ファッション

母になったモデル松岡もなの今とこれから 運命の出会いと夢の舞台

PROFILE:松岡もな/モデル、DJ プロフィール

(まつおか・もな)1998年2月10日、アメリカ・アリゾナ州生まれ。10歳の時に広島に移住。12歳でモデルとして活動スタート。14歳で上京し、本格的にモデルの仕事をスタート。15歳から海外での仕事を始め、ヨーロッパやNYでの経験を増やす。18歳の時にNYに定住。DJとしても活動。モデルの岡井空也と2023年2月に結婚し、7月に男児を出産。ボン イマージュ所属 PHOTO:YURINA JINNAI

モデルの松岡もなは現在ニューヨークを拠点にしており、モデル業に加えてDJとして活動している。昨年7月には、夫でモデルの岡井空也との第一子となる長男を出産。2カ月後の9月には、ニューヨークでの「ヘルムート・ラング(HULMUT LANG)」2024年春夏のショーに岡井とともに登場し、出産後早々にモデルとしてカムバックを果たした。母として新たなステージを迎える彼女に子育てや家族のこと、そして改めてモデルとしてのキャリアやDJの楽しさ、次なる挑戦について聞いた。

転機は13歳の「プラダ」のショーで

――小学生でモデルの仕事を始めたきっかけは?

松岡もな(以下松岡):10歳で日本に来た当時、カタコトの日本語しか話せずにいた私を母が不安に思って、モデルの経験を提案してくれました。私も写真を撮られることは嫌いではなかったし、ファッションもメイクも好きだったので、広島と東京を往復しながら少しずつ始めました。

――本格的にモデルの道に進もうと思ったのはいつ?

松岡:13歳で中学1年生の時ですね。2011年に東京で行われた12年春夏「プラダ(PRADA)」のショーを歩いたのがきっかけです。エクスクルーシブなセットに演出、世界中のトップモデルが集まる中、最新コレクションをまとって、その貴重な一夜が私にとって大きな転機になりました。本格的にモデルの道に進みたい、海外へ行きたいって強く思うようになったんです。

―― ニューヨークに進出した理由は?

松岡:元々国籍も持っていたこともあって、アメリカを選んだことは自然なことでした。まさかこんなに長くいるとは思ってなかったですけどね(笑)。でもニューヨークという街にしかない、強くて、引っ張られるようなエネルギーは、自分の中にすごく通じるものがあった。そこにいつしか魅了されていたんでしょうね。ニューヨークは私のように世界中から人が集まる場所。いろんな人と出会って、たくさんの考えを知って、刺激になってきた。だから、この街が好きなんだなって思います。

――モデルをしていて、大きな影響を受けた経験はありますか?

松岡:フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ(CELINE)」で、フィッティングモデルをしていたときですね。フィービーの最後のシーズンで、半年ほどやっていました。フィッティングモデルは未完成の服を着て、サイズ感やシルエットなど最終調整の作業を手伝う仕事なんですが、デザイナーたちが何度も針を刺しながら話し合って、微調整を重ねていくんです。それまでは出来上がった服を着る仕事がほとんどだったんですけど、デザインチームが1着1着を作り上げていくのを目の当たりにして、ファッションに対する感覚が一気に変わったんです。一つのルックを作り出す彼らの熱意やそのクオリティーを知ったことで、ファッションがもっと好きになりました。

「モデルとDJの共通点は、やっぱりセンス」

―― 今はDJとしても活躍されていますね。個性やオリジナリティーが重視されるモデルと似ている部分もあるのではないでしょうか。

松岡:DJはずっとやってみたいと思っていて、21歳くらいに始めました。みんなすごく気に入ってくれて、本格的にスタートすることになったんです。私はエレクトロハウスが好きで、最近はアフロハウスっていうアフリカ民族が背景のジャンルもよく流しています。モデルとの共通点は、やっぱりセンスですかね。DJによって好きな曲もミックスの仕方も違うから、DJの友人といろいろな音楽をシェアしたり、レコードショップでみんなが知らない曲を見つけたり、他のDJのセットを聴いたりして、選曲やテクニックのオリジナリティーを磨いていくという感じです。とにかく耳を鍛えるために、今は勉強中です。モデルでもDJでも、一人のアーティストとして見てくれる機会が増えてきているなと実感しています。

―― ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)のキャンペーン企画で、夫の空也さんと息子の真空澄(マーズ)くんと家族で初共演していましたね。

松岡:真空澄と一緒に、家族そろってモデルの仕事をさせてもらえて、とても光栄です。空也とは撮影も初めてで、当日まで緊張していました。今後、日本に帰ることが増えていくので、こうした機会も増やしていけるとうれしいですね。

―― 空也さんとのなれ初めは?

松岡:空也とは、イタリアでの「グッチ(GUCCI)」(2023年プレ・スプリング)のショーで出会いました。私にとってはひさしぶりのショーで、アレッサンドロ(・ミケーレ前クリエイティブ・ディレクター、Alessandro Michele)はだいたい同じモデルを起用していたので、ブランクがあった私は知っているモデルがいなくて。それで、仲良くしてくれたモデルが空也だったんです。ニューヨーク出身の日本人だと知って、なんだかびっくりしちゃって、そのまま仲良くなっちゃいました。

私たちは趣味や好みが結構違うんですよね。でも、私は彼のおかげで自分の夢を目指すことができているし、彼にも自分の夢に邁進してほしいなと願っています。それぞれに夢があるっていうバランスが、すごくいい関係を保てているんじゃないでしょうか。

モデルのキャリアや今後のこと

―― ニューヨークでの子育てはどうですか?

松岡:真空澄は帰国中に生後100日を迎えました。産後はおむつ替えだけでもどうしようって感じだったけど、今はもう何も考えずにできるようになりましたね(笑)。真空澄も私たちも、人間の成長って不思議だなと日々刺激を受けています。それに、アメリカは子育てに対してすごく理解もあるから、外出時の授乳も食事も、ベビーカーでの移動もしやすくて、赤ちゃんにも居心地がいいのかなって。子どもたちが泣くことも、楽しむことも、ありのままでいいんだよと伝えられるような子育てをしていきたいです。

―― 環境についても考える機会が増えたのだとか?

松岡:プライベートでは、クローゼットだけの服でコーディネートを組めるようにして、新しいものはあまり買わないようになりました。ニューヨークは環境に対する商品や考えが先進的で、真空澄にも竹でできた紙おむつを使っています。毎日何枚も使うものだから、地球に配慮した、安心できる素材はうれしいですね。今後、サステナビリティーに関して、私の体験を日本でも発信していきたいです。

―― モデル、そしてDJとしての今後の目標は?

松岡:モデルは、自分らしくしかいられないという点がアピールポイントでもあり、それをこれからも生かしていきたいです。ただ、結婚と出産を経て、自分自身の心境や雰囲気が大人っぽくなってきたかなとも思うので、それを意識して表現できるようになっていきたいですね。DJとしては、自分の音楽を作ってプレーしたい。実際にプロデューサーと楽曲を作っているところで、目指せ『フジロックフェスティバル(FUJI ROCK FESTIVAL)』!って感じで(笑)。音楽とファッションにも通じる自分の世界観を、これからは作っていきたいです。

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