり、敷居が高かったりすることがない。居心地のよい空間は、他にない価値だった」。小田急沿線商圏で根強い顧客に愛された同店は、外商にも強く、売上高全体の約2割を占める。
小田急新宿店は、東京五輪が開催されて日本が高度経済成長期の好況に沸く1967年、新宿西口広場の再開発とともに全館営業を開始。本館はパリ万博日本館などを手掛けた坂倉準三による建築で、14階建てと当時としては珍しい高層の百貨店として、変化する街の象徴になった。世界一の乗降客数を誇る新宿駅直結の立地を生かし、百貨店全盛の1991年度には売上高1784億円を記録。しかしこれをピークに下降線をたどり、コロナ禍もあって2022年2月期は635億円まで落ち込んだ。専門店や商業施設の出店による周辺エリアの競争激化、ECの台頭などにより、客を奪われていった。
コロナ禍による移動の減少は、早急なビジネスモデルの転換を迫った。林店長は「電車で通勤し、生活動線の中で百貨店に立ち寄るというライフスタイルそのものの変化は恒久的。完全に元には戻らない」とした上で、「百貨店という枠組みにとらわれず、時代に合ったリテールの答えを数年かけて探っていく」と前を見据える。
新宿駅西口のシンボルとして愛されてきた小田急百貨店新宿店の本館は、全面開業55周年を節目にその役割を終える。親会社である小田急電鉄は、新宿店本館の営業終了の翌日の10月3日から解体工事に着手。跡地には29年度に商業・オフィス一体の高層ビル(名称未定)の完成を予定するものの、百貨店が入居するかは決まっていない。