PROFILE: 藤原新/ムーンショット代表
2011年に東日本大震災の復興支援として発足した、大槌刺し子(旧:大槌復興刺し子プロジェクト)は存続の危機に陥っていた。岩手県で育まれた日本文化を守り、発展させるために動いたのが、メンズブランド「クオン(KUON)」の創業者で、ムーンショット(MOONSHOT)代表の藤原新だ。震災から13年が経ち、大槌刺し子はムーンショットと共同で新たな名前「サシコギャルズ(SASHIKO GALS)」を立ち上げ、復興支援のその先を目指す。4月30日まで実施するクラウドファンディングでは、早期に目標金額150万円を達成した。大槌刺し子が「クオン」を製作する過程を、経営者として見てきた藤原は法律に携わる一面を持ち、ソーシャルビジネスで起業し、ファッションの世界に飛び込んだ人物。そんな彼が命名したのが「サシコギャルズ」だ。伝統技術を継承し、復興支援を風化させないためにどうすべきか。プロジェクトの背景と展開について藤原に聞いた。
継続と継承の危機に陥る大槌刺し子
WWD:大槌刺し子を知ったきっかけは何ですか?
藤原新ムーンショット代表(以下、藤原):僕は2010年10月に大好きなファッションを基盤に、ソーシャルビジネスを起業するんですが、11年3月11日に東日本大震災が起きます。当初は違うアプローチを考えていましたが、震災が起きたので被災地で活動を始めます。最初は福島県南相馬市から始まり、宮城県の方に上がっていき、最終的に岩手県大槌町にたどり着き、そこで大槌刺し子と出合いました。
WWD:当時は被災地に行き、支援活動をしていたということですか?
藤原:僕はビジネスのみです。ですが、震災後という状況ですし、みなさんが今抱えている問題をどうやって解決しようというのが、ソーシャルビジネスですので、見方によっては支援活動かもしれません。だけど、ソーシャルビジネスは、長く続けていくことがとても大事です。ボランティアでは継続が難しくなってしまうので、支援をするけれども、活動がしっかり続くためには、ビジネスとして考える観点が必要だと考えていました。
WWD:今回クラウドファンディングを始めた経緯は?
藤原:大槌刺し子は、元々有志5人の方々が避難所で始めた取り組みでした。ただ、その方々がボランティアの方でしたので、当然長くは続けられません。そこで、NPO法人テラ・ルネッサンスが大槌刺し子の取り組みを引き継ぎます。けれど、彼らの活動のメインは海外での地雷の撤去や、貧困の人たちの生活支援でしたので、日本での活動だけにフォーカスをするのが難しくありました。また、NPOはビジネスを基盤にしているわけではないので、大槌刺し子だけをビジネスとして構築するのは難しい状況でした。
WWD:そのような状況で、なぜ当時の大槌刺し子は事業が継続できたのですか?
藤原:震災直後は次々と取材が来ていましたし、取材に来た方たちが大槌刺子を知ると、自然と広げてくれたんです。そうなると、多くの企業からたくさんの仕事が来ました。ただ、当然13年も経てば、当たり前ですけど、みんな忘れていきますよね。もちろん、このままではいけないと思い、オリジナルブランドをECで始めるなどしましたが、大槌刺し子のみなさんは、企画者というわけではありませんでしたし、売り上げは全盛期よりかなり減ってしまいました。今、大槌刺し子の仕事は、「クオン」の仕事の割合が多くなっています。それだけでは、大槌刺し子の事業自体が成り立たなくなってきて、加えてプロジェクトが始まってから13年経ち、職人の高齢化という課題も生まれてきました。
WWD:そこで、大槌刺し子のみなさんから具体的な相談があったのですか?
藤原:発注主側の「クオン」である僕は、大槌刺し子にはポテンシャルしかずっと感じていなかったんです。だけど、実際に話を詳しく聞くと、実は仕事量の減少や高齢化などで、「もう、このままだと大槌刺し子がなくなってしまうかもしれない」というご相談を受け、今までの発注主という立場ではなくて、同じ方向を向いて協業という形で一緒にやりましょうという話になりました。
WWD:その後、最初に考えたことは?
藤原:まず、下請けに頼らず大槌刺し子をブランド化することが一番大事だと考えました。そこで、事業として「サシコギャルズ」を立ち上げたんです。ただ、十分な資金があるわけではないので、クラウドファンディングで資金集めをしながら、「サシコギャルズ」の周知活動をしていきましょうというのが、今回クラウドファンディングを始めた経緯になります。
最初は信じてもらえなかったブランドネーム
WWD:「サシコギャルズ」のネーミングの由来は?
藤原:ギャルには賛否両論あるとは思いますが、僕は個人的にはギャルは人に対して壁を作らず、「いいものはいい」とストレートに言える子たちだと思っています。刺し子職人の40代から80代のおばあちゃんやお母さんたちが、事務所に集まってくるときは、みなさん、菓子袋を持ってくるんですよ。持ち寄って、ひと通りワイワイした後に無心になって刺し子をやります。その風景は、放課後やファミレスに集まって楽しんでいるギャルそのものだなと。この人たちのこのマインドは、間違いなくギャルだと思ったので、「サシコギャルズ」というネーミングにしました。
WWD:「サシコギャルズ」の名前を、職人のお母さんたちに初めて伝えたときの反応は?
藤原:実際に「サシコギャルズ」と伝えると、「ああ、いいね」と言ってくれたんですけど、そのときは信じてなかったみたいです(笑)。だけど、クラウドファンディングが始まる手前で、「NHK」をはじめとした取材が入ってきたときに、「サシコギャルズ」の由来を聞かれるんですよね。すると「藤原さん、本当のところ名前はなんですか?」と聞かれて、「いや、サシコギャルズだよ」と(笑)。そのときに、ネーミングの由来を伝えたら素敵だと共感してもらえ、そこからギャルの姿勢を、自分たちにオーバーラップして落とし込んでくれました。
WWD:当初設定の目標金額150万円は達成。実際に達成を知ったとき、職人たちの様子は?
藤原:「うわー!」と喜ぶ絵文字がきましたね(笑)。今までずっとOEMを中心にやっていたこともあり、「本当に支持してもらえるのか?」と、みんな不安を抱えていました。それが、実際にある程度早くクラウドファンディングの目標金額を達成したことは、すごく自信につながったと思います。
職人がブランドをメゾンにする
WWD:クラウドファンディングのリターンで、現在最も大きい支援額を集めているのがスニーカーの刺し子カスタムですが、このリターンを考案した背景は?
藤原:このプロジェクトは、大槌刺し子のビジネス化が大きな目的です。同時に、刺し子の文化をどう発展させるかということも、すごく大事なんです。「サシコギャルズ」は文化を守るというよりは、進化させる立場にいて欲しい人たちなので、従来の刺し子のイメージになかったものと考え、リターンでは今まで経験していなかったスニーカーやぬいぐるみの刺し子にトライしています。
WWD:スニーカーの刺し子カスタムを、本格的にビジネス展開する予定は?
藤原:今はクラウドファンディングで、「サシコギャルズ」の名前を広めることが大事だと思っています。今回のリターンは、どちらかというと技術を使ったサービスで、刺し子の可能性をまず伝えるためのものです。一方で、同時並行的にスポーツ、スニーカーブランドといった企業にも、お話をさせていただいています。クラウドファンディングのリターンは、あくまでお客さまのスニーカーをお預かりして刺し子をするというサービスですけれど、オフィシャルで刺し子スニーカーが出れば、やっぱりかっこいいですよね。
WWD:これまで継続してきた「クオン」と「サシコギャルズ」の今後は?
藤原:「クオン」はメゾンになりたいと思っています。デザイナーが変わろうが経営者が変わろうが、ブランドの核となる精神には職人がいるのではないでしょうか。「エルメス(HERMES)」しかり「シャネル(CHANEL)」しかりで、ブランドの価値を担保しているのは職人で、職人がブランドの価値を上げていると思っています。100年後も200年後も続いていくことが、僕らの理想の形。一人のカリスマデザイナーだけに立脚するのではなく、メゾンになりたいと思っているので、刺し子職人を僕ら「クオン」の中に入れたいんです。
WWD:「クオン」の中で職人たちが刺し子で自社のアイテムを製作しながら、外部にも刺し子をサービスとして提供していくイメージですか?
藤原:そうです。社内の事業に彼女たち職人がなっていくことが理想です。そこまで含めたビジネス展開という考えになります。今回の「サシコギャルズ」は率直に言えば「経営が厳しい、何とかしたい」という状況です。そして、僕たち「クオン」はメゾンになりたい。その思惑が一致しています。だから、「サシコギャルズ」を事業化した上で、彼女たちに「クオン」の職人になって欲しいと考えています。
ビジネスが復興支援を風化させない
WWD:復興支援を一時的なものにせず、継続していくために必要なことは?
藤原:ビジネスになっていくのが一番いいです。人が欲しい、人が必要としているのが、「モノなのか、コトなのか」という点を考えてちゃんと作り出すことが、すごく大事です。一方で、寄り添うことも非常に大事です。みなさん何かしら心に傷を抱えていることが多いので、寄り添いながら、それでいて、フェアでいることが大切です。東日本大震災のときもそうだったんですが、「支援慣れ」というのがあります。僕も南相馬から入って、その後、宮城の南三陸町へ移ったのですが、そこで帽子工場のリブランディングをお願いされたことがありました。
WWD:その取り組みはどのような結果に?
藤原:うまくいかなかったんです。なぜかと言うと、「藤原さんが全部やってくれる」となってしまったんです。それは、やっぱり無理なんですよね。工場のみなさん自身でやらなくてはいけないことはたくさんあって、だけど「藤原さんがいろいろやってくれるから」となってしまうと、そこはフェアではなくなってしまいます。だから常に寄り添いながらも、フェアであることはすごく大事だと思います。
WWD:職人の高齢化など、伝統技術には継承の課題があります。
藤原:時間の経過と町の過疎化による担い手の減少が起きています。おそらく、継承者の減少は、どの伝統技術においても直面していることですよね。日本の伝統技術としてうまくいっているのは、児島のデニムぐらいでは。あとは鯖江の眼鏡もうまくいっていますよね。
WWD:継承の課題を解決するためには?
藤原:「サシコギャルズ」のクラウドファンディングを始めると、近隣の教育現場から「授業でやりたい」というオファーをいただきました。東京にどうしても憧れる面はあると思いますが、自分たちの地場にこんなに素晴らしい技術があって、それが世界でも非常に評価されていることを、もっと知ってほしいです。今年から取り組みがはじまる予定なのです。授業で習った子たちが、そのまま「サシコギャルズ」に就職してくれたら、うれしいですね。
WWD:授業で学んだ学生が、サシコギャルズに就職することの利点とは?
藤原:もし、それが実現すれば町ぐるみで取り組めるんです。デニムの児島や眼鏡の鯖江が強いのは、行政も含めて町としてやっているからです。「一つの工房から町ぐるみで」という発展ができれば、伝統技術の継承という課題の解決に近づくのではないでしょうか。そしてその文化を、ちゃんと町の人たちが理解する。児島の人たちや鯖江の人たちは自分たちのよさを、わかっていると思うんですよね。自分たちの文化のよさを知ることは、すごく大事です。
WWD:今回のクラウドファンディングを経て、新しい展開が生まれそうですか?
藤原:先ほどお話した教育現場からのオファーもそうですし、百貨店さんから長期的なプランでのお取り組みというお話はいただいてまして、単純に何かモノを作って売るというよりは、いろんな人たちと可能性を探りながら進行していきたいです。
WWD:これからの「サシコギャルズ」の目標を教えてください。
藤原:「サシコギャルズ」が目指していることは、三つあります。一つは「刺し子の可能性を広げること」、二つめは「復興のその先を示すこと」です。復興支援事業から始まったものが、時間の経過とともに風化して失われていくことがすごく多いです。だけど、復興支援事業の中には、素晴らしい取り組みもあったはずなんですよ。でも、続かないことがほとんどでした。大槌刺し子は復興から始まったものですが、それが復興とは関係なくちゃんと続いて、ビジネスとして拡大していくところを見せることができればと思っています。
WWD:最後の三つめは?
藤原:地方創生です。大槌町だけじゃなくて、日本各地でどんどん過疎化が進んでいます。過疎化の原因は、そこに産業がないことで、それが一番の問題だと思っています。過疎化が進む町に産業を起こすことで、過疎化解決の糸口に少しでも繋がればと考えています。