11月18日、つくばで行われた福祉機器展で、ファッションディレクターの山口壮大氏がプロデュースした映像作品「ファッション・フォームズ(Fashion Forms.)」が上映された。つくば市及び周辺に在住するそれぞれ異なる障がいを持つ当事者と、「ポト(POTTO)」「オダカ(ODAKHA、旧MALAMUTE)」ら5組のデザイナーが向き合い、当事者のための「1着の服」ができるまでの過程を記録した、約1時間の意欲的なドキュメンタリー作品だ。約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品と一連の服作りのプロジェクトは、文化庁などの助成やスポンサードありきで始まったものではなく、山口氏と、障がい者の子どもを持つ五十嵐純子さんが独力で立ち上げ、最終的に完成にまでこぎつけた、いわばインディペンデントなプロジェクトだ。車椅子のファッションジャーナリストの徳永啓太が、この映像作品の解説や山口ディレクターへのインタビュー、コラムを寄稿した(全2回)。
ファッションデザイナーが障がい者と5カ月がかりで作り上げた「私だけの服」
岡山を拠点に自らデザインし、縫製し売る「ポト(POTTO)」デザイナー山本哲也氏は、全身の筋力が弱く呼吸器が手放せない11才の深田心奈(以下、ここなちゃん)ちゃんに、柔らかくて軽いオーガンジー素材を使ったドレスを制作。山本氏は一度対面で、自ら持ってきた素材やデザイン画を見せつつ、その中からここなちゃんは自分で色や素材を選んだ。作品の中では常に「ピンクがいい」とローティーンらしいこだわりを見せる場面も。最後にはオーガンジーのフリルのドレスを着て、ピアノ演奏を披露した。
国内の工場と協業しながら多様なニットの表現を持ち味とする「オダカ」のデザイナー小高真理氏は、田中桃愛ちゃんの母・裕子さんが娘に着させやすい伸縮性のあるニットでパンツスカートを提案。ホールガーメントをという技法を用い、桃愛ちゃんの体型に添いながらも縫い代がないニットの利便性と世間一般に機能する年相応の装いをデザインに取り入れた。
作業服から飲食店の制服など企業向けのユニフォームをデザインしているハイドサイン社のデザイナー島中由希氏は、普段車椅子に乗り、つくば市に拠点を置く義肢メーカーの幸和義肢研究所社員でもある鈴木真美さんが右手に麻痺があっても自分で着やすい服をデザイン。袖の長さや脇の分量、開閉しやすいファスナーの位置、摘みやすいよう大きめのリングパーツを選び、普段はご家族からの介助を必要としている真美さんが他者の手を借りることなく自立して毎日の生活を送れるように仕上げた。
山口壮大氏がディレクションする日本の伝統文化と最新テクノロジーを掛け合わせながら新しい暮らし方を提案する『コリショウプロジェクト(KORI-SHOW PROJECT)」は、筋肉が弱くなる進行度が一般よりも早く、日常的に介助が必要な保坂鉄平さんに座っていても履ける袴を制作。障がいを持っていると“弱い”と思われてしまいがちな社会に対してアピールしたいという鉄平さんに、履かせやすいスカートの形式にしながらも男性の強さである袴の表層的なデザインをカスタムできるような提案で彼の自己肯定感を後押しした。
文化服装学院に在学しながら、ファッションとコミュニケーションを軸に社会の中で実験する「カルチュラルラボ(CULTURAL LAB.)」に所属している湯浅琴音氏は、コミュニケーションが取りにくく、目で見えている範囲も狭いという特性を持っている五十嵐心音ちゃんが反応する言葉や音に着目。生成AIに言葉を入力し、生成される大量の画像を心音ちゃんに見せて、笑顔になったり、反応があったものを服のテキスタイルとして採用した。母・純子さんは「一方的なコミュニケーションしか取れないと思っていたが、生成された画像を見ると娘の頭の中を見ているようで感動した」と笑顔で答えてくれた。知的に遅れがある心音ちゃんだが、ファッションとテクノロジーの掛け算が新しいコミュニケーションを生み出した。
山口壮大インタビュー「目指したのは日常を彩る服」
PROFILE:山口壮大/ファッションディレクター プロフィール
(やまぐち・そうた)1982年、愛知県常滑市生まれ。文化服装学院(第22期学院長賞受賞)を卒業後、2006年からファッションディレクターとして活動開始、2006年3月には下北沢の雑居ビルでセレクトショップ「ミキリハッシン」をオープン、2009年1月に原宿キャットストリートへ移転。18年から「カルチュラルラボ」を始動
6月のキックオフミーティングから約5カ月がかりで服を完成させたこのドキュメンタリー作品「ファッション・フォームズ」は、ファッションデザインはあらゆる人に寄り添い生活を豊かにすることを伝えてくれる。山口壮大氏は、なぜこのプロジェクトを行ったのか。その真意を聞いた。
――今回のプロジェクトのきっかけは?
山口壮大(以下、山口):2021年5月にファッションディレクターを務めたイベント「True Colors FASHION(トゥルー カラーズ ファッション):身体の多様性を未来に放つ ダイバーシティ・ファッションショー」の際、モデルの一人として参加していた五十嵐心音ちゃんの母・純子さんとイベント後も連絡を取っ合っていて、純子さんから「もう一度、地元でファッションショーのようなことができないか」という話をもらったことがきっかけです。「トゥルーカラーズファッション」のようなプロジェクトを一過性で終わらせたくないと僕も考えていたので、「僕ができることがあれば!」と二つ返事でした。
――こだわったことは?
山口:地域を限定すること、オンラインを使って積極的に対話をすること、意図的に感動させる演出にしないこと――という3つの点です。「トゥルーカラーズファッション」では多種多様な身体や性別、年齢、障がいを持つ人と一緒にショーを行いました。その経験から、今回はあえて地域に制限を設けて特定の当事者に向けたファッションにフォーカスしようと考えました。地域を限定すると生活が見えてくると考えたんです。たとえば、車椅子を使って生活してたとしても、障がいの症状も、体型も、生活環境も、価値観も違う。服でいうと自分で着るのか、着せるのかで大きく違いますよね。ファッションから見えてくる、着る人の生活や置かれている環境に焦点を当てたかったんです。「困ってるから服を作る」のではなく、対話を重視しながら、各々の生活に寄り添い、日常を潤してくれる服が必要だと考えたからです。なので最終的には、プロジェクトを、スタートしてから完成までの約5カ月間を1時間程度にまとめた記録映像にしました。わかりやすい感動作品にはしないと、制作期間ずっと考えていました。企画の意図が観客に伝わり、心が動いて、感動するというプロセスならば嬉しいのですが、演出で意図的に感情の抑揚をつけたり促したりすることは避けました。感動させることが目的ではないので抑揚がなく淡々と進んでいくように心がけましたね。
――なぜつくば市を選んだのですか?
山口:つくば市になったのは、あくまで結果です。つくば市は、一緒にプロジェクトを行った純子さんがお住まいなので近隣の地域で生活している方にモデルのオファーをしてくださったことがきっかけでしたが、調べるとSDGsの観点のもと「つくば市障害者計画」を掲げ、当事者に向けた福祉サービスを積極的に取り組んでいる都市でもありました。この企画にご賛同くださった幸和義肢研究所もつくば市にあり、こちらの会社が年に1回開催される福祉機器展の中で作品を上映させてもらいました。
――「トゥルーカラーズファッション」の前例があったとはいえ、今回のプロジェクトはゼロから形にしているように感じました。
山口:そうですね。まずは僕たちと当事者、そしてご家族との関係性を作ることが必要だと感じたんです。だから時間があれば直接会いに足しげく通いました。みなさんからすると普段生活していてファッションディレクターやデザイナーと会う機会なんてないですよね。僕たちもつくばにお住まいの障がいを持った方とは初めてだったので、彼・彼女たちの好みを知る、どんなことでお困りかを知る、ときにはご自宅にお邪魔して日常生活を知ることから始めました。
――5人のデザイナーはどのように決めましたか?
山口:最初に僕と純子さん、当事者とご家族の方との対話を何度も繰り返した後、僕の方でそれぞれの当事者に合うデザイナーに依頼しました。ドキュメンタリーを観るとわかると思いますが、僕は「こういう服を作って欲しい」とデザイナーに依頼をしていません。当事者とデザイナーが対話をしながらより良い「かたち」に仕上げてくのが理想で、僕は各々が完成に至るまでの道筋を一緒に作っていったという感じです。
――なぜ映像作品に?
山口:僕たちの出会いから服が出来上がるまでのプロセスを残したかったんです。ファッションショーも検討しましたが、当事者の身体的な違いは明確に伝わるしお祭りのような高揚感を味わえるけど、打ち上げ花火のような一過性のものにしたくなかった。今回のために作った服を継続して着てもらいたかったので、日常生活に支障をきたさないデザインを心がけると、ファッションに精通している人たちが見て、当事者が「映える」かと言われれば正直インパクトは弱くなってしまいます。ドキュメンタリー映像であれば時間と場所を移しても伝えられる機会はあるし、盛り込める情報も多い。例えばデザイナーの哲学や、アイデア、当事者の心境の変化など、あらゆる側面から伝えられることを観てくれた人に持ち帰って欲しいという想いに至りました。
――山口さんが今回のプロジェクトを通して得られたものは?
山口:今回のプロジェクトに参加してくれた当事者とケアをする親御さんたちの心境が変わったことですね。初めは後ろ向きだった方も、対話を重ねていくうちに、終盤はファッションに対しての向き合い方がポジティブに変わって行きました。ファッションの楽しさが当事者に伝わったことは良かったと思ってます。それから、つくば近隣の方で同じような障がいを持っている方が「次回は参加したい」と思ってもらえるものにしたいという想いもありました。このドキュメンタリーは、障がいを持つ方々が今よりも「ファッションは自分のもの」として身近に考えてもらえる「タネ」を蒔いている作品です。そのタネが咲いて、またタネを蒔く役割を当事者が担ってくれたら自然とファッションが地域の中で育っていくと思うんです。先ずはつくば市を起点に、ファッションへの向き合い方が当事者の数だけ存在することを伝えていけると嬉しいです。