桑田悟史/「セッチュウ」デザイナー
PROFILE:(くわた・さとし)1983年生まれ、京都府出身。高校卒業後にビームスの販売として勤務し、21歳で服作りを学ぶため渡英する。「ハンツマン」で働きながらセントラル・セント・マーチンズに通い、卒業後はガレス・ピューのアシスタントを経て、カニエ・ウェスト(Ye)のアトリエやリカルド・ティッシ時代の「ジバンシィ」、「イードゥン」でデザイナーとしての経験を積んだ。2020年に自身のブランド「セッチュウ」設立。22年には伊「ヴォーグ」による新人デザイナーコンテスト「フー・イズ・オン・ネクスト?」での最優秀賞をはじめ、数々の賞を獲得する。23年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ」のグランプリを受賞。現在はミラノを拠点にしている
「セッチュウ(SETCHU)」の桑田悟史デザイナーの魅力は、二面性だろう。知的かつ控えめで職人的な一面を持ちながら経歴は野心に溢れているし、純潔な美学を感じさせる鋭いテーラリングには、人への深い愛情を注いでいる。“折衷”とは、桑田デザイナー自身を表現している言葉だ。同ブランドは2023年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ(LVMH YOUNG FASHION DESIGNER PRIZE以下、LVMHプライズ)」グランプリを獲得すると、直後に発表した24年春夏コレクションは取引先が倍増。現在は日本8、海外37アカウントに卸している。拠点のミラノから生まれ故郷へと帰国した桑田デザイナーに、ものづくりの原点や、今後向かう先について聞いた。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月8日号からの抜粋に加筆しています)
多彩な経歴の中で
最も影響を受けた人
WWDJAPAN(以下、WWD):日本への帰国は何年ぶり?
桑田悟史デザイナー(以下、桑田):「セッチュウ」を立ち上げてから一度も帰国していなかったので、パンデミックが起こる前ぶりになる。人生の半分を海外で過ごしていると自分が日本人であることを忘れそうになるので、今回の帰国は出生地の京都も含め、日本の魅力を改めて感じたかった。だからプライベート半分、仕事半分のような感覚。
WWD:京都で生まれ育った中で、なぜデザイナーを志すことになった?
桑田:当時はデザイナーという仕事を理解していなくて、とにかく手を使って新しいものを作りたいという意欲に満ちていた。2、3歳のころから紙に絵を描いたり、家の床で母と折り紙をたくさん作ったりし、紙が立体になっていく面白さに夢中だった。それから母の手芸や、姉の着飾る姿を見るうちに生地に興味がわき始め、昔から難しいことにチャレンジするのが好きな性格だったので、紙より折るのが難しそうな生地の魅力に引き込まれていった。12、3歳のころから自分の会社を立ち上げて服を作りたいというイメージはあった。
WWD:本格的にファッションのキャリアを始めたのはビームスの販売スタッフからだ。
桑田:まずは服について学びたいという思いでビームスに応募して、採用された。その後、新しいものを作るには勉強が必要だと感じて渡英し、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ(Central Saint Martins)に通いながらテーラーの技術も学んだ。当時もスターデザイナーはいたけれど、私はファッションショーをいつかやりたいというより、純粋に服を着たときの高揚感をたくさんの人に届けたいという思いが強かった。
WWD:渡英後はテーラーの「ハンツマン(HUNTSMAN)」やモードの「ジバンシィ(GIVENCHY)」、前衛的な「ガレス ピュー(GARETH PUGH)」やエンターテインメントのYeといった多彩な経歴だ。特に影響を受けた人物は?
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