イタリア・ナポリの高級紳士服を100年近く、黙々と作り続けてきたブランドの3代目オーナーが表舞台へ一歩踏み出そうとしている。ナポリのサルトリアの元祖とも言われる「チェザレ・アットリーニ(CESARE ATTOLINI)」がこのほどジャパン社を設立し、社長には二村仁ボルス社長が就任した。「ボルス・1987」日本橋高島屋店内にサロンを今春オープンし、2年以内に都内に直営店オープンを予定している。
1930年代に始まるストーリー
「チェザレ・アットリーニ」の物語は1930年代、ナポリの若きテーラー、ヴィンチェンツォ・アットリーニ(Vincenzo Attolini)が、英国サヴィル・ロウのスーツ作りの美学をベースに、大胆にもパッドや肩パッドを排除した新しいシルエットを開発したことから始まった。彼の創造は、やがてナポリ・スタイルと定義されるようになる。息子のチェザレ・アットリーニ(Cesare Attolini)は幼い頃、テーラーショップで父の隣で働き始め、生地の裁断やテーラーリングを学び、家業を継いだ。
その技術は、チェザレの息子たちにも受け継がれ、現在はマッシミリアーノ・アットリーニ(Massimiliano Attolini)とジュゼッペ・アットリーニ(Giuseppe Attolini)がそれぞれ社長と副社長としてチェザレ・アットリーニ社を経営している。
2年以内に東京に直営店オープンを計画
マッシミリアーノ・アットリーニ社長は今後、小売りの拠点を広げる計画だ。現在は、ニューヨーク、マイアミ、ミラノなどに5店舗を構え、今夏にロンドンにオープン。2030年までにその数を20に拡大するという。東京には2年以内に銀座エリアに直営のオープンする予定だ。このほど来日したアットリーニ社長は「過去20年は、欧米市場に注力してきた。次は東京。各国でフランチャイズ化の打診を受けるが、それは考えられない。オープンする店舗はすべて社内で運営する」と説明する。「我々は土台を築いてきた。そして日本の人々は私たちのことをまだよく知らない。だからこそ、東京に来た。高級志向の男性たちに『チェザレ・アットリーニ』の名を知らせることに注力する、今がその時だ」。
商品構成は、60%が既製服、40%がオーダーメイドまたはビスポークである。ビジネスの中心はジャケットとスーツだが、10年前にイタリアのウンブリア州に購入したニットウェア専門の工場では、パンツ、シャツ、ニットウェア、アウターウェアも生産している。ナポリにはネクタイを生産する小さな工場もある。
ナポリの工房では、120人の職人が働いている。1着のスーツが完成するまでに25~30時間かかることもあり、1日に生産されるジャケットはわずか30着。一つの生地から20着以上は作らない。手作業のため、生産数は年間約7000着に限定している。そのため、卸売りは世界でも100社程度と限られている。価格は、既製服のジャケットは6500~7500ドル(約100万〜116万円)、スーツは7500~9500ドル(約116〜150万円)で、オーダーメイドの価格は約30%上乗せとなる。
7000着以上は生産しない理由
戦略の最大のポイントは、どんなに需要があろうとも年間の生産数は7000を上限にしている点だ。生産数を増やす計画はないため、直営店が増えれば増えるほど、その希少性が高まる。「品質と量は直結する。そしてエクスクルーシビティとは、何着生産するかで決まる」と考えるからだ。
売上高は非公表だが、推定1億ユーロ(約164億円)で、イタリアの高級ブランドの競合他社に比べればその規模は小さい。しかし、小規模であるからこそ創業者が設定した高い基準を保証することができる、というのが同社の考え方だ。「我々は絶滅危惧種だと感じている。他の経営者は、何十億ユーロという単位で話をするが、私たちは自分たちの品質が何十億という単位とイコールになるとは思わない」。
本物のラグジュアリーを求める人を満足させる
チェザレ・アットリーニ ジャパンの社長に就任した二村氏は、ラグジュアリーブランドを扱う自身の専門店「ボルス・1987」で、1994年から「チェザレ・アットリーニ」を扱っており、30年におよぶ関係がジャパン社設立の礎にある。私服もほとんどが同ブランドだという二村社長は、「イタリアンクラシコのベースを作ったのがアットリーニ社であり、王道。テーラーは他にもたくさんあるが、他よりも着心地が圧倒的に良い。そして着ていると周囲の人から褒められるという声が多い。それはハンドメイド故だ」とその魅力を説明する。
バスストップやオンワードラグジュアリーグループの要職も兼任してきた二村社長は、売り上げ規模や話題性が先行し、画一化が進むラグジュアリービジネスに危機感を抱いている。「日本には最高級のクオリティとサービスを知り、現状に満足していない顧客がいることは名古屋の自店を通じて実感している。東京も同じ。ここは本当のラグジュアリーを求める人たちを満足させる店となれるだろう」。