ファッション

102歳で亡くなった世界最高齢のスタイル・アイコン、アイリス・アプフェルの生涯

世界最高齢のスタイルアイコンであり、デザイナー、インフルエンサー、そして数々のファッションブランドの顔として活躍したアイリス・アプフェル(Iris Apfel)が3月1日、米国フロリダ州パームビーチの自宅で亡くなった。102歳だった。広報担当者が発表した声明によれば、アプフェルは長年介護にあたってきた人々に囲まれ、老衰によって息を引き取ったという。パームビーチとマンハッタンでの追悼式は後日行われるという。

後年はインテリアデザイナーとして
歴代大統領のホワイトハウス彩る

アプフェルは1921年8月29日、ニューヨーク市クイーンズ区アストリア生まれ。2015年には当時100歳だった夫カール・アプフェル(Carl Apfel)に先立たれていた。生前、夫妻はパームビーチとマンハッタンのアッパーイーストサイドに家を構えていた。アプフェルと夫は1950年にテキスタイル会社、オールド・ワールド・ウィーバーズ(OLD WORLD WEAVERS)を立ち上げ、1992年に売却している。

また米「WWD」での仕事を経て、アプフェルはインテリアデザイナーのエリノア・ジョンソン(Elinor Johnson)のもとで働いた。また、ファッション・イラストレーターのロバート・グッドマン(Robert Goodman)のアシスタントも務めた。インテリアデザイナーとして活躍する数十年にわたるキャリアの中で、ホワイトハウスの9つの修復プロジェクトに携わり、ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)やドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)、ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)、リンドン・ジョンソン(Lyndon B. Johnson)、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)、ジェラルド・フォード(Gerald Ford)、ジミー・カーター(Jimmy Carter)、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)、ビル・クリントン(Bill Clinton)ら、歴代の大統領のためにホワイトハウスのインテリアデザインを担当し、「ファブリック界のファーストレディ」の異名をとるに至った。また近年は「ケイト・スペード ニューヨーク(KATE SPADE NEW YORK)」や「M・A・C」「アレクシス・ビター(ALEXIS BITTER)」、HSN、ル・ボン・マルシェ(LE BON MARCHE)などの広告キャンペーンに関わってきた。

アプフェルは生涯を通じて世界中を旅し、各地の蚤の市を熱心に巡ってインスピレーションを得ながら、ファッションや家具、ジュエリー、アンティーク、アクセサリーを収集。そこで手に入れた戦利品はエスティローダー(Estée Lauder)やグレタ・ガルボ(Greta Garbo)といった著名人の自宅も彩ってきた。揺るぎない好奇心や想像力、そして誰にも真似できない表現力を持つアプフェルは、大胆な色合いやパターン、テクスチャー、そして主張の強い表現にこだわり続けた。2012年の米「WWD」のインタビューには「私は色彩人間。色に関して無難な表現に甘んじることはない」と語っていた。

大きめの眼鏡、赤い口紅、短く刈り上げたグレーヘアをトレードマークに、アプフェルのファッション・アイコンとしての地位は、年を追うごとに開花していくかのようだった。それは自身の生誕100周年を記念して「H&M」と発表したカプセルコレクションのほか、ジュエリーからアイウエア、ハンドバッグ、「メイシーズ(MACY’S)」などの小売店との協業、そしてアプフェルがスタイリングを手がけたバービー人形など、多岐にわたるコラボレーションを見ても明らか。事実、アプフェルは毎シーズンのようにコラボレーションや広告キャンペーンを発表してきた。18年の米「WWD」のインタビューには「私はとても忙しくて、まるでクレージーな人間。仕事が好きなの」と答えていたが、それは彼女が夫のカールを亡くしてからより顕著になったようだ。「私たちは一緒にビジネスをしていたし、すべてにおいて一緒だったから、喪失感はとてつもなく大きかった。自分の正気を保つために仕事をした。」とも語っている。

90歳を過ぎてブレイクのアプフェルに
トミー・ヒルフィガーらもお悔やみ

何十年もの間広く認知されてきたにもかかわらず、アプフェルは「とてもプライベートな人」であり続け、90代を超えてから得た名声に慣れるのにはある程度の時間を要したという。アプフェルは19年、ニューヨークに拠点を置くマネジメント会社IMGと契約。当時97歳だったアプフェルは米「WWD」に「とても興奮しています。私はきちんとしたエージェントを持ったことがありませんでした」と語った。それ以前は全て自分自身で仕事をこなしていたという。アプフェルは「私は『自分でやる』女。自分の人生がこんな風になるなんて想像もしていなかったから、準備もしませんでした。でもトミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)は『それではダメだ』と言って、IMGを紹介してくれた。とても興奮しているし、とても感謝しています」と19年に語っていた。

アプフェルの訃報に際してヒルフィガーは「妻のディー(Dee Ocleppo Hilfiger)と私は、ここ数年パームビーチとニューヨークの両方でアイリスと会い、一緒に幸せな時間を過ごした。彼女は絶対的なインスピレーションであり、非の打ちどころのないスタイルだけでなく、ファッションにまつわるあらゆるものに対する貪欲さと審美眼を持ち合わせ、その素晴らしい存在感とオーラでどこにいても注目の的でした。彼女が長年にわたって率いてきたテキサス大学の学生を指導するプログラムに参加できたことも光栄でした。あまりにも寂しく、ファッション界全体にとって大きな損失です」とコメントしている。

またダナ・キャラン(Donna Karan)は、「アイリスは、誰よりもファッションに情熱を持っていた人物。頭のてっぺんからつま先まで、鮮やかな色、存在感のあるジュエリー、目をひくディテールで最高の装いをしていましたし、私は彼女の影響で色を使ってみようと思えました。知り合えたことにとても感謝していますし、共に思い出を作れたことに感動しています」と語る。

全米では博物館や美術館で展覧会
ブルース・ウェーバーらと交流

マサチューセッツ州セーラムにあるピーボディ・エセックス博物館は19年、アイリス&カール・アプフェル棟を公開した。同博物館はその10年前、アプフェルのファッション・コーディネート90点、1,000点の持ち物、さらに彼女の亡き夫がかつて着用していた衣装全点などを展示した「稀代の人、そしてファッションアイコン:わきまえない女アイリス・アプフェル(Rare Bird and Fashion Icon: The Irreverent Iris Apfel)」を開催した。その折衷的なラインナップは、ある者にはデザインのインスピレーションを与え、またある者には旅への放浪欲をかき立てた。後者のアナ・スイ(Anna Sui)は、かつてシリアへの旅に出るため、アプフェルの展覧会に登場した19世紀のパーツが揺れるハーレム・ジュエリーを探したという。

彼女の人気に火をつけたのは、05年にニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた、多彩な服やジュエリーを紹介した展覧会「稀代の人:アイリス・アプフェルのコレクションから(Rara Avis:"Selections from the Iris Apfel Collection)」だった。デザイナーではない存命の人物の服やアクセサリーが展示されたのは、コスチューム・インスティテュートでは初めて。この展覧会をきっかけに、彼女は世間の注目をさらに集めていく。

アルバート・メイスルズ(Albert Maysles)監督による15年のドキュメンタリー映画「アイリス」では主役として取り上げられ、17年にアメリカのケーブルテレビ放送局HBOで初公開されたドキュメンタリー「(訃報に自分の名前がないのなら、朝食を食べよ)(If You're Not in the Obit, Eat Breakfast)」にも登場。94歳で「ポケット・アイリスの知恵: アイリス・アプフェルの名言集(Pocket Iris Wisdom: Witty Quotes and Wise Words From Iris Apfel)」を執筆し、その数年後には、さまざまなつぶやき、写真、イラストが収められているもう1冊の本「偶然のアイコン、老年スターのつぶやき(Iris Apfel:Accidental Icon, Musings of a Geriatric Starlet)」を出版した。

アプフェルの母サディエ・アソフスキー(Sadye Asofsky)は、ロシアで生まれ、オレゴン州のアストリアで育ち、ファッション・ブティックを経営していた。父サミュエル・バレル(Samuel Barrel)は鏡とガラスを専門とする起業家だった。アプフェルの冒険心は、クイーンズからマンハッタンへの地下鉄の道のりに端を発している。彼女はその道程でグリニッジ・ヴィレッジ、チャイナタウン、ハーレムなどのリサイクルショップ、アンティークショップ、フリーマーケットなどを巡っていたのだ。ニューヨーク大学に入学した後、ウィスコンシン大学に編入。博物館管理学のコースを取り、アメリカのジャズを学期論文のテーマに選んだ。ウィスコンシン大学同窓会によると、アプフェルは図書館でジャズに関する本を見つけることができず、シカゴに行き、生涯の友人となったデューク・エリントン(Duke Ellington)を含む一流のジャズ・ミュージシャンにインタビューをしたという。

また2021年9月には写真家のブルース・ウェーバー(Bruce Weber)やデザイナーのティモ・ウェイランド(Timo Weiland)、ジョアンナ・マストロヤンニ(Joanna Mastroianni)らを招いてニューヨークのマンハッタン57丁目の高層ビルで誕生日パーティーを開き、自身の100歳の誕生日を祝った。パーティーにも出席したウェーバーは訃報に際し、アプフェルとのイタリア版の「ヴォーグ」誌の撮影がきっかけで、何十年にもわたる友情が生まれたと語った。当時イタリア版「ヴォーグ」の編集長を務め、アプフェルを 「今まで会った誰とも違う」と評したフランカ・ソッツァーニ(Franca Sozzani)に彼女を紹介されたウェーバーは、アプフェルのスタイルを 「言いようもなく唯一無二」のものだったと語った。「さようならを言うことができなかった。でも1カ月ほど前に一緒にランチを食べ、レストランを出たとき、彼女は私に言ったんだ。『それで、(撮影のために)私はどうしたらいいの?』と。僕は『ここで、そのままの格好でいいんだよ』と答えたよ」。

アプフェル夫妻やデザイナーのジェームズ・ガラノス(James Galanos)らとベネチアやパリで何度か感謝祭を過ごしたラルフ・ルッチ(Ralph Rucci)は、アプフェル夫妻はいつもパーティの中心だったと語った。アプフェルのメッセージは、「あくまで個人としてものを考えること。あの伝説のファッショニスタ、ダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)のように。常識から離れ、チャンスをつかむこと、恐れぬこと。退屈な人間になんてならないこと」と振り返る。

ファッション・ジャーナリストのマリロウ・ルザー(Marylou Luther)は、アプフェルのことを「デザイナーズウエアを着こなす女性の存在を世に知らしめた社交界の人物であり、コレクションに出席し、その晴れ姿をあらゆる人に見せた女性」と評している。「もちろん、彼女は社交界の人物以上の存在だった。ファッションの世界において、存在感のあるメガネをアイテムとして一般的にしたのも彼女だった」。

「ホルストン(HALSTON)」のクリエイティブ・ディレクターであり、百貨店チェーンのニーマン・マーカス(NEIMAN MARCUS)の元シニア・ヴァイス・プレジデント兼ファッション・ディレクターのケン・ダウニング(Ken Downig)は、以下のように振り返る。「ニーマン・マーカスのクリスマスブックのために、彼女がデザインした作品や個人的なコレクションを詰め込んだ、豪華なファブリックで覆われたトランクを作ったとき、アイリスと私を引き合わせたのはジュエリーだった。ランチを共にして数分も経たないうちに、私たちの会話は、ブレスレッドを素敵に重ね付けすることの大切さ、そしてそれが肘まであればなお良いという話題に及んだ。そしてすぐに、私たちがともに乙女座であり、完璧主義者としての呪いを引きずっていることを理解した」。ダウニングはまた、「アイリスと並んで数歩も歩けば、誰かが一緒に写真を撮りたいと声をかける。彼女は常に親切に、その願いに応じていた。アイリスは面白い人でもあった。彼女のユーモアのセンスは他の追随を許さなかった。彼女は人を惹きつける磁石のような存在だった」とも語っている。

18年に5番街のデパート、バーグドルフ・グッドマン(BERGDORF GOODMAN)で開催されたアプフェルのポップアップショップのために、似顔絵入りのボールガウンスカートなど10点をデザインした「アリス アンド オリビア(ALICE + OLIVIA)」のCEO兼クリエイティブ・ディレクターのステイシー・ベンディット(英表記、頭大文字)は「アイリスは伝説であり、アイコンであり、ファッション界にインスピレーションを与え続ける存在だった。彼女のアクセサリー、スタイリング、洋服、そしてクリエイティビティへの愛情は尽きることがなかった。とても寂しくなります」と述べた。

彼女をきっかけとしたミームや「バズり動画」、はたまたアイリスになりすます偽アカウントまで登場した影響もあり、アプフェルはSNSについて複雑な感情を抱いていた。彼女はソーシャルメディアを「商売のための素晴らしいツール」と考えていたが、「どうして人々が、他の人たちがやっていることの細かな部分にまで興味を持つのか理解できなかった」という。彼女はSNSに対して「私にはちょっとおせっかいに思える」と18年に米「WWD」に語っていた。「SNSが若年層に与える恐ろしい影響を、そのうちに目の当たりにすることになると思う」。

2008年のWWDのインタビューの中で、彼女は次のように別れの挨拶をしている「楽しまなきゃね」。

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