WWD JAPAN(WWD):下着に興味を持ったきっかけは?
「リュー・ドゥ・リュー」龍多美子オーナー(以下、龍):青山学院大学の高等部に通っていた16歳の頃、青山学院大学に通っていた5歳年上の恋人がいた。彼がランジェリー好きで、当時、創刊間もない「月刊プレイボーイ」のグラビアを広げて一緒に見ていた。彼が特に好んだのがガーターベルトとストッキングを着けたスタイルで、私は東京の下着屋を探し回ってフランスのエタコ社のガーターベルトを見つけた。それを身に着けた瞬間、「女になった」快感を自覚したのがきっかけだ。その彼とは5年の交際の後、結婚したが、残念ながら2年で離婚した。
WWD:5歳年上の恋人が、下着屋となる龍多美子の生みの親?
龍:そうだが、父が貿易の仕事をしており、渡米する度に母と3人の娘にネグリジェのお土産を買ってきてくれていた。末っ子である小学生の私にも。60年代、母親は海外ブランドの下着をアメ横に買いに行っていたし、2人の姉達も輸入下着を着けていて、私のファーストブラは米国ブランドの「バニティフェア(VANTY FAIR)」だった。それを考えると、その恋人と出会う前から下着屋になる素地はあったのだと思う。
WWD:そこから、インポートランジェリーに魅了されていく。
龍:高校時代は制服姿で下着専門店をめぐる日々だった。学校帰りに恵比寿の「ニャーゴ」へ寄った際、顔見知りのマダムが見せてくれたのが、入荷したばかりの「シモーヌ・ベレール(SIMONE PERELE)」のブラジャーとショーツ。繊細な総リバーレースのワイヤー入りブラで、美しいペパーミントグリーンだった。この下着に出合ったときの感動は忘れられず、品番まで覚えている。このランジェリーとの出合いにより、漠然とした“下着好き”から、“下着屋になりたい”と意識するようになった。短大に進むとすぐに青山にあった下着屋の「ジベ」でアルバイトを始めた。同店に勤めて6年目、23歳のときに店長になったが独立を決めた。
WWD: 「リュー・ドゥ・リュー」のコンセプトは?
定期購読についてはこちらからご確認ください。
購⼊済みの⽅、有料会員(定期購読者)の⽅は、ログインしてください。