PROFILE: 増田セバスチャン/アーティスト
原宿のカワイイカルチャーをけん引してきた増田セバスチャンさんは、2年前に拠点をニューヨークに移し、ここから世界に発信し続けている。24歳のときに原宿で「6%ドキドキ」を創業して以来、「自分の体は原宿でできている」と語ってきたセバスチャンさんは、「僕がずっと原宿でやってきたことが世界で通用するのか、カワイイはどこまで広げられるか。新しい挑戦がしたい」と考え、新天地を求めた。昨年6月にはソーホーに内装デザインを手掛けた寿司店「スシデリック」を開いたり、来月2日からはロサンゼルスで半年間にわたる大規模な展示会を開催したりするなど精力的に活動中だ。(この記事は「WWDJAPAN」2024年4月22日号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
原宿生まれの「カワイイ」は
今の時代に求められている
増田セバスチャン/アーティスト
原宿から離れたことが、改めて原宿について考える視座を与えた。「日本から見ればNYはキラキラしたイメージだったが、住んでみると全く違う。物価は高く、治安は悪いし、格差も激しい。みんな何だか疲れている。ファッションも意外に保守的だったりする。明るさ、自由さ、開放感という意味では、原宿は世界でも唯一無二の場所かもしれない」。
NYでセバスチャンさんのカラフルでポップな作品を鑑賞し、涙する女性がいた。「『カワイイは私の精神安定剤なの』とおっしゃる。おそらく自分の趣味や生き方を肯定してくれる作品だと思ってもらえたのかもしれない」。
セバスチャンさん自身も、原宿が自分を受け入れてくれたと回想する。
10代の頃に住んでいた千葉県松戸市で周囲の気質に馴染めず、週末のたびに原宿に足を伸ばした。歩行者天国では個性的なバンドがパフォーマンスを披露し、地元では見かけないような派手な服を着た若者がたくさん闊歩していた。「僕のように地元で居場所のなかった若者が全国から集まり、開放的な原宿でそれぞれの表現方法を爆発させた。多くの若者にとって原宿は『自分らしくいられる場所』だった。90年代の原宿のストリートファッションが世界から注目されたのは、(西洋が作った)洋服のルールに縛られない自由さがあったからだと思う」。
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