大竹伸朗/画家
1955年東京生まれ。80年代初頭から国内外で作品発表を開始。88年に制作拠点を愛媛県宇和島市に移し、絵画を中心に音や写真、映像、エッセイ、絵本など多彩な作品を発表。14年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。22年2月、ハワイ・トリエンナーレに参加。同11月、東京国立近代美術館で個展を開催(~23年2月5日)し、愛媛県美術館(5月3日~7月2日)、富山県美術館(8月5日~9月18日)を巡回 PHOTO:HIROAKI ZENKE
「I♥湯」「ニューシャネル」「宇和島駅」――。アートファンならずとも見覚えがあるこのワードセンスと独特のフォントは、画家、大竹伸朗によるもの。愛媛県宇和島市に居を移して35年になる大竹の作品は、絵画、版画、彫刻、インスタレーション、映像、絵本、音楽、エッセイなど、実に多彩だ。その全てがパワフルでエネルギッシュ。さまざまな素材と情報をコラージュし、観る者を圧倒する。大竹は現在、愛媛県美術館で「大竹伸朗展」(7月2日まで)を開催しており、同じく愛媛・道後温泉の保存修理工事で本館を覆うテント膜のアート「熱景/NETSU-KEI」(10月末までを予定)も担当している。大竹がアートに込めた熱気とは?
――1988年に宇和島に拠点を移し、それまで住んでいた東京や外国(ニューヨーク、香港、ロンドン、ナイロビなど)と、制作に対する気持ちの変化はありましたか?
大竹伸朗(以下、大竹):都会にいるといろんな価値観の人が大勢いるから、自分の欲求がガス抜きされる感覚に陥ってしまうんです。何かを作るときは、周囲を遮断して、ひとりになる状況がやっぱり必要になるというかね。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうじゃないですか。楽しさというのはある意味危険で、都会は面白いことや誘惑が多いから、情報がなるべく入らない場所が必要でした。後悔しない日々を過ごすためには、自分を追い込める状況を作らないと難しい。優先順位の話ではあるけど、自分にとっては作品を作れることが一番の幸せだったんです。
――道後温泉の「熱景/NETSU-KEI」のテーマは、“水・熱・光、また人や街の生み出すあらゆる「エネルギー」”です。大竹さんが道後から感じたエネルギーについて、改めて教えてください。
大竹:温泉には、マグマから生まれる地球の根源と繋がるイメージがありました。だからオファーを受けたときに、道後のエネルギーと人のエネルギーをテーマにしようというのは、すぐに決まったんです。そのエネルギーを月や太陽、雷など、自然のモチーフで表現しました。そのパワーを伝えたいんです。
――大竹さん自身が作品作りのエネルギーにしているものはなんですか?
大竹:自然かな。朝起きると作りたくなるからあまり考えたことはないですが、自然のリズムは感じますね。
――原画を25倍に引き伸ばした今回の作品は、大竹さん史上最大の作品でもあります。いつのも作品作りとの違いを感じましたか?
大竹:やはり、あれだけ大きいと想像しづらいというかね。見上げる視点がすごく極端だから、そこら辺が初めての経験ではありましたけど、面白かったですね。(原画を高精細プリントで拡大し出力した)テント膜は、松山の業者さんにお願いしたのですが、再現度がすごい。原画とは全く違う印象で迫力もありました。
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