「WWDJAPAN」の「日本が、やがて香水砂漠ではなくなる理由」という記事を読んで、嬉しくなった。「ノーズショップ(NOSE SHOP)」を作った5年前とは比べ物にならないほど日本の香水市場が活性化していることを社外の定量的なデータや、社内の売れ筋情報、店頭の活況ぶりからもヒシヒシと感じていた自分の感覚とぴったりだったからだ。
「ノーズショップ」を作った頃、日本の香水市場は「香水砂漠」と揶揄されていて、香水専門店、それもニッチな香水ばかりを集めて店舗という構想は誰も賛同してくれなかったことは、以前「WWD JAPAN」のインタビューでお話した通りだ。実際に開店当初は、閑古鳥が鳴くような時期もあった。それがいまや10万円を超す超高額の香水や複雑で難解な香り、ハイコンテクストなストーリーを持つものまで、これぞニッチという香水がしっかりと売れるようになり、「ノーズショップ」は日本国内に10店舗を構えるまでに成長した。700種を超える香水を取り揃え、売れ筋は定番的な人気商品に偏らず、個性的な香りたちに光が当たる状況がこんなにも早くやってくるとは。創業者である自分にとっても容易には想像できなかった。
「ノーズショップ」は、いわゆる常識的な香水の売り方とは一線を画するようなメッセージや手法で、既存の香水ファンだけでなく、新しい顧客層も掘り起こしてきたと自負している。しかし現在の日本の香水市場全体の盛り上がりは、一企業の努力だけで成し遂げられたものではない。一夜にして起こった変化でもなく、香水という文化に惚れ込み、貴重な時間と熱量を注ぎ込むたくさんの優れた企業やプレイヤーたちによって成し遂げられた革命だ。
「ノーズショップ」の外に目を向けてみると、渡辺裕太クリエイターが手掛ける「サノマ(CANOMA)」や、山根大輝社長が手掛ける「リベルタパフューム(LIBERTA PERFUME)」などは、日本の香水市場を牽引する輝かしいブランドとして、熱狂的な支持を受けて多くの新しい香水ユーザーを生み出した。有名ブランドの香水を手軽に試せるサブスクサービスも、複数社がしのぎを削りながら急成長を続けている。「ジェイセント(J-SCENT)」「エディット(EDIT(H))」「ディセル(DI SER)」などの日本産香水の国内外での評価も次第に高まっている。情熱溢れる新進気鋭の香水専門ディストリビューターの存在も光る。長年、専門性の高い情報発信を続けてきたフレグランスメディア「プロフィーチェ(profice)」によるマーケット拡大への貢献も多大だ。フレグランス文化の正確な紹介と業界全体の教育を推進してきた日本フレグランス協会の長年の功績も見過ごせない。例を挙げればきりがないが、こういった多くの功労者たちによって、日本の香水マーケットの変革は成し遂げられようとしている。
それでも中国や韓国に比べ
「大きく劣後が国際評価」
とはいえ、今の日本の香水市場のプレゼンスは、諸外国に比べれば大きく劣後しているというのが国際的な評価だ。日本の市場は国際的に見れば、「まだまだ」なのだ。
昨年の6月、コロナ渦を経て3年ぶりにイタリア・ミラノで開催されたニッチフレグランスの国際的な祭典「エクセンス(ESXENCE)」に参加してきた。そこでは一時期香水業界を席巻していた中東向けの濃く強い香水が比較的おとなしくなり、代わって柑橘系を主体とするような比較的ライトなつけ心地のフレグランスが多く見られた。大きな盛り上がりを見せ始めているアジアマーケットを意識してのものだ。東南アジアなどは高温多湿な気候も背景にあって比較的軽やかフレグランスが好まれ、日本同様に中国や韓国には香水のライトユーザーが多く柑橘系などの繊細なフレグランスが好まれる。これらの国の中でも、特に中国と韓国のマーケットの躍進は目覚ましい。中国では数年前の輸入化粧品に関する規制緩和などもあり、主要な香水ブランドが続々と進出。現在はニッチなブランドの多くも中国本土への進出を果たし、数年前には世界の香水マーケットのわずか数%を占めるのみと言われていた中国の香水市場は、毎年爆発的な成長を見せている。香水に対して日本と同様に控えめと言われていたお隣の韓国も、香水ブランドのマーケッターの話を総括すると、おそらくすでに日本の香水市場よりも大きくなっているようだ。財閥企業などの大手資本によるニッチフレグランスマーケットの進出などの話も聞く。
コロナ禍のマスクの影響が
香りの楽しみ方を変えた
それでも日本のフレグランス市場は、業界の自助以外の外部環境によっても成長を続けている。マスクの影響だ。長引くコロナ渦のマスク着用によって、日本人の身にまとう香りの楽しみ方そのものが変化した。「ノーズショップ」ではコロナ渦の自粛期間から、ウードを使った香水やスモーキーレザーな香りなどが顕著によく動くようになった。聞けば、ほぼすべての人はマスクで他人の鼻を意識することが減り、自分の好きな香りを楽しもうというモチベーションがあがったという。香水は本来まず自分の鼻を楽しませるものだが、その香りは周囲の鼻にも届く。「人様への迷惑を気にする」のは我々日本人の国民性のひとつだ。この感性はアジア圏でも広く見られるが、日本においては特に顕著だ。
マスクによる恩恵とは裏腹に、日本独特の「香害」という概念がすでに一般化しつつあることも認識しなければならない。香りが苦手な人の「鼻の権利」とでも呼ぶべきものについても、しっかりと配慮される世の中でなければならない。町中でさまざまな香りが華やかに咲く中東や欧米ではこうだから、日本でもこうあるべきいう「べき論」はローカルマーケットを前提にしたときにはむなしく響くだけだ。新型コロナの影響が少なくなり、マスクの着用が日本全体として減ってきたときに、果たして現在のようなマーケットの盛り上がりは維持されているのだろうか。私達の次なる課題は、社会全体の香りに対する需要度を上げることではないかと思う。無臭も含めた「香りの多様性」が認められる社会。これぞ自分の香りだと自身をもって表現でき、それが社会的にも受け入れられる状態。そういう未来の実現には、業界の垣根を超えた社会運動の醸成が必要となるはずだ。かつて「香水砂漠」と呼ばれた日本の新しい香りの未来は、もうすぐそこまできている。