PROFILE: 千葉雅也/哲学者
「センスが良い」「悪い」とはどういったことなのか。そもそも「センス」とは何か。そして「センス」は高められるのか——そうした問いに応えてくれるのが哲学者の千葉雅也による書籍「センスの哲学」(文藝春秋)だ。
本書は、音楽、絵画、小説、映画など、芸術的ジャンルを横断しながら、さまざまな側面から「センス」について考える芸術の入門書だ。なぜ哲学者である千葉が「センス」に関する本を出版したのか。その経緯から本書に込めた思いを聞いた。
「センスの哲学」執筆の経緯
WWD:哲学者である千葉さんがなぜ「センス」についての本を出そうと思ったんですか?
千葉雅也(以下、千葉):結果的に哲学を専門とすることになりましたが、もともとは美術に興味があったんです。両親が2人とも美術系の学校を出ていたこともあり、小さい頃から、絵を描いたり、工作をしたりと、美術的な遊びをすることが多かった。ピアノも弾いていて、音楽的な遊びもしていたんですが、自分にとっては美術がメインでした。一時期は美大に行きたいという気持ちもありました。ですが、高校生のときに、批評を書き始めて、言語の方に関心が移っていきました。大学でも入学してしばらくは美術制作もしていて、美術の批評も書いたりもしていたんですけど、3年生頃からもっと理論を勉強しなければいけないと思い、制作も批評もやめて、哲学の勉強に専念するようになりました。
その後、転機になったのは、2008年に造形作家・批評家の岡﨑乾二郎さんが主催するシンポジウム「批評の現在」に参加したことです。そこから再び批評的な文章も書くようになりました。
そこから10年以上がたち、関西に移って何冊も本を書いてきて、美術や音楽、文学といった狭義の芸術だけでなく、生活全般あるいはコミュニケーションのあり方など、そういうことまで含めての広い芸術論を自分なりにまとめてもいいんじゃないかと思った次第です。
WWD:本書の最初では「センス」を「直観的に分かること=直観的で総合的な判断力」と定義されていました。
千葉:そうですね。何かものの良し悪しを、「ぱっ」と判断できるっていうのが、広く「センス」と言われているんだと思うんですよね。「あの人は絵が分かる」「音楽が分かる」「料理が分かる」など、いろいろなことについて言われるわけです。その「直観的に分かる」ということは、知性のあり方として古代からの伝統的なテーマではあるんです。そういう伝統を踏まえた上で、より現代的な芸術の問題に近いところでの「センス」について考えました。
WWD:そして「センス」は生まれもったものではなく、磨くことができると?
千葉:「センスが良い、悪い」は生まれつきの能力のように言われることが多いと思うんですが、この本では、必ずしもそうではないと説明しています。
多くの人は、何かを鑑賞するときに、「この作品にはこういう意味があって、何のために作られたのか、何を伝えたいのか」と説明できることが必要だと考えるようです。ですが、それよりも、もっと即物的にどういう配置で絵が描かれているのか、 色のバランス、音の対比、面積のコントラストなどはどうなっているのか、そういう組み立ての面白さを判断するということが、「センス」につながる。それは、ある程度勉強し、練習すれば、理解できるようになると思います。
美術やファッションの教育現場ではそういうことを教えていると思いますが、一般には、そういう即物的にものを見るということ、それはフォーマリズム(形式主義)※といいますが、 そういうことに慣れてない人が多いようです。皆さんやっぱり意味が分かんないとダメなんじゃないのかと思ってしまうんですよね。
※「フォーマリズム」は、芸術を語る上で重要なものは「形」であると考える芸術理論。フォーマリズムは作品にある抽象的で構成的な特質に注目する。「抽象的で構成的な特質」とは具体的に、線、形、色などの要素。
ですから、僕はそんなに目新しいこと言っているつもりはなくて、本書を通して、鑑賞者と作り手とがつながるようなものの見方を広く伝えたいと思っています。
WWD:この本は一般の人に向けて書かれたんですね。
千葉:そうですね。大きく芸術と生活をつなげることを目的にしています。ただ、研究として独特のことも書いていて、論文何本分もの内容が詰まってはいるので、専門的に研究している人でも楽しめると思います。
「センス」をリズムから捉える
WWD:その中で、本書では「センス」をリズムから捉えるっていうのが新鮮でした。
千葉:ものの構造をリズムで捉えるような批評はこれまでもありました。ただ、音楽、絵画、小説、映画、生活に至るまで、ここまで横断的にあらゆるジャンルのものをつないで、具体的に論ずるものは他にあまりないと思いますね。特に本書の表紙の話で、餃子とロバート・ラウシェンバーグの抽象絵画をつないで論じるというのが象徴的だと思います。
WWD:意味や目的から離れて、即物的にものを観ることの面白さを語っていますが、例えば、「あの人が描いているから、これは評価されている」みたいに、コンテクストを踏まえた上でセンスがいいと判断されることもあるのかなと思いますが。
千葉:本書の第4章では、「センス:ものごとをリズムとして『脱意味的』に楽しむことができる」と説明しています。どういう人が褒めているか、誰が否定しているかという評価のコンテクストも、一種のリズムの問題として捉えられると思います。
ファッションの場合だと、例えば、ラグジュアリーストリートでは、ストリートの文脈に対してハイファッション的なアイテムをコーディネートしたときに、ぶつかって面白くなるわけで、それも凸凹のリズムのバランスだと言える。ストリート的なものと、そこから離れたものを組み合わせたらかっこいいというのが定番化すると、今度はそれに対する逆張りで、よりフォーマルな方に落ち着くといった流れも考えられますが、それもリズムの話になってくるわけです。
WWD:一般的にセンスを磨くというとインプットの量と質が大事だと言われますが、千葉さんはどう思いますか?
千葉:まずインプットの量が必要なのはそうでしょう。経験的な勘ですが、インプットの量の閾値があると思っていて、それを超えると理解力が高まって、作れるようになったりする。でも、ずっと大量にインプットし続けなければいけないとは思わないです。インプットがかえって邪魔になることもある。ただ、若いうちに勉強(インプット)しておいた方がいいとは思います。
ファッションへの期待
WWD:3年ほど前のインタビューで、あまりファッションに興味がなくなっていると話されていましたが、今はどうですか?
千葉:当時は、コロナ禍もあって、ファッションにも閉塞感があり、飽和していると思っていました。でも、今はアジアのファッションも面白くなってきていて、また動向を追ってみようかなと思い始めています。
WWD:先日公開された千葉さんの「note」でのファッション論では、面白いファッション、スタイルを考えていきたい、と書かれていました。
千葉:そこでの「面白い」というのは、コンテクストにしても、形態にしても、複合的な意味での凸凹をいかに組み立てるかですね。僕のベースは90年代以降のファッションで、ハイなものとローなものといった、対立するものの混在に関心がある。それは変わっていないですね。言い換えると、二項対立の脱構築が問われるようなファッション。
ただ、ハイとローのコンテクストの衝突にしても、現在ではより難しくなっている感じがします。文脈を衝突させるというのは、ある種のアイロニーであり、ユーモアであり、そこに一種の政治性があると思うのですが。
WWD:ファッションに期待することはありますか?
千葉:デザイナーやメーカー、メディアに期待していることってあまりないんですが、人々に期待していることはあります。それはとにかく、変な服の着方をしてほしいということ。それに尽きるかな。
WWD:服に限らず、千葉さんの中に根本的にはそれぞれ自由に楽しんでほしいという思いがあるんですね。
千葉:楽しむことでもあるし、楽しむっていうだけだとハッピーな世界観に思われるかもしれませんが、それ以上に、面白く服を着ることが、世の中に対するある挑発であるし、ある種の「いじわる」をすることだと思うんです。みんなが当たり前だと思っているものに対して、違う角度を提示するという。そういう「いじわる」を皆さんにはやってほしいと思っています。
■「センスの哲学」
目次
第1章 センスとは何か
第2章 リズムとして捉える
第3章 いないいないばあの原理
第4章 意味のリズム
第5章 並べること
第6章 センスと偶然性
第7章 時間と人間
第8章 反復とアンチセンス
付録 芸術と生活をつなぐワーク
読書ガイド
著者:千葉雅也
定価:1760円
サイズ:46判/ページ数 256p/高さ 19cm
出版社:文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918273