PROFILE: 石井玄/ラジオディレクター・プロデューサー
「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」など数々の人気ラジオ番組にディレクターとして携わり、「オールナイトニッポン」全体のチーフディレクターを務めた石井玄。近年では「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館」や「あの夜を覚えてる」のプロデュース、そして2月18日に行われたラジオイベント「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」では製作総指揮を務めるなど活動の幅を広げている。
「今後さらなる自身の成長ために」と、今年3月にニッポン放送を退社し、新たに株式会社玄石を設立した。今回、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」から独立に至る思いや仕事に対するこだわり、そして気になる今後について話を聞いた。
「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」について
——石井さんの最近のお仕事といえば、「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のお話になるかと思います。“製作総指揮”という肩書きでしたが、実際にはどんなことをされていたんでしょうか?
石井玄(以下、石井):最初は「番組の15周年で何かやろう」と勝手に1人で考えたところから始まっています。だから、製作総指揮なんでしょうね、たぶん(笑)。言い出しっぺみたいな。僕の中で意味合いはそう捉えているんですけど。「具体的に何をやったんですか?」と言われると、全部やったからわからないんです。映画やテレビの世界にも製作総指揮という立場はあるんですけど、そういうことじゃなく、本当に“製作を総指揮した”という(笑)。
——最初から東京ドームでイベントをやることにリアリティーはありました?
石井:いや、ないです。みんなイメージだけで言っていました。「東京ドームでやりたい」って。でも、具体的にどうやるのかを想像して、実行に移した人間がラジオ業界で僕が初めてだったという。誰もやったことがないことをやるんだから、当然大変です。誰に聞いても答えはわからないし、みんなで悩みながら、あまたある選択肢の中から「これが正解なんじゃない?」って選んでいく作業でした。
——石井さんご自身が「東京ドームでやりたい」と思ったのはなぜなんですか?
石井:なんとなくイメージ先行で「東京ドームじゃないか?」ってなったんです。10周年のイベントをやった日本武道館より大きい会場っていっぱいあるんですけど、わかりやすいイメージとして、「武道館の次は東京ドーム」という“大きな間違い”をみんな最初にしていたのがよくなかったんでしょう(苦笑)。本当に何も知らなかったからできたんだと思います。でも、お笑いを、ラジオを、東京ドームでやるのは相当なインパクトになるだろうなと想像していました。リスナーに喜んでもらう。オードリーさんが楽しくやる。もちろん利益を出す。それらも目的だったんですけど、「ラジオってこんなにすごいんだよ」と見せるのもあったし、下を向いているラジオマンたちに「こういうこともできるんだ」って示したかったのはあります。この春にニッポン放送を辞めてから、いろいろなラジオ関係者とお会いして、みんな口々に「本当にすごかった」と言ってくれたんですけど、ポツポツと「悔しかった」「でも勇気をもらった」と言う人もいて。それがうれしかったですね。
——特に若い世代には大きな刺激になったんじゃないかと思います。
石井:各局の人たちと話していても「何かできるんじゃないか」って話になるし、キー局だけじゃなく、全国のラジオマンが「ラジオって捨てたもんじゃないな」と思ってくれたのは、自分でも目指していたところなのでよかったです。
——石井さんは他ジャンルの人やいろんな業界にいるリスナーとつながりながら仕事をしている印象があります。今回のドームでもテレビ界のスタッフさんと一緒に仕事をされていましたが、そこは意識されている部分なんですか?
石井:ラジオしかやってない人と話していると、とんでもなく狭い視野で喋っている場合が多いんです。なぜかラジオの中で競ったりするじゃないですか。これだけエンタメが世の中にあるのに、そんなこと意味がなくて、世界はどれだけ広いんだと。この時代、トップクリエイターはラジオ業界に来ないわけですから、当然、外のトップの人たちと仕事をしないと良いものは作れない。僕は至極当然のことをやっているだけで、それを珍しいと考えるのがよくないなって思っています。この前、TaiTanとも話をしていたんですけど、ラジオの人ってすぐラジオの話をするんですよ。ラジオの話はもういいよっていう。
——そもそも石井さんはラジオが好きで、ラジオ界をどうにかしたいと考えていたわけじゃないですか。でも、一見ラジオ界から離れているようにも見えるんですが。
石井:いや、全然話が違っていて、ラジオをどうにかしたいのに、ラジオの話をしてもしょうがないんです。長い歴史があるから、ノウハウも限界まで行っているし、どこにも新しいヒントは残ってないです。他のエンターテインメントから見ると、どれだけラジオは狭いところを狙ってやっているんだと憤(いきどお)りはあります。みんなもっと外の人と喋ったらいいのにと思っています。僕はこの3年半ぐらい「ラジオの人とはご飯に行かない」ってルールにしていたんで(笑)。他ジャンルの人と喋った方がヒントをくれるというのは絶対にあります。
「今後成長するためにはラジオ局にいてはいけない」
——石井さんはこの春、ニッポン放送を退社して独立されました。そういう感覚も独立したことに影響しているんでしょうか?
石井:あると思います。言葉を選ばず言うと、ラジオ局でこれ以上勉強することはないって思います。「僕が今後成長するためには狭い世界にいてはいけない」というのは辞めた理由の1つです。現状、東京ドームライブはラジオ局の中でできる最大規模のことなんです。もっと大きいことを後輩たちがやるかもしれないし、それは絶対やった方がいいと思うんですけど、それが実現するまで10年ぐらいかかるなら、外に出ちゃった方がいいなって。独立してからすごく感じるんですけど、いろんなジャンルの人たちと喋ってみて、僕自身、本当に知らないことだらけというか(笑)。偉そうに「外と喋れよ」なんて言っていても、僕も知識ゼロだなって。それが今は楽しいですね。イチからというか、ゼロから勉強が始まっているんで、このために辞めたんだなっていうことに気付きました。
——石井さんは制作会社でラジオのディレクターをやられていて、そこからニッポン放送に入社し、イベント関連のプロデューサーを担当されていました。そして、今度は独立。仕事の中身や状況を常に変えていくのは、正直、飽きっぽいところもあるんでしょうか?
石井:あると思います。何でものめり込んでやってしまうので、あとから振り返ると「もう1回やるのは大変だな」と思うし、同じことが何回もできないんですね。ここ数年でそれに気付きました。
——でも、ラジオ番組の制作ってある意味、毎週放送を繰り返していくものじゃないですか。
石井:番組の中で話していることは毎回違うじゃないですか。置かれた位置とか、喋る内容とかはちょっとずつ変わっていくので、それはいいと思うんですけど、僕自身の作業が同じになってくると飽きちゃうというか、攻略できちゃった感じになるんです。ゲームが好きなんですけど、クリアしたらもうやらないじゃないですか。偉そうなことを言ったらたたかれるかもしれないですけど(笑)、ラジオの作り方は大体わかったんです。「オールナイトニッポン」の作り方もわかりました。こうやればうまくいくというメソッドができあがりました。
もちろんもっと続けていけばさらに新しいことはできると思うんですけど、いったん愚直に繰り返す時期を過ぎたら、飽きちゃって辞めようって思ったんです。イベントもそうなんですけど、一度作り方がわかってきちゃうと、もう刺激を感じないですね。東京ドームは全然わからなかったんで、メチャクチャ面白かったです。
——ゲームで言うと、やり込み要素まで一気に全部やってしまうと。
石井:そういうタイプなんです。レベルもカンストして、アイテムも全部集めちゃっているから、違うゲームをやりたいと。もちろん厳密にはカンストしていないかもしれないですけど、現状できる部分ではカンストしたんで。そのままずっと同じゲームをやる人もいるじゃないですか。僕はそれができないんです。明確なクリアがないから、オンラインゲームは、まったくできないんですよ(笑)。
——仕事を変化させていくことに不安や戸惑いはないんですか?
石井:まったくないですね。今回、辞めるにあたって、先のことは何も決めてないんですよ。会社を作ってみよう。ポッドキャストの仕事はとりあえずあるから、最低限の生活はできるだろう。これでスタートするのが一番ワクワクするなって。だから、装備ゼロでゲームの世界に出ていく感じですよ。
——そうしないと興奮しないと。
石井:それは絶対にあると思います。ちょっとヤバいかもしれないですね。東京ドームでも当日はあまり興奮しなかったんです。それよりも、武道館ライブのときや「あの夜を覚えてる」(石井がプロデューサーを務めた生配信舞台演劇ドラマ)の方が血湧き肉躍る感覚があって。もちろんドームはすごいことだと思ったし、リスナーの姿を見てうれしかったし、感動したし、充実感はあったんですけど、優秀なスタッフがいてしっかり準備していたので、途中から成功は見えていて。こんなことを言ったら怒られるんですけど、もうちょっと不安要素を持ったままやればよかったなと思ったりしていました。「もっとトラブルがあったら面白いのに」と思っている時点で、そんな奴が製作総指揮じゃダメだろうと(笑)。
——このまま突き進んだら、どこまで行っちゃうんだろうって話ですね(笑)。
石井:だから、1回フラットにしなきゃいけないんです。会社を作るにあたっても、辞める前に全部決まっていたら僕はダメなんです。辞めたらすぐにYouTubeチャンネルが始まって、あれよあれよと配信系の大型企画の仕事が決まって大当たりして……みたいな動きはまったくしてなくて。テレビ局員の方が会社を辞めるときって「できない仕事があったから」という理由が多いんですけど、僕は特にそれがなくて、ほとんど何でもやれていました。それよりも、「何も決まらないまま辞めたらどうなっちゃうんだろう」という期待感が一番強かったです。
ただ、辞めてから3週間(取材時)ぐらい経ったんですけど、結構順調に仕事の依頼が来ちゃったので、それに関してはちょっともう飽きちゃっていますね(笑)。ありがたいんですけど、もうちょっと、どうなるかわかんないって時期が欲しかったなと。
「組織にいることが本当に向いてない」
——ポッドキャスト(「滔々あの夜咄」)でも仰っていましたけど、会社員は向いてなかったと?
石井:組織にいることは本当に向いてないと思います。一般的にどんな会社でも、結局、最後は上層部が物事を決めますよね。「なんで自分が決められないんだろう」と思うタイプなので。本当に自分が正しいかどうかはわからないですけど、仮説を立てて、長い時間かけて考えて導き出した答えが、明確な理由なく通らないことがあるじゃないですか。僕は「先輩が言うんだから間違いないだろう」と単純に考えたことがないですし、信用している人でさえも言っていることを鵜呑みにはしないです。上下ではなく、正しいことに決定権があるべきだと思っていますし。それは向いてないでしょう(笑)。ただ、会社とはそういう組織であるから、僕が間違ってますし、いなくなるべきは僕の方だなと気付きました。適応できないのは能力が低いからですし。
——仕事を始めたころからそういうスタンスだったんですか?
石井:最初から言うことは聞かなかったと思います。もちろん正しいことを言われたら聞きます。結果、生意気だと言われたし、言うこと聞かないって言われたし、怒られてばっかりでした。特に若いころはそういう感情を隠そうとしなかったですね。さすがに今はうまく隠せる場面もありました。そこは少し適応できたと思います(笑)。
——自分なりの折り合いのつけ方はあるんですか?
石井:ないです。僕は「言うだけ言いますよ」というスタンスだったので、発言はしていました。「間違っているけどな」と思いながら従わざるを得ないところは、どんな会社でも絶対ありますよね。ゼロにはできない。偉い人でも自分の本意じゃないこともあるかもしれないですしね。
——そこはどんな会社にいてもぶつかる問題点かもしれませんね。
石井:理由があって通らないならいいんですけど、よくわからない話だったら、「なんでなんだろう?」と疑問に思っちゃうんで。学生のころからそうですね。学校のルールなんて、学校側の都合で作られた守る必要のないルールもあるじゃないですか。その度に反発してました。
——もし若い人たちに「石井さんのようにどんどんもの申した方がいいですか?」と相談されたら、どうしますか?
石井:僕に責任は取れないけど、言いたかったら言ったらいいんじゃないですかね。そうなると社内で圧倒的な結果を出すしかないんです。結果を出したら、みんな話を聞いてくれますから。でも、それはそれで嫌なんですよね。結果を出したらその人の意見に耳を傾けるんじゃなく、新入社員でも建設的な意見を出す人がいたら、聞くべきです。だから、僕が作っているチームでは誰でも自由に発言してもらって、良かったら採用するようにして、なるべく「この人が言ったから」みたいなことはないように心がけていました。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が重要です。
——立場は関係ないと。
石井:東京ドームライブを一緒に作ったあるスタッフさんに言われたんですけど、人数が多い会議でいろんな意見が出た際に、「石井さんはいろんなタイプの人間が悩んだりもめているとき、一番冷静に都度正解を出し続けるのが異常だ」って言われて、ああ、そこが僕の特徴かなと思いました。以前は、僕が「じゃあ、こうしましょう」と言った時に「なんでそうなった?」とメンバーがついて来られない時があったんです。東京ドームの会議ではテレビ業界の優秀なディレクターさんたちと仕事をしましたけど、みんな話が通じるのでやりやすかったですね。しかも、僕よりも建設的な意見を出してくれる先輩方でしたから、まだまだ経験値が足りないなと思えたのは、うれしかったですね。
——仕事で失敗したときは落ち込むんですか?
石井:落ち込まないですね。失敗したら、「まあ、そうか。あれがダメだったんだ。今後気をつけよう」っていう。信じて疑わないみたいなことがあまりないんで、どこかで「失敗するかもしれない」と思いながらやっていますから。だから、気付かなかった自分がよくないなと思うぐらいですね。
——人のミスに対しても感情的にはならない?
石井:だから、逆に言うと冷たいです(笑)。余裕があれば話したり、注意したりしますけど、余裕がない時はミスの原因に触れず、その先にどうするかをまず話します。「こうやったら最小限に被害を抑えられるから、そうしてください」って。ミスをした本人は落ち込んでいると思うんですけど、僕は「関係ないんで。次いきましょう」っていう。事前に話していたことをやらないでミスしたら怒りますけど、だいたいそういうときって、僕も含めて誰も気付かなくて、どうしようもない場合が多いですから、誰の責任でもないです。
——東京ドームでは製作総指揮としてたくさんの会議に参加していたそうですね。2023年はドームと同時に複数のイベントに関わっていたそうですが、マルチタスクはどんな風にこなしていますか?
石井:よく聞かれるんですけど、ゲームのRPGが一番特訓になっているかもしれないですね(笑)。今のRPGっていわゆる本筋のほかに無数のサブクエストがあるじゃないですか。あれをやるとマルチタスクができるようになります。サブクエストを一気に受けておくんです。それで、本筋を進めつつ、サブクエストもあるから、「ここでレベル上げをしながら、1回前の町に戻ったら最短距離になる」なんて考えるんです。僕はとにかく効率的にサブクエストをこなそうとするんで。横で見ている妻に「そんなにサブクエストをやらなくてもいいんじゃない? 早く本筋を進めるところが見たい」ってよく言われるんですけど(苦笑)。こういうゲームの進め方と仕事も一緒ですね。
——今はインプットの重要性がよく話題になりますが、石井さんはどんな風に意識されていますか?
石井:僕は3年前からいわゆるインプットをしないと決めていて。見たいものを見るというスタンスですね。送られてきた本も読みたいと思わなきゃ読まないですし、「あの映画は話題になっているから見に行かなきゃ」という感覚では行かないという。それはテレビもラジオも同じです。インプットと思った時点で仕事になるじゃないですか。だから、やめたんですよ。基礎知識として何でもかんでも見る時期はあったんですけど。最近いろんな人と会って話をするのがインプットになっているなと感じているんですけど、だからこそ「人とご飯を食うのはちょっと嫌だな」って思い始めています(笑)。好きな人とは行きたいです。
——石井さんが仕事をする上で「これだけは大切にしている」ことは何ですか?
石井:「手を抜かないこと」でしょうか。座組が大きくなると、やっぱりトップの人間が一番やらないとみんなもやらないので、自然とそうなってます。手を抜かないし、諦めない。「これはもう無理です」と言われても、こねくり回してなんとかするという。
——妥協はしない?
石井:「妥協」という言葉が正しいかどうかわかりません。残された選択肢の中でどれが一番クオリティーが上がるかを考えたときに、「これはむしろ諦めた方がいいよね」と判断するのは妥協と呼ぶかわからないじゃないですか。ただ、最適解がはっきりしているのに、「よくわからない人がよくわからないことを言ってるからダメ」みたいなことは絶対に許さないです。それで諦めたら「妥協」なんでしょうけど、僕はそれを通すので、妥協はしていない感覚ではいます。
独立後について
——今後、具体的にやりたいことってイメージしていますか?
石井:何もなくて辞めたんですけど、ようやく最近見えてきて、ああこれが僕のやることかなと思った出来事があったんです。山梨放送の服部廉太郎さんという25歳のアナウンサーがキッカケで。会社のHPの問い合わせフォームから連絡が来たんですけど、「山梨放送が70周年だからイベントをやるんです。それを盛り上げたいんですけど、一緒にやってくれませんか? お金はないので、僕の給料から少し出します」みたいに書いてあったんで、「これは!!!」と思って。そういう方向で打ち合わせをして、この前は希望された山梨放送の社員の方を対象にセミナーをしました。他にも、関東のキー局の方ともいろいろと話をしていて、できることはたくさんあるし、各局に僕より上の年齢でも面白い人はいるし、やる気がある人もいるし、この人たちと仕事をすれば、ラジオを盛り上げられるんじゃないかと思いました。「こういうことができるのは自分しかいないんじゃないか」と。あとはTBSラジオの松重(暢洋)君ですよ。
——民放onlineのコラムで、オードリーの東京ドームイベントに「最後の絶望」と称してライバル心と悔しさをあらわにし、話題になりました。
石井:彼とご飯を食べたんですけど、「TBSラジオを盛り上げたいんです」という気持ちを聞いて、じゃあ、何かやろうと。何にも決まってないんですけど、今もずっとLINEのやりとりはしてます。彼のような若い世代に僕がやってきたことを伝えて、何か新しいものを作る手助けをするのが、自分の役割だなと。会社名を「玄石」(※磁石の意味)にしたことからもわかる通り、さまざまな人と人をくっつけるのが役割だと思うので。いろいろな人と会い続けて喋っていると面白くて、「こういうことをやりたいんですよ」と言われたときに「じゃあ、この間、会ったあの人とやったらいいんじゃないですか?」ってすぐ提案できるんです。ラジオ局同士でもそういう化学反応が起きたらいいなと思います。あとは、若い世代がやりたいことを、上の世代の方は邪魔しないであげてほしいですね。
——最近、石井さんが関わってきたお仕事って、ラジオと関係はあるけれど、現実的にはラジオではないじゃないですか。ラジオからはみ出したいみたいな気持ちはあるんですか?
石井:はみ出したいって気持ちはないですが、ラジオ以外にもある面白いことをやりたいという気持ちはあります。でも、ラジオはずっと好きだから、なくなったら悲しいじゃないですか。ただ、「ラジオ業界」なんて言うけど、実際はそんなものないんですよ。そもそもそんな括りはないし、そこにこだわりは全くなくて。
——2021年に発売された石井さんの著書「アフタートーク」(KADOKAWA )には「ぼくがラジオに救われたように、ラジオが未来永劫続いて、まだ見ぬ未来のリスナーを救って欲しい。それが、僕が生きている理由で、今まで仕事をしてきた理由で、これからも仕事をする理由です」という印象的な言葉が書かれています。当時と立場や状況も違いますが、この気持ちは変わらないですか?
石井:そうですね。今もその気持ちはあると思います。今、仕事のオファーをしてくれるのって、僕の作った番組を聴いたりとか、僕の関わったイベントに参加したりとか、そういう人が多いんです。特に「アフタートーク」を読んでいる人と「滔々あの夜咄」(石井がパーソナリティを務めていたポッドキャスト)を聴いていた人がほとんど。そういう人たちに対して何かしてあげたいという気持ちが、どちらかというと今は強いかもしれないです。その人たちはラジオが好きで、なにかやりたいと。僕を入り口の1つにして好きになってくれているので、そういう人たちと一緒にやっていったら面白いだろうなって。ラジオだけじゃなく、音声コンテンツやポッドキャストを含めた全体が凝り固まっているので、一度かき混ぜて大きなうねりを作りたいなと(笑)。
——今回のインタビューをするにあたって、石井さんのことを改めて調べたんですが、本当にたくさんの媒体で取材を受けていますよね。「アフタートーク」も含めてですが、ここまで発信をしているラジオのスタッフはほとんどいないので、業界を目指す人たちの指針になっているんじゃないかと。それは素晴らしいことだと思います。
石井:松重君が言っていましたよ。「石井さんは全部を刈り取ってしまった。どうしてくれるんですか?」って(笑)。でも、取材を受けるのも若いラジオマンに対してのメッセージなんです。申し訳ないけど、過去を見てる人たちは相手にしてなくて。やっぱり僕は未来にベットしたい。彼らががんばらないとラジオが終わってしまうから。もう僕の世代も役割が終わったと思っています。ここからいくらがんばったって、あと5年10年経ったら僕なんて何の役にも立たないです。今、20代から30代前半のラジオマンがどうがんばるのか。それを手助けしたいなって思います。あと、制作会社を辞めてニッポン放送に入ったのも、今回独立したのも、「こういう道があるよ」というメッセージでもあるんです。制作会社でもがんばっていれば局員になれる。まだどれだけ面白いものが作れるかわからないけれど、独立もできると。そういう道筋があるなら、ラジオのスタッフを目指す人も増えるだろうなって。
——そして、松重さんのように影響を受けた人たちが出てきていると。
石井:山梨放送の方と話していて、グッズやポッドキャストの重要性を説明しても「僕らじゃそういうのってできないんですよね」って言うんですよ。若いスタッフじゃなく、僕よりも年上の方たちですけど。やってないんだったら、できるかできないかなんてまだわからないじゃないですか。「座して死を待つつもりですか?」という。これは原文そのままで言いました。かつてニッポン放送や制作会社でも言ったんですけど。
「このままあなたたちは死んでも逃げ切れるからいいけど、僕らや下の世代は死にたくないから、やらないといけないんです」というのはずっと思っていることです。「逃げ切ろう」としてる人の相手をしてる場合じゃない。だから、僕は外に出ないといけないって思いました。これを読んだラジオに関わる人たちが、奮い立ったり、怒りを感じたり、嫉妬したり、悲しくなったり、何でもよいので感情が出てきて、なにか行動を起こしてくれることを期待してます。その時に協力できることがあれば、何でもやりたいです。いろいろと言いましたが、ラジオとポッドキャストを盛り上げるためにガンガンいくので、「皆さんご協力を何卒よろしくお願いいたします」って結論ですね。
PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)