ブランドの垣根を越えたセルフサービスのコンセプトを提げ、セフォラ(SEPHORA)がニューヨークに第1号店をオープンしたのは1998年。オープンな売り場の構築やインディーズブランドのプロデュース、インクルーシブ戦略に至るまで、米国のプレステージビューティ業界を大きく変革させた。(この記事は「WWDJAPAN」8月28日号の抜粋に加筆しています)
当時コティ(COTY)のCEOだったジャン・アンドレ・ルジョー(Jean-Andre Rougeot)=セフォラUSA プレジデント兼最高経営責任者(CEO)は、「セルフ販売形態はまさに革命的だった」と語る。「当初は多くの識者が成功するはずがないと言っていた。その誰もが当時の若い世代が百貨店での体験に大きな不満を抱いていることを見落としていた。いうなれば、インクルーシビティが欠如していた。それをセフォラは劇的に民主化した」。25年前のセフォラの米国進出当時、プレステージビューティ商品の販売は百貨店が圧倒的に優勢で、市場シェアは80%に達していた。2023年4月までの12カ月間では、この割合は19%と大幅に縮小している。大手ブランドが支配する当時の市場は、新規参入ブランドには大変厳しいものだった。百貨店の化粧品フロアにカウンターを構え運営するには莫大なコストがかかるからだ。
新興ブランドの
インキュベーターとして共に成長
ドミニク・マンドノー(Dominique Mandonnaud)が1969年に創業し、97年にLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)が2億6200万ドル(約379億円)で買収したセフォラは、当時フランス国内に54店舗ほどを構える最大規模の香水専門店だった。LVMH傘下入り後、購入前に自由に試せるスタイルを軸に化粧品の取り扱いを拡大。米国進出における唯一にして最大の問題は、取り扱いブランドのほとんどが米国での業績に満足しており、セフォラでの販売で既存のパワーバランスが崩れることを懸念していた点だった。そのためセフォラは、新興ブランドを中心にまったく新しい戦略を立てなければならなかった。新興ブランドを見極めトレンドを構築する手腕はビューティ業界を根本的に変革し、大きな売り上げを生み出した。北米セフォラの売り上げは100億ドル(約1兆4500億円)に達すると見られている。ルジョーCEOは「フェンティ ビューティ バイ リアーナ(FENTY BEAUTY BY RIHANNA)」「スーパーグープ(SUPERGOOP)」「タッチャ(TATCHA)」「ドランク エレファント(DRUNK ELEPHANT)」など数々のベストセラーブランドを挙げ、「アルタビューティ(ULTA BEAUTY)で成功しているブランドの9割はセフォラから始まった」と指摘する。
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