山下英介/ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人 プロフィール
(やました・えいすけ)1976年6月29日生まれ、埼玉県出身。駒沢大学卒業後、2000年にバウハウスに入社。その後、「レオン」編集部(主婦と生活社)に在籍する。08年、創刊と共に「メンズプレシャス」(小学館)に参画。ファッション・ディレクター、クリエイティブ・ディレクターを歴任し、20年に退任。22年に、ウェブマガジン「ぼくのおじさん」を立ち上げる。「文藝春秋」(文藝春秋)のファッションページも手掛ける PHOTO : YUIKI HAYAKAWA
思えば、自分がこの道を志した四半世紀前から出版界は斜陽だった。とはいえ、“マスコミ”としての輝きはまだかすかにあり、SNSやユーチューブ前夜のため、ことファッションに関しては専売特許状態だった。斜陽産業だからすぐに小山(こやま)の上に立てると思ったが、そうは問屋が卸さず、今もスタート地点あたりを右往左往している。一方で、同じように小さな出版社からキャリアを始めながら、“大手3社”の小学館でファッション・ディレクターを約10年間務めたのが山下英介さんだ。同世代で業界歴も長いため共通の友人・知人も多く、一方で海外の展示会などで顔を合わせたりするものの、話をしたことはほぼなかった山下さんのアトリエを訪ね、“(メンズ)ファッション編集者の現在地点”について聞いた。
——僕らが高校生だった30年ほど前、市井(しせい)のファッションを作るのは雑誌の仕事だった。
山下英介ファッション編集者兼「ぼくのおじさん」編集人(以下、山下):その通りですね。僕は埼玉県中部の鶴ヶ島市で育ったのですが、国道沿いの何もない街で、ファッション誌を読むことだけが楽しみでした。特に「ブーン(Boon)」(祥伝社、2008年休刊)は、キャプションを暗記するほど読み込みました。
——僕も田舎育ちで、境遇が似ている。
山下:ファッションや雑誌に興味のある友達もいなくて。インターネットもない時代ですから、唯一の情報源であるファッション誌を片っ端から読みました。それがフリーランスになったときに役立ちました。
——というと?
山下:「GQ ジャパン(GQ JAPAN)」(コンデナスト・ジャパン)だとこう、「メンズ・イーエックス(MEN'S EX)」(世界文化社)だとこう、と各雑誌のテイストに合わせられたんです。
——山下さんのファッション遍歴についても聞きたい。
山下:目覚めは中学生のときですね。“渋カジ”と出合い、バッシュ(バスケットボールシューズ)やエンジニアブーツ、ビンテージに傾倒しました。高校生になると、渋谷・並木橋のセレクトショップ「レディ・ステディ・ゴー!」(15年閉店)でスーツを買って、ベスパに乗るように。飽きっぽい性分なので、すぐ次、次な感じで……(笑)。まったく通っていないのは、ヒップホップくらいかな?このあたりの雑食感も、雑誌を読みあさるのと似ていると思います。
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“業務”は“好き”にはかなわない
——時代は下り、ファッション誌やファッション編集者に代わって、SNSやインフルエンサーが台頭してきた。
山下:仕方ないのかなと。だって、雑誌がつまらないですもん。もちろん、自分が作るものは面白いと信じてやってきましたが、“業務”は“好き”にかないません。大手の総合出版社の場合、異動があるので、ファッション好きがファッション誌を作っているとは限りません。そこに熱は発生しづらいし、それどころか商業媒体ですから広告主への忖度も生まれる。これでは好きの結晶であるSNSに太刀打ちできません。
でも、そういったインフルエンサーの知識やノウハウをアシストしたのは雑誌だと思うんです。
ファッション誌の影響力は減少し続けていますが、いまだにパリやミラノで編集長が丁重に扱われている現実もありますよね。僕も小学館のおかげで、そちら側にいられた1人です。
雑誌と、クライアントである企業・ブランドとの関係も変わってきました。出稿が減って、紙1ページの価値が軽くなりました。一方で、クライアントからの要求は増える。純広告1Pに対してフォロー2Pの“倍返し”状態で、今後いっそうその傾向は強まるでしょう。
判断基準は本質的に良いか?
——華やかな世界にいた山下さんが、今は「ぼくのおじさん」を作っている。
山下:もちろん、それによって離れていった人もいます。でも、全員というわけではないです。そもそも僕自身、ラグジュアリーな生活をしていたわけではないですし。“値段が高いモノ”ではなく、“本質的に良いモノ”に価値を見出している方とは関係が継続しています。逆に、“売れるモノ”を作っている企業・ブランドとは距離があいてきました。
——山下さんを物語るエピソードの1つとして、“自腹でモロッコ・ロケハン事件”がある。
山下:事件って(笑)。僕の中では、いたって普通のことです。モロッコのファッションをはじめとする文化に興味があって、誌面で形にしたかったので自腹で下見に行きました。
——自腹で行った国はほかにもある?
山下:ポルトガルやインドにも飛びましたね。僕は、誌面で紹介する高いスーツも自腹で仕立てています。そうしないと説得力が生まれないんです。でも、それはあくまで自分が楽しむためであって、ある意味で“プレー”というか……。自分が楽しんでいるさまを暗に見せて、読者を誘導する。1980〜90年代の雑誌で多くのファッション編集者が実践していたことで、僕はそれにならっているだけです。ただ、誰よりもお金を使っている自信はあります(笑)。
日陰に光を当てる、それがメディアの役目
——山下さんを見ていて“自分と似ているな”と感じるのは、“下手くそな人を応援する姿勢”。勝ち馬には誰でも乗れるが、“一生懸命、だけど日の目を浴びないヒト・コト・モノ”を応援するのがメディアの役割だと思う。
山下:本当にそう思います。メディアにはまだその力があるのに、100%活用していないと感じます。
——7、8年ほど前、編集者も多く関わってオウンドメディアブームが起きた。が、いつの間にか沈静化してしまった。
山下:自社のことだから良いことしか書かない、それでは読者に見透かされてしまいます。例えば、80〜90年代にビギは自社製品を一切出さない冊子を発行していました。“良い時代”と言ってしまえばそれまでですが、ビギという世界観を好きになってもらうアクションだったと思うんです。そして今、企業・ブランドやメディアにはそれが求められているはず。
——僕もおじさんが好きで、だから「ぼくのおじさん」がスタートした際には“やられた!”と感じ、同時に“このコンセプトでやっていけるのか?”と勝手に心配した。
山下:便宜的に“おじさん”と言っていますが、特に年齢はセグメントしていません。例えば高校生にとって、近所の古着店のアラサーのお兄さんは十分“おじさん”ですよね。それに、今後は女性が出演しても良いと思っています。
——「ぼくのおじさん」の読者層は?
山下:一番大きな“山”は30代で20代、40代と続きます。そして女性率が40%!理由は、まだ分析できていないのですが……。
——ファッション業界の“おじさん”に会うと、皆一様に山下さんを褒める。だから僕はジェラシーを感じている。“おじさん”、そして取材対象者と仲良くなるコツは?
山下:相手を敬い、きちんと向かい合うことでしょうね。例えば高齢の取材対象者の場合、スマホやパソコンを持ってないこともあります。だから「ぼくのおじさん」編集部では、23年にファックスを導入しました(笑)。まぁ、それは一例ですが、相手のために時間を取ることが肝要かと。そこをケチってしまうと何事もうまくいかないです。
——取材対象者をリスペクトしているからこそきちんと下調べし、それが蓄積されて知識・情報となる。結果としてページに深みが生まれ、読者満足度も上がる、という好循環。
山下:そうなることを願ってコツコツとやっています。
——僕らは野武士や傭兵のようにファッションメディアに従事している(させてもらっている)が、25年前に比べてキラキラした目でこの業界を見ている若者は確実に減っている。改善策はある?
山下:難しい質問ですね……。それを発見したら、ぜひ教えてください(笑)。
でも、読み応えのある雑誌を自費出版している若者もいるし、「ぼくのおじさん」読者のようにジェネレーションギャップのあるモチーフに興味を示す若者もいます。僕ら年長者は、そうしたひたむきな行動を見守り、時に手助けしてあげられたらと思います。
夢は20代の編集長を育てること
——人生の折り返し地点を迎え、僕も最近よく聞かれることなのだが、“ファッションメディア従事者”としての山下さんのゴールとは?
山下:僕がいなくても「ぼくのおじさん」が継続していくことでしょうか。そのために20代の編集長を育てたいです。紙版も作りたいし、組織も大きくしたいです。夢はたくさんあります!
——最後に、ファッション編集者に必要なものとは?
山下:好奇心だと思います。好きになるということは、それだけで才能。そして、若い方はもっと主観を大事にしてほしいですね。リスクもあるでしょうが、旗色を鮮明にすることでキャラクターが立ちますし、同志も増えるはず。
今後は、ホスピタリティーも必要になるでしょう。読者と向き合って1人1人の満足度を上げる。そのためには、まず読者が見えている必要があります。昔気質の職人技は通用しなくなると思います。僕は好きなんですけど……。
インタビューを終えて
1つの現場に編集者が2人いることはなく、つまり会社の内外を問わず、他者の仕事を見る機会はほぼない。またファッション編集者は、日本にどんなに多く見積もっても1000人といないはずで、非常にユニークな存在だ。同じ就職氷河期を生き抜いた山下さんと話をして、さまざま感じることがあったが、一番の収穫は“もう少しファッションのため、出版のためにがんばってみよう!”と素直に思えたことだ。