ファッション

元禄から続く染めのプロ集団“石山染交” 連載「ときめき、ニッポン」第12回

山本寛斎事務所のクリエイティブ・ディレクター高谷健太とともに、日本全国の伝統文化や産地を巡る連載“ときめき、ニッポン。”。12回目となる今回は、徳川時代から続く染め工場の石山染交について。

東京都墨田区の錦糸町界隈には、お世話になっている舞台衣裳のアトリエや舞台稽古のスタジオがある。碁盤の目状の通りに、老舗から多国籍の飲食店や雑貨屋、町工場、倉庫、民家、寺院が入り交じり、その混沌とした風情がなんとも面白い。そんな町の一角に、何度も訪れているカフェがある。入り口には丁寧に染め上げられた友禅の着物が展示され、いつ来てもその技術力に惚れ惚れするのである。

昨年、京都の知人から着物のオーダーを受けたときに、納品までの時間が非常にタイトでどうしようかと悩んでいたところ、デザイナーの大先輩から染めから仕立てまで一貫体制でできるところを教えてもらった。それが、前述のカフェに展示されている着物を手がけた、石山染交(いしやませんこう)という染工場だった。縁とは不思議なものである。今回は、日本の伝統文化と芸能を支え続ける染めのプロ集団、石山染交を掘り下げる。

江戸から現代まで
300年以上日本の伝統を支え続ける

石山染交の創業は元禄、徳川五代将軍・綱吉の時代(忠臣蔵・赤穂事件のころ)までさかのぼる。現在の山形県南陽市で呉服商・染物屋として創業し、その後も代々山形県で商いを続けたが、戦後に墨田区横川で石山染交を設立した。最初は僧侶が身に着ける法衣を作っていたそうだ。その後、歌舞伎や能をはじめとした古典舞踊の装束が中心となり、十三代目当主の石山祐司社長の代から、雅楽、能楽、狂言、歌舞伎、オペラなどの衣装から祭り半纏(はんてん)まで幅広く手掛けている。

なぜそういったオーダーが多いのか。「こういった舞台衣裳は納期が非常にタイトな上、注文のひとつひとつが複雑で、一人の職人が何役もこなさなくてはならない」という。だからこそ、自社で一貫生産できるシステムを持ち、スピーディーかつ柔軟に対応できる同社は、舞台衣裳の世界になくてはならない存在なのだ。

「友禅」「引き染め」「無地染め」「型染め」「刺しゅう」「箔置き」などさまざまな染めや加工のオーダーに対して、卓越した技術力で応え続ける秘密は、同社の工房にある。マンションのような外観からは全く想像できないが、フロア全体が巨大な工房になっていて、染め場、蒸し場、洗い場、干し場、そして何万種にも及ぶ膨大な数の伊勢型紙の保管場などがひとつの空間に集約されているのだ。京都などでは工程ごとに分業するシステムが根付いているため、このようなさまざまな技術を持った職人たちが一堂に会し、そろって作業する光景は非常に珍しい。

“染めて、交わる。”
社名に込められた思い

“石山染交”という屋号を聞いたとき、「染工」ではなく「染交」という字が使われていることに引かれた。どういった意味が込められているのかを聞くと、やはり最初は「石山染工所」という名称だったそうだ。その後、刺しゅうの会社と合併したタイミングで「染交」になったという。長い歴史の中で複数の仕事が交わり、そうして培われた同社の持つ技術と知識量は計り知れない。

そんな同社に勤める友禅染師の加藤孝之氏は、業界全体の高齢化に強い危機感を覚えていた。石山社長も、「和装業界における職人の技術の継承が大きな課題だ」と語る。

和装業界はここ何十年と縮小し続け、コロナ禍を経た今はかつての何10分の1という規模にまで落ち込んだ。材料ひとつとっても、昔は当たり前のように生産されていた生地が今はもうない、なんていうことは日常茶飯事。特に天然素材のこだわったものはなおさらだ。

無論、手をこまねいているわけではない。同社は和装の魅力を次の世代に伝えていくことも義務だと考え、近年はワークショップの開催に力を入れている。加藤氏は「一昨年、友禅のハンカチ製作体験をきっかけに、この世界に就職された方がいました」と笑顔で話してくれた。墨田区が主催する「すみだモダン」という事業にも参加し、デザイナーとコラボした新商品の開発など、新たな取り組みにも意欲的だ。歌舞伎や鳶(とび)の柄を商品に落とし込むといった、新たな目線でのものづくりが始まっている。

最後に、僕が魅了されたカフェでの着物展示について、作品を手掛けた加藤氏に話を伺った。東日本大震災の直後、SASAYA CAFEから「復興」をテーマに作品製作の依頼があり、毎年秋に開催していた「すみだのてしごと展」に出展されたそうだ。当時、加藤氏は岩手県の宮古市で震災復旧のボランティア活動をしていて、依頼はちょうど被災地から戻ってきた頃だったという。まだそこまで前向きになれるようなタイミングではなく、どう表現していいのか迷いもあったそうだが、「浮世絵で描いてみてはどうかと思いました。描かれている4本の白い煙は原発事故を表しています。また、鯰絵(なまずえ)は、江戸時代から震災の表現として使われてきたもので、墨田区は葛飾北斎の生誕の地でもある。1カ月ほどかけて構図を書き、あとはひたすら展示会に間に合うように仕上げました」。この作品には新聞の取材や展示のオファーが舞い込み、仙台のホテルのロビーや、駐日フランス大使館にも飾られたそうだ。

【取材を終えて】
石山染交の工房を訪れた際に、染めの基となる伊勢型紙を見せてもらった。万を超える伊勢型紙の蓄積は、江戸時代から続く同社の歴史そのものである。前述のとおり、石山染交の最大の強みは、職人の技術に裏打ちされた一貫生産だ。しかし、それら強みも、材料となる織物や型染に不可欠な型紙があってのこと。友禅や浴衣などの型染も、江戸小紋のような精微な文様も、そのすべては型紙に彫られた絵柄から生まれ、さらにさかのぼれば、型紙のベースとなる型地紙(渋紙)も、美濃和紙を縦横互い違いに柿渋で貼り合わせた伝統的な製法によって作られている。僕たちのような作り手は染め手に支えられ、染め手は型紙職人に支えられているのだと改めて感じた。石山染交がある墨田区には、日本製Tシャツの原点となる“色丸首”を開発した久米繊維工業や、藍染や江戸切子の工房、“うすはりグラス”で有名な松徳硝子などがある。どうかこの先も、ものづくりの街として進化を続けてほしい。

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