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YOSHIKIの本気
東京コレクションで、「ヨシキモノ」のショーを2回取材したことある身としてはとっても楽しみな話題がパリから飛び込んできました。X JAPANリーダーで、ザ・ラスト・ロックスターズに所属するミュージシャンのYOSHIKIが、ウィメンズウエア「メゾン ヨシキ パリ」を立ち上げ、2024年春夏パリ・ファッション・ウイーク期間中に初のコレクションをショー形式で披露するそうです。
コレクションについては、「フェミニンではあるけれどジェンダーレス。とてもエッジーかつセクシー、そしてきらびやかなレディトゥウエア」だそうで、とにかくワクワクするようなキーワードが並びます。YOSHIKIのファッションへの本気は、過去の「ヨシキモノ」のショーからも十分感じられました。いわゆる有名人の趣味が高じてブランド立ち上げ、というレベルではなく、ものづくりからスタイリング、最終的に自分がドラムを叩き出すという演出まで、何もかもが本気だったのです。パリでの発表も楽しみですが、東京でも見たい。日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)さん、よろしくお願いします。
X JAPANのYOSHIKIがウィメンズ始動、秋のパリコレでデビュー 「エッジーでセクシー」と本人
X JAPANのリーダーで、ザ・ラスト・ロックスターズ(THE LAST ROCKSTARS)のメンバーでもあるミュージシャンのYOSHIKIは、ブランド「メゾン ヨシキ パリ(MAISON YOSHIKI PARIS)」を立ち上げ、ウィメンズウエアラインをスタートする。9月下旬から開かれる2024年春夏パリ・ファッション・ウイーク期間中にショーを行い、初のコレクションを披露する予定だ。
オートクチュール・ファッション・ウイーク期間中の7月4日にパリで開かれた記者会見で、YOSHIKIはまだベールに包まれたファーストコレクションについて「フェミニンではあるけれどジェンダーレス。とてもエッジーかつセクシー、そしてきらびやかなレディトゥウエアになる」と説明。コレクションは、公式サイトと、世界の百貨店やセレクトショップを通して販売する計画だという。また、将来的にはバッグやシューズ、ビューティ、ライフスタイルなど他のカテゴリーも視野に入れていることも明かした。
呉服屋の長男として生まれ育ったYOSHIKIは日本の着物文化を世界に広めたいという思いから、2010年に着物ブランド「ヨシキモノ」を設立。東京ファッション・ウイークでショーを行ってきたほか、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)での着物展に展示されたこともある。また、米ナパ・ヴァレーでワイナリーを運営するマイケル・モンダヴィ・ファミリー・エステートとタッグを組んだワインブランド「Y BY YOSHIKI」やフランスのシャンパーニュメゾン「ポメリー(POMMERY)」と共にシャンパーニュも手掛けている。現在は、「バカラ(BACCARAT)」との協業によるクリスタルウエアの制作にも取り組んでおり、年内に発表予定だ。23年からは、こうしたファッション、デザイン、ライフスタイルにまつわる全ての活動を「メゾン ヨシキ パリ」ブランドの下で行っていくという。
「ブラジャーで天下をとった男」 ワコール創業者、フェミニスト塚本幸一の波瀾万丈人生
ワコール(WACOAL)の創業者である塚本幸一の評伝が出版された。タイトルは「ブラジャーで天下をとった男」(北康利著、プレジデント刊)。帯には、“財界一の男前社長が挑んだ未開の市場”とある。その通り、往年の二枚目俳優のような麗しい創業者の横顔が表紙だ。
ワコールの創業は1946年。第二次世界大戦から生還した塚本創業者が、婦人装身具の販売を始め、ブラパッドを目にして、洋装が広まれば、ブラジャーに商機があると下着販売をスタートする。男性が婦人用下着の事業を始めるとは意外だが、同創業者の信念は相当なものだった。「エロ商事のエロ社長です」などと冗談を飛ばしながら、販売から製造、海外進出するまでになり、ワコールをグローバル企業にした。この書籍では、ビジネス面だけでなく、創業者の生い立ち、戦時体験などが軽快な文章で綴られている。
至って本気で“変装”に“株主総会ごっこ”
滋賀県・近江八幡市で育った創業者は根っからの“近江商人”。自身で日本全国を駆け回ってビジネスを拡大していった。彼には商才があるだけでなく、明確なビジョンがあり、それを何が何でも実現する実行力と情熱があった。起業して間もない頃に、「50年計画」を立てて10年ごとのワコールの姿を思い描きながら、事業を着実に拡大していった。わずか数人の社員を前に、“株主総会ごっこ”をしたこともある。資金があるわけでもなかったが、常に攻めの姿勢で、賭けも厭わない。約束ができない取引先に変装して会いにいったこともある。冗談のような話だが、創業者にしてみれば、至って本気。壮大なビジョンを実現するための方策だった。倒産の危機に何度も面しながらも、ひたすら前進あるのみという創業者の姿には、戦後の激動の時代を生き抜くバイタリティーと信念を感じさせられずにはいられない。また、彼の行動には人間味があり、どこか憎めないところがある。
時代の先を行くフェミニスト
ワコールはブラジャーが生業ということもあり、販売員やお針子など女性が支えてきた会社だ。創業者は、創業当時から女性の起用に積極的だった。当時は、まだ、女性が社会で活躍する場が限られていた。だが、彼は生産管理や在庫管理の責任者、デザイナーなどに女性を抜擢。ワコールの“伝説の女傑”と呼ばれる女性たちだ。まだ、“キャリアウーマン”という言葉がない時代に、その走りともいえる“女傑”が存在したのだ。雑誌の広告で採用して多くのモデルを輩出したのもワコール。昭和39年に上場する際に創業者が掲げたのは、“世の中の女性に美しくなってもらうことによって、広く社会に寄与するのが目標だ”。彼がブラジャーを商材に選んだ時点から、時代の先をゆくフェミニストであったといえるだろう。
ビジョン、運、そして人間性
ワコールが世界のワコールになった一番の理由は創業者のビジョンにあると思う。もちろん商才は必要だが、ビジョンがなければ何も始まらない。また、近江商人の基礎である“三方よし”(売り手の都合だけ商売をするのではなく、買い手が満足し、商売を通じて地域社会の発展や福利増進に貢献すること)を徹底していた点。誠実で真っ直ぐな創業者の人間性が運と人を引き寄せ、ここまでの規模に成長したのは言うまでもない。この本に描かれたワコール創業者の一生は、誰が読んでもスリル満点で、人生のヒントが詰まっている。
「WWDJAPAN」2024年12月9日号は、VTuberの影響力について特集します。日々取材するなかで、VTuber(バーチャルYouTuber)とのコラボアイテムがすごく売れたと聞くことが増えてきました。街を歩いていても、ポップアップに多くの人が訪れ、盛り上がっています。