2020年代のファッションを象徴するトレンドに1990年代リバイバルや“Y2K”がある。これらを経て、2020年代のトレンドはこの先どう変化していくのだろうか。1990年代に一斉を風靡したデザイナーたちや、カリスマ的人気を誇ったショップの仕掛け人、大ヒットした雑誌の編集長が当時を振り返りながら、この先のファッション界の変化を予想する。(この記事は「WWDJAPAN」2023年月4月24日&5月1日合併号からの抜粋です)
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青木正一/フォトグラファー、編集者
PROFILE:(あおき・しょういち)1955年、東京生まれ。ヨーロッパのストリートファッションに感銘を受けて、海外ストリートスナップ誌の先駆けとなる「ストリート」を85年に創刊。96年に、原宿に集まる若者たちのファッションを記録した雑誌「フルーツ」を立ち上げる。2004年に「フルーツ」のメンズ版として「チューン」を発行 PHOTO:HIRONORI SAKUNAGA
1990年代にはSNSがなく、インターネットも黎明期で情報を得る手段は限られていた。
中でも雑誌とショップは貴重な情報源であり、時にデザイナー以上の影響力を持ってファッションビジネスを動かしていた。スナップ媒体の先駆けである「ストリート」「フルーツ」の創刊者で、若者を撮り続けてきた青木正一は、ストリートスタイルの変遷をどう振り返るか。
かつて日本のストリートはつまらなかった
青木正一がストリートスナップを始めたのは1985年のこと。当時はファッション雑誌が大きな影響力を持ち、「流行通信」「オリーブ」「ハイファッション」などが人気だった。しかし、デザイナーやエディター、スタイリストといったクリエイターによるファッション提案のみで、「街中のリアルな装いをビジュアルメインで紹介する媒体はなかった。だから、ストリートスナップをやろうと。実はビル・カニンガムがニューヨークでやっていたらしいが、そんなこと知らなくて(笑)」。
当時の日本はDCブーム全盛期。街には「コム デ ギャルソン」を筆頭に、黒ずくめのスタイルが溢れていた。「かっこいいけど、個性はなかった。ブランドやデザイナーを崇拝し、その世界観をそのまま着るスタイルだったから。僕は、ストリートファッションの達人を記録していくことに興味があった」。青木がスナップの舞台に選んだのはパリ。現地の新聞に「スナップ写真を撮らないか」という記事を出し、連絡をくれたクリエイターとともに「ストリート」を創刊した。「5号目までは、現地からフィルムをもらって、日本で編集していた。手応えを感じながら、もっとおしゃれな人もいるだろう」と、自ら海外に行き始める。「クラブに張り付いたり、パブで粘ったり。タフだったが、刺激的だった。彼らは、ブランドをただ崇拝するんじゃなく、自分の“表現”として取り入れていたから」。
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