ファッション

「コンバース トウキョウ」には物語性がある【メルローズと私vol.3 集英社インターナショナル顧問・日高麻子さん】

メルローズは「マルティニーク(MARTINIQUE)」「ピンクハウス(PINK HOUSE)」など個性的なブランドを運営し、昨年50周年の節目を迎えた。同社と関わりの深い人たちによる連載「メルローズと私」の第3回のゲストは、集英社で「メンズノンノ(MEN'S NON-NO)」「ウオモ(UOMO)」といったメンズファッション誌の編集長を歴任してきた日高麻子さん。東京・青山の「コンバース トウキョウ(CONVERSE TOKYO)」1号店で話を聞いた。

編集者としての出発点のブランド

1980年に集英社に入社し、学生の頃から憧れていた女性誌「モア」の編集部に配属されました。77年創刊の「モア」は「女性の自立」をうたい、巻頭インタビューに仏作家フランソワーズ・サガンが登場するような先進的な雑誌でした。まだ右も左も分からず先輩に付いて回っていたとき、大きな特集が持ち上がります。タイトルは「’81東京コレクションから女性の服と生き方を学ぶ」。ブランドの女性スタッフにコレクションで発表した服を着てもらい、お話を聞く。その見開きページを私が担当することになったのです。緊張しながら取材したのは「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」「ワイズ(Y'S)」「ピンクハウス」「ビギ」の4ブランドでした。ファッションエディターとしての私の出発点です。

その後も当時の「メルローズ」の横森美奈子さん、「ビギ」の神戸真知子さん、「チューブ」の斎藤久夫さん、「インスパイア」の武内一志さん(後のメルローズ社長、現ビギグループホールディングス社長)といった方々との仕事を通じ、多くを学ばせてもらいました。メルローズの皆さんは新しいことに挑戦し、着る人をワクワクさせたいという姿勢が現在に至るまで一貫しています。ファッションへの愛情が深いのでしょう。

2015年に始まった「コンバース トウキョウ」は、まず着眼点が素晴らしい。

店舗作りでまず大切なのは、お客さんに「ここは私のための店なんだ」と思わせることです。その点、日本人にとって「コンバース」のスニーカーは特別で、思い入れが強い。いわゆるスポーツウエアとは全く違うファッションブランドとして成立させた手腕はさすがだと思いました。初期の頃のスタイリスト・野口強さんやデザイナー・落合宏理さんとのコラボレーションも、ブランドとの親和性が高く、「なるほど!」とうなりました。「コンバース」へのリスペクトと、芯のあるストーリーが感じられるのです。

雑誌作りと共鳴してくれた

メルローズやビギは、西洋で生まれた洋服を日本人に似合うものに変えていった企業の代表格です。西洋の美意識とは異なる日本独自のスタイルを築いた先駆けといえるでしょう。

1970年代から2000年代前半は雑誌の時代でした。雑誌を通じて全国津々浦々に流行が発信される。服に興味がなかった高校生の男の子が、誌面を見て「こんな服を着てみたい」とおこづかいを貯めて、ちょっと背伸びした服に袖を通す。オシャレに目覚め、成功と失敗を重ねて、感性を研ぎ澄ませていく。長らく「メンズノンノ」では、そんな読者をイメージして誌面を作ってきました。メルローズの服は、私たちの雑誌作りと共鳴してくれたのです。日本のファッションを底上げした功績は偉大です。あの時代があったからこそ、やがてさまざまな文化を吸収した日本のブランドやデザイナーたちが世界のトレンドをも動かすようになったのだと思っています。

問い合わせ先
メルローズ
03-3464-3310(代表)