山本寛斎事務所のクリエイティブ・ディレクター高谷健太とともに、日本全国の伝統文化や産地を巡る連載“ときめき、ニッポン。”。13回目となる今回は、秋田の盆踊り「西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)」について。
「カンサイ ヤマモト(KANSAI YAMAMOTO)」は、日本の伝統美に焦点を当てながら時代や性別を超えた人間の美しさをブランド哲学として表現してきた。例えば祭りの装束やその優美な身のこなし、人々の熱気からも多くのインスピレーションを得てきた。今回は、寛斎もこよなく愛した秋田の盆踊りと、その衣装の歴史を読み解く。
秋田で受け継がれる
日本三大盆踊りの一角
僕にとって秋田県は“まつり県”だ。猛暑の日も厳寒の日も、一年中祭りをしていると思えるくらい、秋田には大小さまざまな祭りがある。「秋田竿燈(かんとう)まつり」をはじめ、寛斎と僕が足を運んだ祭りをあげるとキリがない。
鳥海山(ちょうかいさん)の北麓に位置する羽後町(うごまち)では、毎年8月16日から18日にかけて、「西馬音内の盆踊り」が開催される。国の重要無形民俗文化財に指定されており、徳島県の「阿波踊り」、岐阜県の「郡上おどり」と並び日本三大盆踊りの一つと称される。通りにかがり火が灯り、それを囲うように踊り手が舞う。「さがさっさー」「おいとこ、どっこいなー」と風流な掛け声が街中に響く。
西馬音内の盆踊りの起源は700年以上前にさかのぼる。鎌倉時代に修行僧が広めた豊作祈願の踊りと、約400年前に山形城主に滅ぼされた西馬音内城主の一族をしのんで、家臣たちが踊った盆供養の踊りが、時代を超えて融合したとも言われている。その後、昭和10年に東京で行われた全国郷土舞踏民謡大会への出場をきっかけに、その名が全国的に知れわたるようになったそうだ。
2つの踊り衣装
異なる美しさ
西馬音内の盆踊りの特徴は、何といっても衣装の美しさにある。衣装は2種類あり、一つは半月型の編み笠を顔が隠れるよう深くかぶり、端縫い(はぬい)という複数の布を継ぎ合わせた着物をまとう。もう一つは、藍染めの浴衣姿に、彦三(ひこさ)頭巾という目元に穴の開いた袋状の覆面を頭からすっぽりとかぶる。顔を隠す理由は諸説あり、亡者を表現しているとも言われている。
一方の藍染浴衣は、彦三頭巾をかぶる特異な雰囲気も相まって、端縫いの艶やかさとは異なる、幽玄の美を感じさせる。羽後町の尾久和弘・副町長は、「盆踊りに関する資料がほとんど残されておらず、口頭で伝承されていく中で、その哀愁のある見た目から“亡者踊り”と呼ばれるようになった。しかし、(彦三頭巾は)近隣の女性たちが夏場の農作業で日除けや虫除けのために被っていた頭巾にも似ているし、歌舞伎の黒子の装束から来ている説もある」と教えてくれた。
伝統の踊りを未来へ
西馬音内の盆踊りを未来に残すための挑戦も行っている。今年3月、秋田市で行われた音楽と伝統芸能の融合を目指した新たなイベント「わっかフェス」では、東京スカパラダイスオーケストラとの共演を果たした。彼らの楽曲にあわせて踊る体験は、踊り手にとっても新鮮な喜びがあったという。
近年は地方の少子高齢化や過疎化によって祭りの縮小や減少が相次いでいる。しかし西馬音内の盆踊りは、保存会や盆踊りに携わる地元のグループが幼稚園や小学生に講習を行うほか、中学・高校に盆踊りクラブを設けて踊りの継承を行っているそうだ。地元の人々の地道な努力が、西馬音内の文化的価値を守っているのである。
祭りがもたらす人との出会い
五穀豊穣への祈り
秋田では、控えめな県民性も相まってか「秋田はなんもない」という言葉を耳にする。しかし、僕にとっては「秋田はなんでもある」と思う。おいしいお米やお酒、新鮮な山菜、四季折々の自然を感じながらその恵みを享受する体験はこの上ないぜいたくだ。農家さんのご自宅でいただいたクロモジのお茶の豊かな香りと味わいを思い出すだけで、未だにとても幸せな気持ちになる。
祭りの醍醐味は出会いだ。寛斎が秋田の祭りで出会ったご家族とは20年を超える歳月を重ね、未だに素晴らしい関係が続いていている。今回久々に秋田を訪れる中で、改めて人間の温かさや絆といった、あわただしい日常の中で失われた心の一部が蘇るのを実感した。機会があれば、ぜひ「西馬音内の盆踊り」に足を運んでいただき、同地の人々の温かい心と豊かな自然に触れてほしい。