PROFILE: 設楽洋/ビームス社長
原宿の顔とも言える「ビームス」が、今の場所にできたのは48年前。新宿生まれ、新宿育ちの設楽洋ビームス社長はそもそもなぜ、原宿に目をつけたのか。(この記事は「WWDJAPAN」2024年4月22日号からの抜粋です)
あだ花から本物まで
あらゆるカルチャーが交差する街
設楽洋/ビームス社長
「1960年代までは、六本木のキャンティや新宿の風月堂などにおしゃれな人たちがたまっていて、カルチャーは夜の街から生まれていた。70年代に入り、ベトナム戦争が終わって学生運動も下火になると、政治色の強かった時代から急にスコーンと抜けた青い空に変わった。夜の文化から昼の文化になったわけだ。それまで新宿のジャズ喫茶でたばこを吹かしていた自分も、カリフォルニア・サウンドを聞くようになり、夜の世界にいた人たちは原宿の喫茶『レオン』に集まって、そういう人たちがスケートボードやサーフィンを始めた。新たな文化の風が原宿に吹いているのをなんとなく感じていた」。
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