カシオ計算機の現・専務執行役員で時計BU(ビジネス・ユニット)の増田裕一事業部長が4月1日に新社長に就任するという人事は、1946年に樫尾製作所として創業して以来、初の創業家以外からの社長で注目を集めている。
だがカシオ計算機における時計事業の重要性を考えると、また増田専務が1978年の入社以来、時計事業一筋で「Gショック(G-SHOCK)」を核とした時計事業の進化・発展を牽引してきた実力と功績を考慮すると、筆者は社長就任を至極当然のことと考えている。
時計事業こそカシオのコアビジネス
「計算機」という社名からわかるように、カシオは計算機で世界的企業に飛躍した会社だ。今から65年前の1957年に世界初の小型純電気式計算機「14-A」を、さらに60年代には電子式卓上計算機を開発して世界に事業を展開。72年には世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を発売して、誰もが知るOA(オフィス・オートメーション)が中核の電子機器メーカーになった。そのため、事業の中核はやはり電卓やデジタルカメラなどの電子機器というイメージがある。
しかし、このイメージはかなり昔のものだ。74年発売の、日付修正の手間をなくすオートカレンダーを搭載したデジタルウオッチ「カシオトロン QW02」に始まり、83年に第1号モデルを発売した「Gショック」に象徴される時計事業こそ、現在のカシオのコアビジネスだ。2022年度を見ても、売上高の約60%が時計事業であり、営業利益に関しては大部分を担っている。業務用のハンディターミナルや電卓も開発・製造しているが、時計の次に収益を上げているのは関数電卓などの教育事業。1990年代から2010年代かけてはコンパクトデジタルカメラや携帯電話でもユニークで魅力的な製品が人気を博したが、18年には民生用のデジタルカメラ事業からも撤退している。つまりカシオは「時計の会社」なのである。
実績から考えればトップ就任は当然
新社長でエンジニアの増田氏は、入社以来一貫して時計部門で活躍。「『Gショック』の生みの親」であるエンジニアの伊部菊雄氏と2年違いの入社で、初代「Gショック」の商品企画を担当してオンリーワンブランドに育てた立役者だ。1997年に最初の「Gショック」ブームが終わり、2001年に時計事業の売り上げがピークの1/3の赤字スレスレになったとき、時計事業の建て直しを主導したのも増田氏である。
この前年の00年にカシオはアナログでメタル素材の腕時計「エディフィス(EDIFICE)」を、さらに2004年にはアナログでメタル素材で薄型の「オシアナス(OCEANUS)」を発売。それまでのデジタル&樹脂素材の低価格路線から、アナログ&メタル素材の高級路線という新基軸を立ち上げた。「デジタルの技術を使ってアナログ時計で面白いことができないかと考えた」と、筆者は増田氏から直接話を聞いたことがる。その狙いは見事に当たり、時計事業はカシオの不動のコアビジネスになった。06年6月には執行役員・開発本部・時計統轄部長に。09年には取締役・時計事業部長、14年5月には取締役・専務執行役員・時計事業部長に。さらに19年6月には専務執行役員 開発本部長兼事業戦略本部・時計BU(ビジネスユニット)事業部長に。そして 21年4月には現職の専務執行役員兼時計BU事業部長に就いている。これまでの功績を考えるとトップ就任は当然か、遅すぎたと言える。
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