山本寛斎事務所のクリエイティブ・ディレクター高谷健太とともに、日本全国の伝統文化や産地を巡る連載“ときめき、ニッポン。”。14回目は、石川・金沢の金箔について。
加賀藩で花開く伝統工芸
石川県は“工芸王国”とも言われ、加賀友禅や九谷焼(くたにやき)、輪島塗(わじまぬり)、加賀蒔絵(かがまきえ)をはじめ、絢爛豪華な伝統工芸を多く持つ。背景には、外様大名でありながら百万石の大藩を築いた加賀藩主・前田家の存在がある。前田家は徳川幕府の警戒を解くために、武力ではなく文化振興へと力を注いだとされ、その文化奨励策が、今日も根付く伝統工芸の後押しとなっているという。
国内98%の金箔を作る
金沢箔は文字通り、石川・金沢周辺で作られる金箔のことで、日本の金箔生産量の98%以上のシェアを誇る。薄さは1万分の1mm程度。1000枚の金箔を重ねて、ようやく一般的なコピー用紙の厚さになる極限の薄さだ。ほんのわずかな静電気も金箔作りに影響する金箔作りには、雨や雪が多く湿度の高い北陸の気候風土が適していた。また、制作工程には和紙が欠かせず、和紙作りに必要な良質な水にも恵まれた金沢は、金箔とともに大きく発展した。
しかし、近年に至るまで金箔はあくまで工芸材料に過ぎず、“金沢で作られた”という事実が記されることはなかった。その価値がようやく認められたのは1975年。株式会社箔一の創業者・浅野邦子が初めて金沢箔を主役とした工芸品を生み出し、その名を世に広めようと動き出したことがきっかけだった。
伝統技術を日々の暮らしに
一方で、その道のりは決して平坦ではなかった。「もともと金箔は仏教建築や仏具において、極楽浄土を表すために用いられるもの。その扱いは格式高くあるべきという考えも根強く、日用品に金箔を貼るということがなかなか理解されない時代もありました」と浅野社長は振り返る。
現代アートと金沢箔が作る荘厳な世界
“婆娑羅”と金沢箔
無常、をかし、雅、幽玄、わび・さび、粋、かわいい、萌えなど、日本には思いつくだけでも沢山の美意識がある。山本寛斎事務所に入社して間もない頃、寛斎や上司が頻繁に口にしていたのが、婆娑羅(ばさら)という言葉だった。婆娑羅とは鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて流行した風潮をあらわす言葉で、広義には「派手な格好で、身分の上下に遠慮せずに振る舞う者」を指す。今の僕は「自身を誇示する格好をし、権威や体制に反撥し新時代を創造すること」だと考えており、金沢箔もその一つだと思う。瞬間的な驚きと幸福感を与える金箔は婆娑羅的だし、格式高くあるべきという金箔の固定観念を崩し、用途を広げてさらに価値を高めようとする箔一の姿勢もまさしく婆娑羅だ。ファッションにしてもインテリアにしても、生活する上で必要最低限の機能を求めるのであれば、おそらくそのほとんどが無用になる。それでも僕は、“心をワクワクさせてくれるもの”から生きるエネルギーをもらっている気がしてならないし、金沢箔にもそんな魅力がある。