LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON、以下LVMH)傘下の化粧品ブランド「ゲラン(GUERLAIN)」は、同グループ内でサステナビリティの取り組みをけん引する。5月には、原材料の産地からリサイクルまでを閲覧できるトレーサビリティプラットフォーム「ビーリスペクト(BEE RESPECT)」の提供を日本でも開始し、LVMH傘下のラグジュアリービューティブランドとして初となる取り組みを実現した。
「ゲラン」のセシル・ロシャール(Cecile Lochard)チーフ・サステナビリティ・オフィサーは、その活動をリードする存在だ。金融界からキャリアをスタートし、環境系NGOの世界自然保護基金(以下、WWF)やコンサルティング会社の設立を経て、2015年にLVMH傘下のスキンケアブランド「チャリン(CHA LING)」のサステナブル・ディベロップメント&コミュニケーション・ディレクターに就任し化粧品業界へ。ラグジュアリーとサステナビリティの世界を融合させたいとの思いを持つ彼女に、ラグジュアリー産業の課題や「ゲラン」の取り組みの背景を聞いた。
セシル・ロシャール/ゲラン チーフ・サステナビリティ・オフィサー プロフィール
パリ・ドフィーヌ大学でサステナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)、エセック・ビジネススクールで営利及び非営利におけるプロジェクトマネジメントのダブルマスターを取得し、金融界でキャリアをスタートする。8年にわたりWWFで企業とのプライベートパートナーシップを管理した後、コンサルティング会社を設立しラグジュアリーブランドのCSR戦略策定に携わる。2015年、LVMH傘下のスキンケアブランド「チャリン」のサステナブル・ディベロップメント&コミュニケーション・ディレクターに就任。19年、生物多様性プログラム&サステナブル・コミュニケーション・マネージャーとしてゲランに入社し、20年9月から現職
ラグジュアリーブランドだけがサステナビリティを拒否していた
WWD:金融会社の投資部門から環境系NGO、ラグジュアリー化粧品などこれまでのキャリアは多岐にわたる。11年にはラグジュアリー産業とCSR(企業の社会的責任)に関する本「ラグジュアリーとサステナビリティ 新たなる同盟(Luxe et Dévelop-pement Durable : La Nouvelle Alliance)」を執筆した。サステナビリティの重要性が今ほど注目されていない時期に、両者を紐づけたきっかけは?
セシル・ロシャール=ゲラン チーフ・サステナビリティ・オフィサー(以下、セシル):WWFでさまざまな業界と仕事をしていたが、ラグジュアリーブランドだけがサステナビリティと向き合うことを拒否していた。環境や人権に配慮した活動をしていなかったわけではなく、取り組んでいるにも関わらず公表を避けていたのだ。ラグジュアリー産業の根本には、製造の詳細は秘められるべきで、商品は完璧でなくてはならないという思想があった。当時新しい分野だったサステナビリティは「透明性」や「不完全性」が求められた。経済界や社会からの要求も刻一刻と変化し、常に進化することが必要とされる。両者は対極にあった。
本を執筆するにあたり、ラグジュアリー産業におけるサステナビリティはどうあるべきかさまざまな専門家に意見を聞いた。CSR関連の大企業のトップや社会学者、民俗学者、鉱物学者のほか、ファッションではカシミアの専門家、ビューティでは植物学者らに、インタビューを50件ほど行った。産業によってサステナビリティへの感度や対応するスピード感、進捗が全く違っていた
WWD:ビューティ業界はどのように映った?
セシル:ビューティ業界で扱う商材は非常にデリケートで複雑。例えば化粧品のクリーム一つをとっても、当時は90種類以上の原材料を使っていた。成分や処方、パッケージなど要素が多岐にわたるため、持続可能な商品開発はファッションよりも難しい。ラグジュアリーの中でも化粧品は特にサステナビリティの実現が難しいと感じたが、本を出版後に起業したコンサルティング会社が「ゲラン」と契約していた期間があり、「ゲラン」が自然やミツバチと関係が深いことに引かれた。一つの企業の中でもやるべきことがたくさんあると可能性を感じて入社した。
「ゲラン」を他のブランドが追随できないレベルにしたい
WWD:「ゲラン」に入社して最初に取り組んだことは?
セシル:フレグランスの原材料の80%を占めるアルコールを、オーガニックアルコールに変えた。当時はてんさいを使用していたが、農薬を使うことでミツバチを殺してしまう可能性があった。ミツバチはフレグランスの原料となる花だけでなく、野菜や果物、アーモンドなどさまざまな食物の受粉を担う。ミツバチがいないと人間も存在できないほど、生態系にとって重要な存在だ。
次に、「ゲラン」のサステナビリティ戦略を強化した。他のブランドが追随できないレベルを目指し、第三者機関の認証を取得した。パッケージにたくさんのマークがついているのはセクシーではないかもしれないが、厳しい基準をクリアしていることをお客さまに表明したかった。これは「ゲラン」が他社に先駆けて行い、社会に変化を起こしたと言ってもいいだろう。顧客や市場に後押しされたのではなく、われわれからスタートしたことが、先駆者として認められている自負がある。
WWD: 19年の入社当時から現在まで、「ゲラン」やラグジュアリー化粧品を取り巻く環境はどのように変わった?
セシル:一番大きく感じたのは、人の意識の変化だ。それからビューティ業界、ラグジュアリー業界ではさらに「透明性」が求められるようになった。特にヨーロッパでは顕著で、持続可能性に関する法規制が強化された。消費者もスマートフォンで簡単に情報にアクセスできる。
WWD:日本でもトレーサビリティプラットフォーム「ビーリスペクト」がローンチした。公式サイトからアクセスでき、商品の原材料の産地から輸送、販売、使用後にリサイクルされる場所まで追跡できる。顧客の反応は?
セシル:フランスでプラットフォームを立ち上げたのが5年前。スキンケアから始まってメイクアップ、フレグランスまで広がり、日本では今年5月に正式に開始した。使用状況などもトラッキングしているが、お客さまは一度「ビーリスペクト」を閲覧すると、トレーサビリティツールを繰り返し使うことはあまりないことがわかった。「ゲランは透明性を持った会社だ」と安心している。当初の意図とは異なるが、重要な顧客とのコミュニケーションになっている。
ラグジュアリーは市民社会に対して開かなければならない
WWD:「ゲラン」はラグジュアリーブランドとして初めて「サステナビリティボード」を設立した。13人の著名な専門家で構成し、ブランドの戦略をサポートしている。設立の経緯は?
セシル:ラグジュアリーブランドは市民社会に対してもっと外へ開かなければならない、という強い気持ちがあった。城壁の中にいて、都合のいいことばかりを聞くのではなく、耳が痛いと感じる声も傾聴するべきだ。サステナビリティボードには大学関係者や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の地域議長、ミツバチ保護の専門家、アプリ開発のスタートアップ企業など多様な分野の専門家が名を連ねている。彼らは市民社会を代表するメンバーだ。
「ゲラン」はサステナビリティ戦略の3カ年計画を提出して助言をもらっている。そのフィードバックのおかげで、これまでタブーとされていたPR分野でも持続可能な方法に挑戦できた。昨年、サステナブルなフレグランスシリーズ“アクア アレゴリア ハーベスト”のキャンペーンで、サステナビリティーボードのメンバーであり、写真家でレポーター、映画監督のヤン・アルテュス=ベルトラン(Yann Arthus-Bertrand)と低炭素の撮影に取り組んだ。制作におけるカーボンフットプリント(二酸化炭素排出量)を抑えるため、彼の過去の作品集のビジュアルを用いたほか、撮影は全てフランス国内で行い、国内で育てられたスローフラワーを使用した。
WWD:日本では容器回収が進まず莫大な廃棄量が問題となっている。欧州での状況は?
セシル:一番大きい変化は法整備がなされたこと。フランスではリサイクルや再利用を促進し、プラスチックの消費を削減することを目的とした「循環型経済のための廃棄物対策法」が22年に発表された。以前から「ゲラン」はリサイクルや容器回収に取り組んでいたが、各社がリサイクルせざるを得ない状況になった。また、LVMHグループが投資するリサイクルセンターがある。売れ残った商品をセンターに集め、リサイクル・再利用している。アルミニウムやアルコールなど、化粧品産業だけでリサイクルできないものは他の産業でリサイクルする。今後は国がリサイクル・回収に関する規制をさらに強化したり、企業としては回収業者のパートナーを見つけたりすることが重要な点になってくる。
WWD:CSR戦略では“4つの柱”を掲げている。その中で特に喫緊の課題とその理由は?
セシル:われわれが掲げる4つの柱は、1.生物多様性の保全とミツバチの保護 2.完全な透明性のもとでのサステナブルイノベーション 3.気候変動に対する行動と、カーボンフットプリントの削減 4.素晴らしい自然を守りながら、社会にポジティブなインパクトを生み出す。これらは全てつながっておりどれも重要だが、カーボンニュートラルの達成を重要視している。スコープ1(直接排出の温室効果ガス)、2(間接排出の温室効果ガス)に関してはすでに達成しているが、スコープ3はまだ困難な状況にある。「ゲラン」はアジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界26カ国で販売しており、空輸に依存している点が課題だ。
Bコープの取得も時間はかかるが検討している。10年前にISO14001の取り組みを始め、本社と生産拠点、子会社の80%が認証を受けた。今後は100%に向けて、さらなる取り組みを進める。