ファッション

荻原桃子「鎌倉が私を変えた」 新ブランド「OMMO」や家族、新生活について語る

荻原桃子(おぎはら・ももこ)/OMMO代表取締役兼「オーエムエムオー」クリエイティブ・ディレクター プロフィール

1984年1月3日生まれ、大阪府出身。2002年からアパレル業界で販売、企画、バイイングを経験し、マークスタイラーに入社。06年、22歳の若さで「ムルーア」を立ち上げ、クリエイティブ・ディレクターとして9年間、トータルディレクションを行う。16-17年秋冬から「アンスリード」を始動し、デザイナー兼クリエイティブ・ディレクターを務める。20年に和食器の「オーエム」、21年にコスメブランド「ユーエヌディーオー」のプロデュースをスタート。23-24年秋冬から自身のブランド「オーエムエムオー」をスタート。プライベートでは小学1年生男児の母

「オーエムエムオー」 ブランドプロフィール

マークスタイラーで「ムルーア」と「アンスリード」のクリエイティブトップとしてブランドを手掛けてきた荻原桃子が2023-24年秋冬にスタート。自身初のブランドとして、新たな拠点とする鎌倉でのライフスタイルを背景に30〜40代女性に向けた機能的でデザイン性のあるデイリーユースのウエアを発表する

マークスタイラーの「ムルーア(MURUA)」や「アンスリード(UN3D.)」でクリエイティブ・ディレクターなどを歴任した荻原桃子がこの秋、アパレルブランド「オーエムエムオー(OMMO)」をスタートする。荻原はガールズ&ウィメンズ市場をけん引してきたブランドを立て続けに成功させ、独自のクリエイティブ力を磨いてきた。今年春に長男の進学を機に、家族で鎌倉へ移住。新生活を充実させる中、40歳を目前にした彼女の新たなステージに迫る。

新ブランドはこれまでの都会的なスタイルとは違う

――あらためて、「オーエムエムオー」はどんなブランド?

荻原桃子(以下、荻原):30〜40代女性に向けて、カットソーやニット、ワンピースなど、着やすい素材感を追求したアイテムをメーンに構成していきます。私自身家族でアウトドアを楽しむことも増えて、鎌倉で生活し始めてからは動きやすさや着心地を重視したウエアを好むように。これまではジャケットやシャツ、パンプスといった都会的なスタイルを多く提案してきましたが、あらためて“今の自分が着たい服”を作りたいと思い始めたんです。それも「オーエムエムオー」立ち上げのきっかけの一つです。

アウトドアシーンでも最適なはっ水ナイロン素材や伸縮性のあるやわらかいカットソー素材など、アクティブに動きやすいストレスフリーなテキスタイルを多く採用しています。ボトムスは、スニーカーやビーチサンダルにも合う丈感や自転車や車を乗り降りしやすいボリューム感にもこだわりました。また、特徴としてきたカラーパレットは、アウトドアシーンで馴染みやすい色をセレクト。これまで使ってこなかったベージュ系は私自身もとても新鮮に感じています。ビジネスとしては大きく成長させたいとは考えてなくて、卸しなどせず、自社ECのみで販売。自分で育てられるスケールの中で展開していく予定です。毎月3つのコーディネートを提案できるよう、10型程度を新しく発表します。

――鎌倉での生活が新ブランドのスタイルの背景にある。

荻原:ウエアの構想も移住後に膨らんでいって、「自然あふれるここでのライフスタイルにはこんなスタイルが合うな」って自分の体験や街の人たちを見て考えていきました。これまでのクリエイティブの経験や得意とする素材や色使い、EC販売のノウハウなどを活かしながら、どんなスタイルや提案がマッチするか。私自身も車を運転するようになったり、山や海で過ごす時間が増えたり、都内での暮らしとは違うシーンが増えましたね。そうしたライフスタイルを背景にしたくて、ファーストシーズンのルックは鎌倉の建長寺で撮影しました。

――移住の理由は? 独立以外に、鎌倉移住の転機はあったか?

荻原:以前から鎌倉を訪れる機会があり、いつか越してこようと話はしていたんですが、私自身東京での暮らしが長かったので、はじめはなかなか乗り気ではありませんでした。息子も生まれ育った東京とお友だちから離れるのを嫌がっていたんですが、今ではウグイスの鳴き声で朝を迎えながら、海や山のたくさんの自然に触れる環境にとても喜んでいます。

家族との時間が増えたことは私にとってとても大きいです。若い時から仕事を優先する生活だったので、息子が幼いときもシッターに頼ることも多く、仕事をしながらの子育てに葛藤する時期もありました。そのうちに、東京のど真ん中、公園も少ない環境での子育てや仕事を優先しながらの子育てについての悩みが増えていき、コロナ禍でさらにワークライフバランスについて考え、仕事のことや家族のこと、将来のことに向き合うように。すると、「その時に自分がいいと思ったことをしたい」「先々のことは決めない」と自分の思いのままに服作りをしたいという考えがクリアになったんです。鎌倉という地が私を変えてくれたんだと思います。移住に3年悩んだ鎌倉は、人も環境もとても心地よくて、家族の時間を深めることもできて大正解の選択でした。

40歳に向けて、新しいことにチャレンジしたいと思った

――新生活を始めて、あらためて家族の存在とは?

荻原:将来の自分に対して悩んでいる私の背中を押ししてくれたのは主人でした。主人はじっくり考える私とは逆で、何事にも前向きに挑戦するタイプ。新ブランドも移住も主人の提案から決められたことでした。息子も私の仕事のことは理解してくれて、今では一緒にいる時間が増えたことがとても嬉しそうです。好きな仕事の時間と家族との時間をきちんと決めて行動できるようになったのは家族の存在が大きいと思っています。

――ブランド名の「OMMO」は自身の名前“MOMOKO”が由来?

荻原:そうです。40歳になるまでに、新しいことにチャレンジしたいと考えていたし、ゼロからブランドを始める新しい自分のステージに思いを込めて。それと、子どもの名前にかかる数字の“8”にもオマージュしてロゴを作成しました。想いの詰まった名前とデザインです。

毎日の生活の中で本当に必要なものだけを

――ファッションだけじゃなく、和食器「オーエム(OM)」やコスメブランド「ユーエヌディーオー(UNDO)」を立ち上げ、プロデュースの幅を広げている。

荻原:「オーエム」は食卓が楽しくなるものをと1年構想で立ち上げました。ただ、ファッションの経験しかなかった私にとっては、パントーンを使って色を提案するなど服作りの感覚で説明するしかできず、はじめは職人さんを困らせていました(笑)。でもやっていくうちにそんな私のやり方を面白く思ってくれて、瀬戸焼や笠間焼など幅広い表情と形の器を作ることができています。一点一点違う色の化学反応が面白くて、奥深い陶器の世界にどんどんハマっています。

「ユーエヌディーオー」の美容液はオイル好きの私の敏感肌に、またスキンケアにあまり時間をかけずとも使いやすいものをと考案しました。子どもと一緒だと毎日時間はかけられません。これまでたくさんの化粧品を試してきたけれど、あらためて、毎日の生活の中で本当に必要なものだけを選ぶことで、肌や生活スタイルに寄り添えるものが作れているかなと思っています。新しいアイテムを発表していく予定です。

――今後について。

荻原:鎌倉での家族との楽しく心地いい時間とともに、充実したワークライフバランスを送っていきたいです。アトリエは一旦茅ヶ崎に構えましたが、ゆくゆくは鎌倉にスペースを持ちたいと思っています。社会も人のライフスタイルも同じように、服も進化していける。そう信じて、生活に順応した、ペースにあった服作りをしていきたいと思っています。

関連タグの最新記事

最新号紹介

WWDJAPAN Weekly

疾走するアシックス 5年間で売上高1.8倍の理由

「WWDJAPAN」11月4日号は、アシックスを特集します。2024年度の売上高はコロナ前の19年度と比べて約1.8倍の見通し。時価総額も2兆円を突破して、まさに疾走という言葉がぴったりの好業績です。売上高の8割以上を海外で稼ぐグローバル企業の同社は、主力であるランニングシューズに加えて、近年はファッションスニーカーの「オニツカタイガー」、“ゲルカヤノ14”が爆発的ヒットを記録したスポーツスタイル…

詳細/購入はこちら

CONNECT WITH US モーニングダイジェスト
最新の業界ニュースを毎朝解説

前日のダイジェスト、読むべき業界ニュースを記者が選定し、解説を添えて毎朝お届けします(月曜〜金曜の平日配信、祝日・年末年始を除く)。 記事のアクセスランキングや週刊誌「WWDJAPAN Weekly」最新号も確認できます。

@icloud.com/@me.com/@mac.com 以外のアドレスでご登録ください。 ご登録いただくと弊社のプライバシーポリシーに同意したことになります。 This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

メルマガ会員の登録が完了しました。