イトーヨーカ堂が津田沼店(千葉県習志野市)を9月で閉めると発表した。全国のイトーヨーカドーで長らく1位の売り上げを誇ってきた有力店の撤退は、時代の終焉を強く印象づける。津田沼は1977〜78年のわずか2年間にパルコ、西友、ヨーカドー、丸井、高島屋、ダイエーが立て続けに進出。激しい商戦は「津田沼戦争」と呼ばれた。ヨーカドーの退場で当時のプレーヤーは全ていなくなる。津田沼の変遷は、新陳代謝を繰り返す小売市場の縮図だ。(この記事は「WWDJAPAN」2024年3月4日号からの抜粋です)
東京駅からJR総武線快速で約30分。船橋市と習志野市にまたがる津田沼は、JRと新京成線が乗り入れるベッドタウンとして栄えてきた。
イトーヨーカドー津田沼店は、新京成電鉄・新津田沼駅の駅ビル(地下1階・地上8階)で営業する。閉店報道があった翌週の月曜午後に訪ねてみた。食品売り場はともかく、衣料品やリビング売り場は平日ということを差し引いても客はまばらでがらんとしている。客層は70歳代以上と思しきシニアが中心だ。建物自体の老朽化も目立つ。
津田沼店は1977年に開業した。当時、隆盛を極めたGMS(総合スーパー)の中でも大型店(売り場面積約1万6000㎡)だった。80年代から90年代にかけての10年以上、全国のイトーヨーカドーの中で売上高が1位の有力店だった。
イオンモールの集客力に屈する
では、なぜ撤退に追い込まれたのか。
一般論でいえば、衣食住全てをそろえるGMSという業態自体が衰退したからだ。90年代以降、特定の商品カテゴリーを豊富な商品量かつ低価格で提案するカテゴリーキラーが急成長し、総花的な品ぞろえのGMSから客を奪った。「ユニクロ」「ファッションセンターしまむら」「西松屋」「ニトリ」「洋服の青山」などが代表例だ。ダイエーや西友は早々に企業再編を余儀なくされた。比較的安定していたイトーヨーカドーも時代に逆らえず、大規模な構造改革を迫られる。2月には北海道、東北、信越で営業する全17店舗を閉めると発表していた。
エリア特有の事情でいえば、2003年にイオンモール津田沼(当時はイオン津田沼ショッピングセンター)が開業したことが痛手だった。新津田沼駅を挟んで隣接する。売り場面積でヨーカドーの2倍以上のショッピングモールであり、専門店の顔ぶれも従実している。店内はイトーヨーカドーではほぼ見かけなかった若者や家族連れも多い。沿線に住む40代の女性は「食品や日用品はイオンの一択」と話す。両店の明暗は2000年代からはっきりしていたが、構造改革を進める中、白旗を上げざるを得なくなった。
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