デザイナーは、どこまで自分をさらけ出すべきなのだろう?「個」の時代、そして意志やアティチュードの発信で「共感」を得ることが欠かせない時代、こんなことを考える人は、多いのではないだろうか?
そんな人には、「フェティコ(FETICO)」の舟山瑛美デザイナーを知ってほしい。もちろん、さらけ出す“度合い”はブランドの規模感などによって異なるのだろうが、毎シーズンのコレクションを通じて本音や本心を語り、問い続けるデザイナーなら退廃的で暗く、陰気なクリエイションでも、人の心を捉えることができることを教えてくれた。
上の記事が物語るよう、「フェティコ」はずっと声高に語ってきた。しかも、そのトピックスは絶対的な正解が存在しないからこそ、時には物議を醸すジェンダーだ。しかし、だからこそ「フェティコ」は瞬く間に多くの女性を虜にして、そのショー会場には全身「フェティコ」の熱烈なファンが目立つようになった。もちろんインフルエンサーも多いが、露出度の高い「フェティコ」の洋服は、コンサバ気味な日本のエンターテインメントの世界では選ばれづらいし、着る本人の“覚悟”が試される。こうしたハードルを乗り越え、「フェティコ」を選び、「フェティコ」が選ばれていることからは、時代の変化を痛感せざるを得ない。クリエイティブの最前線では今はもう、問題を“なかったかのように”隠したり、孤独に乗り越えてしまったりの時代ではないのだ。
さらに自分のインサイド、もしかしたら“心の闇”を見せる
そんなムードを育んできた舟山デザイナーは今回、さらに自分のインサイド、奥深くの、もしかしたら“心の闇”かもしれない世界を垣間見せた。
インスピレーション源は、映画「アダムス・ファミリー」のダークで強い個性を放つウェンズデー・アダムスや、アメリカの絵本作家エドワード・ゴーリー(Edward Gorey)による繊細な線画の残酷な作品群、ブロードウェイ版の「ドラキュラ」、そしてドイツ人アーティストのハンス・ベルメール(Hans Bellmer)によるエロティックで奇妙な人形たちという。いずれも退廃的で、暗く、陰気。列挙すると、「ヤバい」と思われてしまいかねないものばかりだ。
しかし舟山デザイナーは、「『アダムス・ファミリー』のウェンズデーは、キラキラした可愛い女の子たちとは何もかも違った。自分のスタイルを貫く彼女は、残酷で陰湿なのにどこかチャーミングで魅力的。人と異なることを恐れない強さを教えてくれた」と語り、「好きなものを大切にすることは、自分自身を大切にしていることと同じ。好きなことに素直な自分は、より愛しく思える。お気に入りと共に人生を歩むことは、何より幸せなことだから」と続け、これまでの「フェティコ」で発信してきたボディ・ポジティブに通じる価値観を投げかける。余談だが、ウェンズデーは今、ネットフリックスのオリジナルドラマで主役としてリメイクされている。舟山デザイナーが言う、「自分のスタイルを貫く彼女は、チャーミングで魅力的。人と異なることを恐れない強さを教えてくれた」と感じ、発信するのは、ファッションの世界に限らないということなのだろう。
そして、そんな思いは、間違いなく伝わった。おそらく、「フェティコ」のショーを見た人は誰もが、舟山デザイナーのダークな一面を感じ取っただろう。ゴシックな十字架のモチーフを肌見せのカットアウトで表現するコレクションは、真っ白い肌に黒リップ、ベルベットのリボン、フェティッシュなレザーチョーカー、そして葬列を思わせるブラックレースも手伝い、なかなかに暗い。元来、着る人間も見る人間も高揚させるはずのファッションの世界では、チャレンジングだ。しかし「フェティコ」の思いを知っている人は、今回のコレクションをこれまで以上に、彼女のパーソナルな語りかけと感じるだろう。よりパーソナルで内面に迫っているからこそ、いつも以上に共感するのかもしれない。
そして、そんな人には、挑戦したくなる「フェティコ」の新しいスタイルが待っている。ボディスーツやジャンプスーツはドレープが美しいベルベットやキュプラと組み合わさってドレスへと生まれ変わり、ベルベットのリボンは首元や肩口を彩り、得意のテーラードのバリエーションをさらに押し広げている。ランジェリーウエアはコルセットによってモードな印象を強め、大きな襟はシンプルなドレスに存在感をプラスした。ミニだけではなくマキシ、ボディスーツだけではなくドレス、レースだけではなくベロアなど、「フェティコ」の世界を着々と押し広げている。