黒河内真衣子/「マメ クロゴウチ」デザイナー、黒河内デザイン事務所社長
長野県出身。三宅デザイン事務所を経て、2010年に黒河内デザイン事務所を設立。「マメ」を立ち上げて11年春夏にデビュー。14年に毎日ファッション大賞で新人賞・資生堂奨励賞を受賞。15年春夏からパリで展示会を開催。17年に第1回ファッション プライズ オブ トウキョウに選出され、18-19年秋冬シーズンからパリ・ファッション・ウィークの公式スケジュールに参加。同シーズンに東京で行われた「アマゾン・ファッション・ウィーク」ではアマゾンファッション主催のイベント「アット トウキョウ」でランウエイショーを披露。20年に伊シューズメーカーのトッズと協業。同年、世田谷・羽根木に初の直営店をオープン。21年は出身地・長野の県立美術館で単独展覧会を開催、またユニクロとの協業商品「ユニクロ アンド マメ クロゴウチ」の第1弾も発売した。23年1月19日に青山エリアに旗艦店を出店予定
黒河内真衣子による「マメ クロゴウチ(MAME KUROGOUCHI)」が、何度目かの飛躍の時を迎えている。昨年は出身地である長野県立美術館で個展を行い、コロナ禍により中断していたパリでのランウエイショーも2023年春夏シーズンに再開した。売り上げは立ち上げ以来落としたことがないといい、2023年1月19日にはいよいよファッションの本丸である東京・青山エリアに旗艦店を開く。産地の職人と組んで美しいモノ作りを追求し、「マメ クロゴウチ」の服を繊細に着こなす黒河内はクリエイターとしてのイメージが強いが、ブランド設立当初から「何年後に何をしているか、常にビジネスプランが頭の中にある」と経営について語る姿も印象的だった。黒河内に、設立からの12年と目指すものを聞いた。
WWDJAPAN(以下、WWD):2010年の会社設立から12年が経った。最も手応えを感じていることは何か。
黒河内真衣子「マメ クロゴウチ」デザイナー(以下、黒河内):スタッフができたことです。1人手探りで始めた小さなブランドですが、1人ずつ乗組員が増えて、船が少しずつ大きくなってきました。スタッフは20年にオープンした世田谷・羽根木の店舗の販売員を含め、現在14人です。モノ作りにおいて、挑戦したい、やりたいと思ったことが実現できる体制にあるというのはすごいこと。チームが育ち、会社として今も規模は小さいながら成長しているということが、自分の中では最も大きなことです。
WWD:デビュー間もないころから、「常に何年後に何をするか、ビジネスプランを考えている」と話していたのが印象的だった。
黒河内:今も同様に今後のプランを考えていますし、自分の描いてきた通りにここまで進んでいます。プランに則って1つ1つジャッジをしており、2023年の年初に青山エリアに出店することも計画通りです。立ち上げ10年弱の時期には、会社やブランドとして次にどこを目指すのかをすごく考えました。会社を大きくしていくのか、それとも小さい規模のままで濃度を高めていくのか。考えて考えて出した答えが、単に会社を大きくするのではなく、チームとしてブランド力を高めていくというものです。いつまでにどれくらいの売り上げを作って、何店舗出店して、どんなふうに有名になっていくかについては、立ち上げ当初から指標があります。そういったビジネス的な指標だけではなくて、今は自分たち自身の力をどう高めるかに課題として向き合っています。
WWD:12年間で、ターニングポイントとなった出来事は。
黒河内:節目節目で私は本当に人に恵まれてきました。最初は(国内セールスを担当する)エイト・リンクの六本木(八栄)さん。彼女に初めて会ったのはデビューシーズンの展示会直前です。ビジネスが継続していくように、長い視点でブランドを育ててくれる人が日本では非常に少ない。そんな中で、彼女は自分と同じ目線で一緒に歩んできてくれた人です。友人の誕生日会で偶然会ったときに「こういうブランドをやりたい」「これぐらいのペースで会社を育てていきたい」というプランを彼女に話して、振り返ればそこからブレずに今までやってきました。
六本木さんだけでなく、(海外セールスを担当するショールーム、セイヤ ナカムラ2.24の)中村(聖哉)さんや、ユニクロなどのコラボレーション先との出会いもそう。人に恵まれるというのは、才能のあるなしによるものではないと思います。この仕事をしている人は誰だって自分の才能を信じている。私も自分のモノ作りを楽しんで、自分の信念に従ってやっています。でも、恐らくどれだけ才能がある人でも、(人との出会いに恵まれなかったことで)発信するタイミングやその方法が噛み合わず、世の中にうまく伝わらないということがたくさんある。だから、人との巡り会わせは天がくれたギフト。この人のことが好きだな、一緒に仕事がしたいなと思える人たちと仕事ができていることは、神さまからの贈り物だと感じます。
ニューヨークのショールーム、ザ・ニュースの石井ステラ社長との出会いも転機の1つでした。ショールームの中にキッズルームがあって、スタッフが育児をしながら働いているというワークスタイルに感銘を受けたし、会社とはどうあるべきか、人生において仕事とどう向き合っていくべきかを考えるきっかけになりました。それが、自分は会社をどんな形にしていきたいかを思い描くことにつながっています。
WWD:黒河内さんはクリエイターとしての面をフォーカスされることが多いが、このように話を聞いていると改めて経営者としての側面も強く感じる。
黒河内:誰かに「出資をするから、あなたは好きなようにデザインだけしていればいい」と言われて、その人が経営を担ってくれることになったら、私は何もできなくなると思う。会社を経営しなきゃいけない、ジャッジをしていかなきゃいけないということが、私にとってはいい意味で締め付けになっています。それがあるから、クリエーションだけでぽーっとどこかに行ってしまうことなく、地に足をつけて自分の場所を見ることができている。
「自分の世代に合ったビジネスの形を模索したい」
WWD:ビジネスプランとして、具体的にこの先はどんな計画を描いているのか。
黒河内:この先は、想定ではもっと規模が大きくなっているはずでした。海外に何店舗も出店していくようなイメージです。でも、(そのような大々的な出店が)果たして必要なのかとも今は思っているし、プランを少し修正しようと考えています。ブランドを始めたときのほうがもっと貪欲で、「こうしていきたい」という思いも強くありました。でも、あのころ頭の中で描いていたものとは違う形で、会社経営やブランド運営の面白さをたくさん感じることができて、そうした経験をどう残して、次の世代に伝えていくかに今は関心が向いています。
自分より上の世代の先輩たちの方が、ビジネスとして多様な成功の形があったんじゃないかと思います。(出身である)「イッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)」もそうですが、ああいう大きなブランドが日本から輩出されたことも成功の形の1つ。今は卸先のお店の数も減っているし、若い人たちがプライベートで使えるお金も限られている。他方でインターネットが普及し、他にお金を使うべきものの選択肢は増えています。その中でアパレルはどう生き残っていくことができるのか。先輩たちの時代とは全く異なるタームにいると思うからこそ、やはり私は、売り上げだけを指標にしないブランドの形を模索したい。きれいごとだけではだめで、会社を回していくためには規模もキープする必要があります。先輩たちも苦労してビジネスの形を模索して、成功を収めてきたんだと思う。自分は自分の時代に合った答えや形を、自分の尺度で導き出したい。
WWD:上の世代のデザイナーに比べると肩肘張らない自然体のイメージがあるが、心の中では死に物狂いでもがいているのか。
黒河内:死に物狂いですね。例えば23年春夏は竹を着想源にしていますが、どのシーズンもコレクションができあがった瞬間は途轍もなく幸せなんですよ。でも、ショー直前のブリーフィングで、関係者に「着想源は竹です」と話してコレクションを見せたら、その場にいた全員が固まっていた。「竹の要素が強すぎるんじゃない?」って。結論から話すと、今シーズンも売り上げはしっかり伸びたのでよかったですが、「しまった、やってしまった」と思うことはあります。だから胃薬をいつも持ち歩いている。ファッションはビジネスである以上結果が明快で、そこに対する焦りや不安な気持ちは常にあります。やり切ったクリエーションと売り上げのバランス。そこに常にプレッシャーは感じますが、それは自分にとって必要なものです。
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