「ダブレット(DOUBLET)」の井野将之デザイナーは、ショー後の取材で2023年は「翼をもがれた気分だった」と明かした。24-25年秋冬コレクションをパリで現地時間1月21日に発表するまでの苦しさは、もしかすると、どのシーズンよりも辛い道のりだったのかもしれない。
訪れた転機、向き合う覚悟
井野デザイナーを初めて取材したのは2016年のこと。なかなか日の目を見ずに試行錯誤を続け、カオス刺しゅうのスカジャンがようやくヒットしたことをうれしそうに話してくれた。その後、ファッションを通じて人を楽しませる、大笑いさせるという最もシンプルで難しい道を選んだことが奏功し、さらに国内で知名度を広げていった。着る人を楽しませるには、まずは自分たちが楽しんで作らないといけない。その点、ブランド立ち上げから井野デザイナーの突飛なアイデアを形にしてきたパタンナーの村上高士と、ニッターの嘉納絵里奈の3人が、コレクションを楽しそうに説明してくれる展示会が大好きだった。
当時、各メディアからの「今後の目標は?」という質問に対し、一貫して「会社として『ダブレット』を何年も続け、変わらず雇用を維持すること」と語っていたのを覚えている。メディアとしては「パリコレに出たい」「世界で有名になりたい」という答えを期待していたのに、愚直な男の夢は、あくまで仲間と共に成長していくことだった。
井野デザイナーは、18年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ(LVMH YOUNG FASHION DESIGNER PRIZE)」グランプリを受賞すると、メディアへの露出が増え、人前に出るデザイナーを、少し離れた場所から優しく見守る2人の姿が印象的だった。しかし、24-25年秋冬コレクションのショー会場に、ここまで両翼として「ダブレット」の飛躍を支えてきた2人はいない。「人が入れ替わって気持ちが不安定なときもあったけれど、それでも変わらず支え続けてくれる仲間や、いろいろな人のおかげで立ち直ることができた。今回のコレクションでは“リカバリー”を表現したかった」と、声を詰まらせた。
ゾンビたちを救う仕掛けの数々
24-25年秋冬コレクションのショーでは、厳しい精神状態だった自分自身をゾンビとして表現し、ゾンビメイクのモデルたちが“リカバリー”して人間に戻っていく過程を面白おかしく描いた。“リカバリー”の表現はどこまでもユーモラス、というか昭和風味なお笑いである。スタッズを全面に敷き詰めたパンクなライダースとパンツは、よく見ると体のツボの位置にスタッズを打ち込んでおり、古着のジーンズをつぎはぎで再構築したパンツは包帯をぐるぐる巻きにしたミイラのイメージ。AIで作ったキラキラの女性3人のグラフィックをプリントしたTシャツは、ゾンビ3体のTシャツとビフォーアフターで対になっており、ななめに歪んだパターンは、重心をやや左に傾けて腕を上げたゾンビポーズの状態できれいに見えるという、ショーでは全く伝わらない仕掛けは、今シーズンも満載だった。
ほかにも、昼寝を意味する“NAP”ロゴを独自に作成し、パリという大舞台にはギャップがある寝袋風ウエアにあしらったり、レザーのセットアップは血のように赤いスリリングなカラーだったり、ミリタリージャケットに付くフードは、まるで未知の世界への扉のように四方に開いたりと、一点一点に仕込んだ“分かる人には分かるアレ”も健在。とはいえ、ベーシックなメンズ服を基本にしているため、ここ数シーズンの中ではいい意味で着やすく落とし込んだ印象だ。ヨガマットやプロテインパッケージ風のバッグ、パンクな健康サンダル、マッシュルームレザーを使った食パン風クロスボディー、伝わりづらい寿司型ポーチ、そして「アシックス(ASICS)」とのコラボシューズなど、見るだけで表情がゆるむグッズもそろえた。
4社との“クワイエット・リカバリー”
癒しを求める社会のゾンビたちに手を差し伸べるべく、今シーズンは4社と協業した。医療機器のコラントッテ(Colantotte)とは、同社の永久磁石を生地に付け、着るだけで血行を改善してコリを緩和するウエアを作った。一見するとベーシックできれいなジャケットの裏地には、柿の葉から抽出した溶液を練りこんだレーヨン“キュアフィーロ(curefilo)”を用いて、酸化還元効果で免疫機能の維持をサポート。胸もとに温泉風モチーフを刺しゅうし、フードの代わりにタオルが付くパーカやTシャツには、温泉水に浸したイフミックウェルネスの機能素材“イフミック(IFMC.)”を使い、身にまとうことで血行促進効果が期待できるという“クワイエット・リカバリー”なラインアップを披露した。
また、慶應義塾大学発のスタートアップ企業シンフラックス(Synflux)とも協働し、同社独自のパターンメイキング技術「アルゴリズミック クチュール(Algorithmic Couture)」を採用。廃棄布を大幅に削減したセットアップや、トップスなどが登場した。これらのアイテムはフランケンシュタインをイメージし、大小のパーツをあえていびつにつなぎ合わせ、ボルトの刺しゅうを突き刺すというこだわりようだ。
ほんの少しの希望のために
フィナーレでは、ゾンビたちがリカバリーを経て人間に戻り、寝起きのようにリラックスした状態で現れた。対して井野デザイナーは、そのランウエイを足早に駆け抜けていった。「発表するのが本当に怖かった。ブーイングだったらどうしようと不安で、最後は走り抜けた。ただふざけているだけのように見られるかもしれないけれど、これぐらい思い切ってやらないと伝わらないから、怖かった」。もちろん、ブーイングはなかった。それどころか、パリ・メンズ・ファッション・ウイーク最終日で疲労を抱えた多くの関係者を笑顔にし、リカバリーしたコレクションだった。「自分自身としても、世界情勢にしても、希望がない状況が一番嫌で。このコレクションを通じて、ほんの少しでも希望を持ってくれたらいいなと思った。『明日晴れるかな』とか、それぐらいでもいい」と、表情は晴れやかだ。
どん底の状態から何度も這い上がってきた井野デザイナーは、これからも多くの人に支えられ、癒し、癒されながら新章を歩んでいく。ファッションビジネスを続けていく限り、困難な状況が再びいつ訪れるか分からない。それでも「ダブレット」は、どんなときでも笑い続けるのだろう。