フランス人デザイナー、クロード・モンタナ(Claude Montana)が2月23日に死去した。76歳だった。ショルダーラインを極端に強調した逆三角形のシルエットで一世風靡し、ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)やジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)とともに、1980年代を代表するデザイナーとして活躍。当時のパリならではの刺激的でアバンギャルドなファッションを提案し、“ショルダーパッドの帝王”と呼ばれた。
ゴルチエは、「クロードは素晴らしいデザイナーであり、比類のないショーを披露した。レザー使いの巧みさは右に出る者がなく、コレクションでも好んで使っていた」と語り、その才能を称えた。
フランス・オートクチュール&モード連盟(Federation de la Haute Couture et de la Mode以下、FHCM)の会長を務めるブルーノ・パブロフスキー(Bruno Pavlovsky)=シャネル(CHANEL) ファッション部門プレジデント兼シャネルSASプレジデントは、「クロードの作品は素晴らしいクラフツマンシップを具現化しており、その大胆はクリエイションは多くのデザイナーに影響を与えた。洗練と現代的な感覚を融合した特徴的なスタイルは、コンテンポラリー・ファッションの創造性に根ざしており、消え去ることのないインパクトをファッション界および次世代に残した」と故人を悼んだ。
パスカル・モラン(Pascal Morand)FHCMエグゼクティブ・プレジデントは、「先見の明があるクロードは、時代の先を行くアイデアでスタイルやデザインの基準を再定義し、従来の型を破ることでファッションの新境地を開いた」と語った。
モンタナは、スペイン・カタルーニャ州出身の父とドイツ人の母を持ち、1947年にフランス・パリで生まれた。70年代にロンドンに移り、ジュエリーのデザイナーとしてキャリアをスタート。張り子のジュエリーがイギリス版「ヴォーグ」の撮影に使われ、注目を集め始める。その後パリに戻り、レザーのジャケットやブルゾンを得意とするブランド「マックダグラス(MAC DOUGLAS)」でデザインを担当。79年に、自身の名を冠したブランドを立ち上げた。モンタナのシグネチャーである、メンズウエアを着想源としたパワーショルダーは、巧みなレザー使いや正確なカッティングで力強い女性像を表現。女性の社会進出が進み、企業で活躍する女性も増えていた時代性ともマッチし、モード界を席巻した。一方で、私生活ではこの頃からアルコールやドラッグの問題を抱えるようになっていたという。
89年に「ランバン(LANVIN)」のクリエイティブ・ディレクターに就任し、オートクチュールを手掛けた。批評家から作品を高く評価され、クチュリエに贈られる権威ある賞の「金の指貫賞(The Golden Thimble Awards)」を2年連続で受賞したものの、デザインが大胆すぎるなどの理由によって5シーズンで退任した。93年にはミューズだったアメリカ人モデル、ウォリス・フランケン(Wallis Franken)と結婚するが、96年に死別。自身の会社が97年に倒産した後は、ファッション業界の一線から退いていた。2013年には、「エリック・ティブッシュ(ERIC TIBUSCH)」13-14年秋冬オートクチュール・コレクションで3作品を披露。しかし、「ずっとカムバックしたいと思っていたが、イメージしたような、理想的な状態ではなかった。以前のように制作に没頭するのは難しかった」とコメントしている。
なお、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)は、04年のインタビューでこう語っている。「クロードは豊かな才能の持ち主で、その幅広さはジョン・ガリアーノ(John Galliano)をも超えるほどだ。モダンで、コンテンポラリーで、若く、斬新で、挑発的だった。本物の才能だった。しかし、薬物でそれを台無しにしてしまった」。