まず、最初の見開き「1 小さな感動」を読んでほしい。ファッション好きを自認する人であれば、きっと“ファッションの魔力”について共感するに違いない。そして、この本は幼い頃にその魔力に取り憑かれ、むさぼるようにファッションを楽しみ、愛し、それを仕事にし、作り、経営し、さまざまな商習慣や固定観念、契約社会の壁にぶつかりながら、夢を実現し、失い、そして再生を図ろうとする女性の第一人称での物語だ。
著者の小野瀬慶子氏とは20年来の付き合いで、キャットストリートに店を構えていた「チェンジズ ユナイテッドアローズ」ディレクター時代から、セレクトショップ「ザ シークレットクロゼット」の立ち上げ、「シクラス(CYCLAS)」をバーグドルフ グッドマンに卸すほどのブランドに成長させるまでを取材してきたが、常に時代性をとらえる嗅覚の鋭さに感嘆しつつ、「ファッションの力で女性を美しくしたい」という一貫した姿勢に刺激を受けてきた。ビジネスセンスも実行力もあり、実績もある女性だが、同時にとてもロマンチスト。その両方を併せ持っているからこそ、この業界の一線で活躍してきた。
小野瀬氏は現在、慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程に在籍し、ファッションの社会/人類学を研究している。修士論文の一部を書籍化したのが、この「フィッティングルーム ―― 〈わたし〉とファッションの社会的世界」(アダチプレス)だ。「オートエスノグラフィー」という研究方法で、自分自身を対象とし、個人の経験を文化的・社会的な経験として考察。自分の経験やその時の感情を一人称で主観的に記述し、「経験についての『意味付け』を表現」することで、〈ファッションをつくる〉実践(いとなみ)の意義とその社会的側面を明らかにしている。
「なぜ〈わたし〉は〈ファッションをつくる〉のか」。
その答えを自らの経験から導き出し、なおかつ文化的・社会的な意味付けをしようという野心的な一冊で、痛烈な批判や問題の指摘も含むが、メインの内容は小野瀬氏がファッションについて見て、経験して、感じた世界の記述。つまり、一人の女性のドラマであり、物語だ。
買い付け出張先のニューヨークで起こったアメリカ同時多発テロの際の混乱と緊張、東日本大震災後のショップスタッフとの日々のやりとり、パリで「シクラス」のプレゼンテーションを初めて行った際のさまざまな想定外の出来事など、業界の裏側が臨場感たっぷりに描かれている。これから業界に入ろうとする人、今活躍している人にとっても、示唆に富む内容満載。業界で働くことの喜びと難しさがギュッと凝縮されている。
一見集大成のようだが、著者にとってはまだまだ通過点のはず。物語は終わっていないと感じた。