日下は、「海外デザイナーのブランドを多く手掛けてきて、現地のデザイナーから評価してもらい、アトリエで一緒に働かないかと声をかけてもらったこともある。ただ、欧米のブランドでは、日本人がいくら頑張っても欧米のデザイナーには敵わず、負け試合になる。だから、日本文化をベースにしたブランドを始めたいと思った」と語る。彼は、米ニューヨークの「トッド スナイダー(TOD SNYDER)」の下でも働いたことがある。スナイダーにデザイナーとしての腕を認められたものの、ニューヨークで働くアジア人の待遇は欧米人と比べると悪く、渡米を諦めたという。
彼は、20世紀初頭にイギリス・ロンドンの中心部にあった知識人のサークルである“ブルームズベリー グループ”のプリミティブな生活様式に関心があった。彼が日本で似たようなものとして出合ったのが民藝だった。「日本民藝館に行き、民藝に使われている色柄のセンスや、色合いに感動した。焼き物に描かれた宇宙や空のニュアンスを洋服で表現したいと思った」と日下。そして、彼は萩原の本に出合い、年齢の近い萩原に「S.O.L.A」の企画を持ち込んだ。萩原は、「民藝とは、伝統を後世に伝えるのが使命。現場を見てきて、それが厳しいことはよくわかっている。そこで民藝がファッションに発展するのは面白いと思った」と語る。彼は、民藝を表現する過程における柄の提案を始め、ブランディングや戦略まで関わるようだ。
世界的ハイブランドのメーカーとオリジナルで素材を製作
最初のコレクションは、柄が5つ、雑貨、ウエア共に8型。全てのアイテムは京都でプリントを行っている。「京都には、深いプリントの文化が根付いている。モノ作りも分業性なので、柄やドレープなど細かい表情がつけやすい」と日下。「S.O.L.A」では、京都で世界的なハイブランドの素材を手掛けるメーカーと素材作りを行っている。彼は、「チームの中に、メーカーとの間に入ってくれるプリンティングディレクターがいる。陶器を持参して色と色の重なり具合などを相談する」と話す。民藝的な一つ一つ違う表情をプリントでどのように表現するか細部までこだわっているという。「陶器の滲みを表現するために一晩寝かせたり、版をわざとずらしてニュアンスを描いたり、全て日本民藝館でスケッチしたものを元にプリントし、敢えて無地はつくらなかった」と言う。
コミュニケーションが生まれる服でパリコレへ
「S.O.L.A」は、日下が得意とするミリタリーウエアなどオーセンティックなアイテムをアレンジしたメンズが中心のユニセックスブランド。ビジネス的な意図もあり、ラゲージや帽子などの雑貨も作った。日下は、「長く、いつでも着られるものをと思った。まずは、着たいと思ってもらい、その先に民藝があるのが理想だ。インテリアや民藝が好きな人にも手に取ってほしいし、インバウンドのお土産としても販売したい」と話す。価格はウエアが2万〜7万円、雑貨が6000~1万8000円程度。販売先は、百貨店やセレクトショップ、専門店などのウエアと雑貨売り場を視野に入れている。
デザイナー歴が長い日下は、フィット感をはじめアパレルブランドのノウハウを熟知している。「S.O.L.A」が目指すのはパリコレだ。「『その柄、何?』とコミュニケーションが生まれる服にしたい。ファッションとはコミュニケーション力があるもので、優位性を競うものではない。興味を持つ人で盛り上がり、仲間をつくって5年後パリコレに出るのが目標だ」。